Novel | ナノ


  02 嵐の前の静けさ


今日の天気は日中、快晴。夜は満天の星。とても良い天候に恵まれた日だった。
夜も遅く居間にある時計の針は“10”を指している。今日も1日が終わる。
だが、私の記憶は戻っていない。名前も過去も全て思い出せない。
居間にある沢山の写真達。その中に居る私だけが、刀剣男士である彼らが知っている“私”なんだろう。
写真の中にある“私”は一体どんな人だったんだろう。

「……」
「わっ!驚いた…。大倶利伽羅さん居たんですか?声くらいかけて下さいよ」
「…慣れ合うつもりは無い。必要以上の会話はする気も無い」
「そうですか…。ねぇ、大倶利伽羅さん」
「…」
「その、私ってどんな人だったんですか?」
「…それを聞いてどうするつもりだ?」
「もしかしたら、記憶が戻るかも…なんて」
「……煩い人だった」
「えっ…」
「…だが、割とやっていた」
「そうなんですね…。ありがとうございます」
「……あんたも早く寝たらどうなんだ。こんな時間まで起きていたら光忠に小言言われるぞ」
「はい」

大倶利伽羅さんは静かに居間から出て行った。その際、襖から見切れるように目が合った。
その眼差しはどこか優しく憂いがあるようにも見えた。
胸の奥底がじわじわと痛む。思わず胸に手をやるがいつもと変わらなく鼓動を刻み続ける。

「主、どうかしたのかい?」
「…み、光忠さん……」
「どこか痛むのかい?」
「いえ。ただ、今大倶利伽羅さんと話をしていて…」
「何か嫌な事でも言われたの?…あんまりしつこくすると、大倶利伽羅も流石に怒るから程々にね」
「それは、彼の仕草や言動を見てわかりました。ただ…」
「ただ?」
「最後に彼と目が合って、どうしてそんな目をしているのかなって」
「…」
「…ともかく。今日はもう寝ますね。光忠さんもおやすみなさい」
「あぁ。おやすみ」

光忠さんに一礼し居間を後にする。
まだ冷たい床を素足で歩きながら、やっとの思いで寝室に着き、ふかふかの布団に入った。
明日はどんなことをしようか。
早く記憶が戻ると良いな。早く、早く、早く―――。
そんなことばかり考えていた。気が付けば、私は眠りについていた。

***

「起きてたんだね、大倶利伽羅」

光忠はニコッと口角を上げ俺の近くまで来た。
昼間の鋭い光を持つ目は面影もない。

「…あぁ。だが、もう寝る。何か用なのか?」
「うーん。用ってほどの用じゃないよ。ただ…」
「ただ?」
「そんなに主が心配なら行動に移したらどうだい?」
「……そんなこと…」
「まぁ、僕が言える立場じゃないかもしれないけどね。こんのすけ君も長い目で見ようと言っていたし。僕達も手探り状態だから辛い気持ちもわかるよ。だけど大倶利伽羅。僕には君にしか出来ないやり方で、主の記憶を戻すこと出来るんじゃないかなって思うんだ」
「…そうか」
「じゃあ、僕はもう寝るよ。おやすみ」
「……あぁ」

本丸の寝室は刀種ごと分けられ、光忠は太刀の連中が眠る部屋へ向かった。
ただ俺はその背中を見送った。
「君にしか出来ないやり方で、主の記憶を戻すこと出来る」
真っ直ぐと疑いのない眼差しが俺に刺さった。
月は残酷なほど綺麗に輝いていた。

翌朝。
ふと目を覚ますと打刀部屋の連中は誰も居なかった。
どうやら俺が一番最後に起きたようだ。
だが、そんなにも熟睡していた気はしない。
眠たい目を擦りながら洗面所に行くと主が掃除をしていた。

「おはようございます、大倶利伽羅さん。随分遅かったですね。朝食は台所に取り置きしてますよ」
「…あぁ。わかった」
「ふふっ」
「…」
「あっ、ごめんなさい!」
「…別に俺は何もしていない」
「その、大倶利伽羅さんってそんな悪そうな表情出来るんだなって思って…」
「…寝起きだからだ」
「はい」

にこっと控えめに微笑んだその顔に思わず心が緩む。
記憶を失ってから初めて見る、心からの笑顔にも見えた。

***

正午を過ぎて気温も上がり随分と心地よい天候になってきた。
私と燭台切さん、堀川さん、厚さんは洗濯した布団を取り込もうとせっせと働いていた。
洗濯籠の近くには大倶利伽羅さんが空を仰いでいた。
思わず声を掛けようとしたが、自分を抑えた。

「大倶利伽羅ー。野球やらないかー?」
「……俺は慣れ合うつもりはない」
「わかったー!じゃあ今度は頼むぜー!」

遠くから獅子王さん達の野球をしている声が響く。
ここの本丸の皆さんは仲が良い。
お互い別々の時代に生まれ、きっと知っている文化の違いもあるのかもしれない。
それでも同じ「時代を守る」という目標の元、皆は支え合って生きている。
同志。
その言葉がとてもお似合いだ。
そんな彼らを私は束ねていた。
今の私には到底考えられない。

「主さん、どうかしたんですか?」
「えっ!?」
「なんだかボーっとして見えたぞ大将」
「…そう、ですか…?」
「もしかして記憶が戻りそうだったのかい?」
「いいえ。ただ、ぼーっとしていただけなので…。ごめんなさい」
「謝らなくたって良いんだよ。僕達はゆっくり待っているからね」
「…皆、ありがとうございます」

三人は目を合わせ、砕けるように笑った。
それに釣られて私も笑っていた。
ゆっくりで、ゆっくりで良いんだ。

カキ―――ン…ッ

球が空を切る音は私達には聞こえなかった。
「主、危ない―――!」
獅子王の必死に叫んだ声を聞いた時には、目の前に白球が向かってくる。
避けないと。だけど、身体が動かない。どうして動かないの。
考えることを止め、咄嗟に両腕を構えていた。

「……っ」

痛い。
そう思うはずが痛みは一切感じない。
恐る恐る目を開けると、目の前には見慣れた背中があった。

「お、大倶利伽羅…さん…?」
「……」
「主!大丈夫か!?怪我はないか!?」
「え、あ、はい!大丈夫です!」
「なら良かったー。でも、悪かったよ。気を付ける」
「いいえ、獅子王さん達は悪くなんかないですよ。私が余所見していたので…」

大倶利伽羅さんの方へゆっくりと視線を向ける。
一瞬目が合うが逸らされ、握っていたボールを獅子王さんへ返した。
そのまま何事も無かったように去ろうとする大倶利伽羅さんの上着の裾を無意識に掴んでいた。

「あっ、あの、ありがとうございました」
「……別に」

ゆっくり裾を離し、彼の背中を見送った。
胸騒ぎが止まらない。息が苦しい。
目の前にあった恐怖に対してなんかじゃない。
目の前にあった彼の背中に対してだ。

「大将、大丈夫か?あとは全部オレ達で取り込むから一度休んだ方が良いんじゃないか?」
「そうだぜ。俺達も今日はお開きにして手伝うからさ!」
「でも…」
「ほらほら。あんまり無理しちゃダメですよ。大倶利伽羅さーん、ちょっと連れて行ってもらえませんか?」
「…」
「なんで俺なんだって顔したって駄目だよ。そっち方に面行くんだろう?ついでで良いから頼んだよ」
「……あぁ…」

大倶利伽羅さんは、私が来るのを少し待ってそのまま本丸へ戻ってゆく。
必死にその背中を追いかけて、横に付く。
彼へ視線を向けると、彼は何処か遠くを見ている。
その横顔は大人とも子供とも言い難い男性の顔をしていて、思わず目を背けてしまった。

「あのっ」
「……なんだ」
「本当に、ありがとうございます…。あの時ちょっと覚悟しました…」
「…あれくらいの球速で当たって死ぬことは無いだろう」
「し、死にはしないかもしれませんよ。ただでさえ私が足を引っ張っている状況だというのに、怪我して心配されるのは嫌だなって思いました。でも…」
「…」
「でも、いざ身体を動かそうと思っても動きませんでした。本当に、情けないですよね。みんなの期待に応えたいのになぁ…」
「……あんた…」
「はい…?」
「勘違いしている」
「えっ…」
「今も昔もあんたは俺達の足を引っ張ることはなかった」
「…」
「……ただ、それだけだ。着いたぞ。後は光忠が来るまで休んでることだな」
「は、はい!ありがとうございました!」

律儀に寝室の前まで送ってくれた背中を頭を下げ見送った。
襖を閉め、ふぅっと息を抜く。
「今も昔もあんたは俺達の足を引っ張ることはなかった」
それは本当なんだろうか。
寡黙な彼が言うのなら本当なのかもしれない。
どこか安堵している自分がいる。
でも、何故安堵しているんだろうか。

「あッ…!」

突然の頭痛に思わず頭を押さえしゃがみ込む。
ズキズキと刺すような痛みに思わず涙が零れる。
やっとの思いで布団まで這いつくばり倒れる。
肩で息をしながら枕を濡らす。
どうしてこんなに痛いのだろうか。
「うっ…」小さく嗚咽を漏らし身体を丸める。
深呼吸をし、痛みと戦う。
助けてと言えば楽になるのだろうか。でも、言いたくなんかない。
彼がそう言ってくれたから、私も“私”でいないとダメなんだ。
だけど痛みは治まる気配はない。
これこそすべてを今は痛みに委ねるほかないのだろうか。
覚悟を決め静かに痛みを受け入れた。

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