Novel | ナノ


  03 こころ


「じゃあ、今日は膝丸と髭切には内番で手合わせお願いしようかな。髭切にも伝えてもらって良い?」
「わかった」

俺が会議へ行ってから二週間を過ぎようとしていた。
あの日から未だ、主と「男」のやり取りを思い出す度に息が詰まりそうになる。
だが、あくまでもそれは割り切って戦へ挑んでいる。俺の想いは二の次だ。
本丸中を隈なく探し、やっとの思いで馬屋に居る兄者を見つけた。

「兄者―。やっと見つけたぞ。主からの伝令だ。今日の内番は手合わせだそうだ」
「ありゃ、そうなのかい?てっきり今日は馬当番だと思っていたんだけどなぁ」
「ちなみに今日の馬当番は、鶴丸と太郎太刀だぞ。まぁ、そのうち回って来るだろう」
「そうだね。さてと、じゃあ武道場へ行こうか」
「あぁ」

普段であれば、手合わせが内番となっていなくとも武道場を使用する者がいるのだが、今日は珍しく誰も居ない。
その為かいつもより暗く、そして肌寒く感じる。入る前に武道場へ向け一礼し入場した。
履物を脱ぎ、素足となり武道場の中心へ向かう。

「よし、竹刀を取って来るから待っていてくれ、兄者」
「今日は要らないよ」
「…それは、今日の手合わせは真剣で行うという事か?」
「そういうことだよ」
「だが、真剣での手合わせは固く禁じられて…」
「実は主に許可は得ているんだ」
「…兄者、それは本当か…?」
「本当だよ」
「そうか…。わかった。じゃあ手合わせ頼む」
「こちらこそ。全力で行かせてもらう」

互いに向かい合い一礼する。
顔を上げた兄者の顔は普段のような物柔らかさは消え失せている。
まるでこの世の全てを破壊でもしそうな鬼の目をしていた。
一瞬でも手を抜くことがあれば瞬殺されるだろう。
兄者がそう来るのであれば、俺だって兄者の首を獲るつもりで行かせてもらう。

「行くぞ、兄者ァ!」
「来いッ!」

真っ先に首を狙うように素早く刀を振るう。
だが兄者は見切り、刀は空を切った。
御返しと言わんばかりに、兄者は俺の頭を狙うように斬りかかる。
咄嗟に踵を返すようにその一太刀は避けた。
一瞬の判断が死を招く。それが真剣での戦いだ。
もうどれほど時間が過ぎたのだろうか。床には汗がぼたぼたと零れている。

「…そういえば、僕も会議に行ったのは知っているよね?」
「兄者、今は手合わせに集中してくれ」
「そこで、主の先輩にあったんだ」
「…」
「余りにも二人が仲良く話していたものだから、気になって話したんだよ」
「…」
「二人は恋仲なのか?ってね。そしたらなんて答えたと思う?」
「兄者、だから集中してくれないか」
「お付き合いをしているそうだ。結婚を前提にね」
「……ッ…」
「僕、そのこと聞いて嬉しかったんだ。主が女性としての幸せを掴めると思ってね」
「兄者ッ!いい加減にしてくれ!今は手合わせ中だと―――」

気が付けば握っていた刀は、手から離れ弧を描くように飛んでいき、床に突き刺さった。
いつの間にこんなにも斬られていたのだろうか。上着や細袴は斬られ、じわじわと血が滲んできている。
だが、そんな切り傷よりも今は違う場所が痛くて仕方がない。
刀を取る為、兄者から目を離さぬよう後ずさりするが、喉元に切っ先が突き出される。
俺は、これからどうすれば良い。どうすれば…。

「全く…集中して欲しいのはこっちの方だよ」
「…」
「僕はただ主を祝福したいと話しただけだよ?」
「…あぁ、わかっている」
「もしかしてお前、主の幸せを祝福出来ないのかい?」
「そんなことなど…」
「じゃあ、今日の晩にでも主と共に祝い酒を酌み交わそうじゃないか」
「それは…」
「したくないのかい?何故?」
「俺は…。俺は……ッ!」
「……ふぅ。なんだか疲れてしまったよ。今日はもう終わりにしよう。こんなに酷くするつもりは無かったんだけ―――」

兄者には悪い事をしたと思うが話が終わる前に一礼し、その場を後にした。

***

弟は蜘蛛が逃げるように一目散に武道場から去った。
僕が思っていた以上に、背中を少しだけ強く押し過ぎてしまったようだ。
そして、あの反応ぶりからして主に相当強い思いを抱いていることがわかった。
床に刺さった弟の刀を抜き、辺りに零れている汗や血を眺めた。
それは僕らが「付喪神」であるが「人」の身体を得たから流れているものだ。
そして、今までに感じたことのない気持ちが込み上げてくる。
この感情は「人」の身体を得たからなのだろうか。

「……主と…膝丸を幸せには出来ないのだろうか…」

ゆっくりと瞳を閉じ息を吐く。
きっと弟のことだ、本丸の一番奥まった部屋で隠れるつもりだろう。
それを連れ出すのは僕なんかじゃない。主を探す為武道場から離れた。
本丸の執務室で一人仕事を熟していた。
思った以上に探すのには手間がかからなくて良かった。

「あれ、髭切?今日って手合わせの日じゃなかったけ?休憩中?」
「いいや。実は弟と喧嘩してしまってね。真剣で斬り合ってしまったんだ…」
「えっ…?今なんて…」
「弟と喧嘩してしまった」
「そのあと!」
「真剣で斬り合ってしまった」
「……今、彼は何処にいるの?」
「武道場から一目散に出て行ってしまってわからない」
「…そう。髭切は?怪我はない?」
「僕は大丈夫だ」
「良かったわ…。ちょっと膝丸探してくる」
「僕も手伝うよ。喧嘩の原因は僕だ。主は本丸の方を探してくれ。僕は外回りを見て来る。怪我をしているはずだから遠くまで行っていないはずだ」
「わかった!お願いね!」

慌てて執務室を出て行く主の後ろ姿をひたすら眺めていた。
僕の役目はきっとここまでだ。あとは二人の問題だ。
弟の刀を持ちながら主と反対方向へ足を進めた。

***

本丸の一番奥まった部屋で一人、窓から冬の厚い雲が流れない重い空を眺めていた。
傷口から血が流れ出ているがそんなのお構いない。
兄者の言う通り主の幸せを祝いたい。だが、今の俺にはそれが素直に出来ない。
だが想っている人が幸せになれるのであれば、それを後押しすべきだ。そう思えればこの想いと決別など簡単なのだ。
思えば思うほど、もっと早く行動していれば良かったのではないかなど、後悔の感情が込み上げて仕方がない。
後悔の感情が高まり臨界点を超えたのか、俺の中で何かが切れた。
そもそも俺は「人」ではないのだ。刀の「付喪神」なのだ。
人間同士が結ばれ幸せになることは当たり前だが、人と刀が結ばれること自体、主の幸せを踏み躙るのだ。
いつから俺は「人」になったつもりでいたのだろうか。俺は「人」と同じ土俵にすら立っていないじゃないか。
主があの「人」と幸せになれるのであれば、ならばこの想い潔く斬り捨てよう。

「……ッ…。こんなところまで…」

ふと、想いを斬り捨てると思えば傷口が痛んできた。特に左上腕の傷が思っていたよりも深い。
それと同時に左大腿に巻いていた布が切れていたことに気が付く。
仕方がない、今しばらくはこれで止血するかと思い懸命に結ぼうとするが、どうにも右手に力が入らない。

「…これは、駄目だな」

兄者と色違いの布を握り、諦めたように天を仰いでいた。
その時だった。聞きなれた声が俺を呼ぶ。
「膝丸!何処に居るの!?返事してよ!!!」
まるで子を引き離された親のように叫ぶような声だった。
こんな姿、主には見せられないと思い部屋の死角に移ろうとしたが遅かった。
バンッと勢いよく障子が鳴る。きっと歌仙がこれを見ていれば怒るぞ…。

「あぁ、居た…。良かった…」
「主、どうかしたのか?」
「どうかしたのかじゃないわよ!血だらけじゃない!」
「……大した怪我じゃないぞ」
「どの口が言ってるのよ!」
「…」
「とにかく手入れしないと…」
「…いや、良いんだ。俺の不注意だからな」
「でも…!」
「良いんだ。これで、良いんだ」

今にも泣きそうな顔をしているが、長く息を吐き何時ものような凛とした表情に切り替わる。目はとても力強く、真っ直ぐとしている。
主は自らの着物の裾を引き千切ろうし、思わず咄嗟にその手を握った。
ぎょっとした表情をして手を止めた。

「ちょっと待ってくれないか!?一体何をしているんだ!」
「いや、せめて止血しようと思って…」
「…だったらこれを使ってくれ。君がわざわざ着物を引き千切ってまですることじゃない」
「でもこれって、膝丸の脚に付けてるものじゃ…」
「構わない。俺は君の着物を汚してしまう方が気掛かりだ」
「…わかったよ」

致し方なくと言わんばかりに、沈んだ顔をしながら布を受け取った。
主も左上腕の傷が一番酷いと思ったのだろう、慎重に切れた布を宛がい止血した。その指先は細かく震えていた。
布はあっという間に血で赤く滲んでゆくが、止血しないよりは良い。
ふと布から主へ視線を向けた。ぼろぼろと初めて見る程の大粒の涙を流していた。

「主…何故泣いている…」
「ごっ、ごめん…」
「いいや、こちらこそ悪かった」
「二人が兄弟喧嘩して真剣で斬り合ったって聞いて、凄い不安になって…。でも、大事に至らなくて良かった…」
「…」
「でも必ず手入れは受けてもらうからね…!」
「…それはわかっている。本当に、申し訳ない。俺が…俺が未熟だったばかりに…」
「膝丸…」
「すまない」
「もう良いの。だから謝らないで?…でも本当に、本当に良かった…。私、膝丸が死んじゃったら…」
「こんな掠り傷程度では死にはしない。だから、涙を拭いてくれ」
「人の身体ってあなたが思っている以上に脆いんだよ…。身体も、心も…」
「……あぁ、そうかもしれぬな…」

主の涙を痛みがあるがゆっくりと左手で拭った。
彼女は目を真っ赤にしながら、力が抜けたような笑顔を見せた。
思わずそれに釣られて俺も少しながら口角を上げていた。
それにしても兄者は、どの口で「主から許可を得た」と言ったのだ。
後で兄者を見つけ、主に見つからないようこっそり話をしなくては…。
そう思っている最中だった。開きっぱなしの障子から、逆光となり顔はわからないが兄者と思われる影現れた。

「居た居た。こんな所に居たんだね」
「髭切。丁度良かった。膝丸を手入したいから肩貸して欲しいの」
「なっ!主!俺は兄者の肩を借りる程重症じゃないぞ!」
「でも、今さっきまで死にそうな顔してたじゃない!」
「それはただ傷が痛むなと思っていただけだ!」
「じゃあ、なんで最初に私が手入れしようか?って聞いたのに断ったのよ!」
「そ、それはだな!」
「うんうん。わかったわかった。とりあえず二人とも落ち着いてね。僕が弟を手入部屋まで連れて行くから、ね?」
「ごめんなさい…。じゃあ、私は部屋とか諸々掃除するよ。他の人が見たらちょっと驚いちゃいそうだし」
「主、俺も手伝うぞ。元は汚したのは俺だしな…」
「気持ちは嬉しいけどダメよ。今は治すのに専念して」
「…わかった。すまない…」
「はい、じゃあ行こうか」

兄者の肩を借りながら手入部屋へ向かう。
俺が歩いた跡がわかる程、血がぽたぽたと零れていた。

「鞘を貸してくれないかい?刀、武道場に忘れていたんだ。僕が手入れ終わるまで預かっておくよ」
「すまない、兄者。助かる」
「こちらこそ悪いことをしてしまったよ。本当はこんなに怪我させるつもりは無かったんだ」
「わかっている。俺の未熟さが原因だ。兄者は悪くない」
「…未熟、ね…。ふふっ」
「な、何かおかしなことを言ったか?」
「いいや。もう、素直に主に想いを伝えたらどうなんだい?」
「……それが出来ないから未熟なのだ…」

それから会話はなかったが、一つだけ、わかったことがある。
隠していたはずだが、兄者は俺の主への想いに気付いていた。

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