あなたの為に | ナノ
 ある日、アリアは突然戦場に投げ出された。それは部屋で本を一人で読んでいた時だった。
 見知らぬ二人組の男が部屋に現れたのだ。二人組はアリアを無理矢理連れて状況も何もかもを知らない彼女に対し、二人組の男は『戦え』とだけ伝えたかと思うとすぐさまどこかへ行ってしまった。そして今アリアは血の臭いと砂埃が舞って視界が悪い戦場の真ん中で立ち尽くしていた。

 所々で爆風が起こり、あちこちから何者かの叫ぶ声に時折聞こえる勇ましい威勢の声。だがしかし、のどかな場所から一変、血なまぐさく悪環境となっている戦場にアリアは今だに戸惑っていた。ここは何処なのか、と。そしてふとアリアは親しくも自分の母親のように慕うミアを探そうとあたりを見渡し、居ないと分かると今にも泣き出しそうな表情を見せた。ここにいる事が怖い、ミアが居ない、たったそれだけが彼女に恐怖心を植え付けた。

「ミ、ア……。やだ、怖いっ私……こわ、い……! やだよ……いやだぁ……っ!」

 何かが切れたように、アリアはその場で子供のように泣き出してしまった。戦場で泣いている子供が一人。それを一人の女性は見つけ駆け寄ろうとする。
────刹那。アリアはどこからか飛んできた弓の矢に、体を射ぬかれた。突然の、それもいきなりの事である。だが突然ではあれど、しかしそれは当たり前の出来事だ。ここは戦場、誰かが誰かを見つければ殺し殺されるのも当然の事だろう。
 アリアは目を見開き、その様を見ていた女性はまるで時が止まってしまったかのように動けなくなっていた。一瞬にして、アリアの命が奪われた。
 女性はすぐにでも出て行きたかった。だが、それが出来ないのはここが戦場だからということ。まだ何処かで弓を放った者が様子を伺っているかもしれない。その時、弓を放ったであろう張本人が巻き起こる砂埃の陰からゆっくりと現れてきた。動かなくなったアリアを見下すように一瞥し、足で器用に仰向けにさせる。

「チッ……んだよ。ガキじゃねーか……。ったく、災難なガキだなオイ」

 男はまるでそこにいたアリアが悪いのだと言うように、言葉を吐き捨てた。……その直後だった。男の矢により殺され、動かない筈のアリアの手が男の足を掴み、骨が折れてしまうのではないかという程に握りしめたではないか。
 男は間抜けな悲鳴を上げ、掴む手を振り払おうと足を動かす。だが、なかなか離れないアリアの手に矢を突き刺そうと矢筒から一本の矢を取り出す。先端をアリアの手に突き刺そうというのだろう、腕を振り上げて構える。その様を見ていた女性……ミアはこの時既に耐え切れなくなっていた。気づいた時には男の前まで出て行きながら持っていた弓に矢をセットし、数メートルという近い距離で、ミアの手により男に留めを刺した。
 心臓を狙われた事で悲鳴も上げず、何より苦しむこと無く倒れ息絶えた男の足には、尚もアリアの手が掴まれており、力が緩んでいる様子もない。死して尚も生きたいと抗うアリアを、誰がこんなにも哀れと思おうか。

 アリアは懸命に、ただ生きたいと、生きていたいと願っていた。ただそれだけなのに、勝手な人のエゴで彼女の命は散ってしまった。利用する為に、そして試作品として。

「アリア……アリアっ……!」

 ミアは駆け寄りアリアに声を掛ける。が、何かを言いたいのか、しかしそれは言葉になることは無く口の開閉を静かに繰り返すのみで、目が開くことはない。それでもアリアが起きるのではないのか。そう思いながらミアはずっと呼び掛け続ける。
 しかし、目を開いてミアを見る事も、ミアの名前を呼ぶ事さえも無かった。暫くして彼女の手は動かず、ただ男の足を掴んでいるようにしか見えなくなっていた。

 この瞬間、アリアは死んでしまったのだと、ミアはただ呆然とその事実を受け入れようとし……やめた。起きてしまった事実からまるで目を背けるように。自分があの時、傍に居てあげられなかったせいでアリアを殺してしまったのだと。

 しかし、ミアはアリアのこの末路を知っていて、分かっていた。分かっていた筈なのに、彼女は……そしてアリアは──

「……アリア・エクリアの死亡を確認した。未完成だったようだと、伝えておいて下さい」
「はっ」

 ちょうど良く、まるで見計らったかのようにやって来た一人の男に、ミアは振り向きもせずにそれだけを告げる。彼女の言葉に返事をした男がその場から去るのを待ち、アリアと自分が殺した男を見下した。
 身動きもせずにただ亡骸となったアリアを見詰める彼女の両目からは、溢れんばかりの涙が頬を伝っていた。……ただ静かに。泣き声も口から零す事なく、膝から崩れて打ちひしがれるわけでもなく、ただただとめどなく涙が頬を伝っていく。表情に変化も現れていない。ミアの体は、彼女自身の気持ちについていけていなかった。

  ◇

 私は……死んだ。死んだ筈だった。もうミアに会えないんだと、もう生きていないんだと分かった。だって苦しくて痛くて、そして意識がなくなった気がして……。でも、じゃあ……どうしてこんなにも体は痛むんだろう……? それに……動きたくない。そう億劫に思ったその時、突然体が水中に投げ出される。
 いきなりの事で咄嗟に目を見開いて手足をばたつかせ、必死に泳ごうとする。そして頭の中にはまた死ぬという感覚が生まれてきて、適当に助けを乞うが流れが早いような気がして、上手くいかない。死んだのに、また更に死ななくちゃいけないの? なんで私、こんなに死ななきゃいけないの?

「え、ちょっと!」

 誰か、と願った時に女の人の声が水音と共に聞こえて、そちらに意識が向く。助けて、ただそれだけを水を飲みこんでしまっていても気にすることなく口を動かす。私の言葉が聞こえているかはわからない、でもきっと伝わったのだと思う。

「今助けるから待ってなさい! カイルー! ロープ持って来て!」

 女の人は懸命に私に呼び掛けて、やっとロープが来たのかもう一人の声が聞こえてきた。男の子……? どちらにしても、助けてくれる人の知り合いなのかもしれない。

「母さんロープ…って、うわあ! ひ、人!?」

 目の前に私に声を掛けてくれた女の人がいつの間にか現れて、腕を掴まれた時に私は意識を手放した。直前に、色んな音や声が聞こえてきた気がする。……ああ、私、死んだんじゃないんだ。よかったと嬉しく思う反面、喜んでいいのかが分からない。人は死んだら天国とか地獄に行くって本に書いてあったし、色んなお話にも書いてあった。じゃあここは天国? 私は死んだけれど天国で助けられた? もしそうだとしたら嬉しい。天国でものんびりと過ごせる。……ミア。私、天国でミアを見守っていようかな。

 大好きなミア。私、ミアが大好き。たった一人の私の家族だから。沢山の事を教えてくれた、沢山の事を知ることができた。不自由もあったし、私はミアしか知らなかった。けれど……それだけでも十分に幸せで満足だった。死ぬのは怖いって思ってる、それは今でも変わらない。死んでしまう、命の終わりが……私は怖いけれど、でも私は助けられた。死んだのではなくて、天国の人たちが私を助けてくれたんだって思えるから。

 

「ん、う……」

 ゆっくりと目を開ければ、私の顔を覗き込む二つの陰。よく見ると私を助けてくれた黒髪の女性と金髪の男の子がいた。見つめられていたから、ジッと見つめ返してみる。『はぁ……良かったわ。このまま起きなかったらどうしようかと』と女性の方が安堵の声をこぼす。それに対し、隣の金髪の男の子は何故か笑い『母さん心配し過ぎだよ!』と言ったと思ったら男の子は怒られた。

「そんな簡単に目覚めるようなこと言わないの! 衰弱して死んじゃったり溺死だってある。他にもあるのよ! 皆が皆、強くないんだから! このバカ!」
「ご、ごめんって母さんっ! 痛っ痛いよー!」

 降参とばかりに男の子は両手を上げて許して貰おうとするが、母さんと呼ばれた人は尚も怒っている。私はゆっくりと起き上がりその光景を眺めていたら、女性が気付いて『あ、消化の良い物作っておいたから、今から持ってくるわね』と言って部屋から出て行ってしまった。
 それを見届けた後、部屋には男の子と私だけになってしまった事に私は少し緊張してきた。

 知らない人の家で知らない人と二人きりの状況。以前ならば、ミアと二人きりで他の人と言っても私の身体検査ぐらいだけでそういう時でもちゃんとミアが居てくれた。だが今は違う。しなくていい警戒をしてしまいそうになる。でもそんな私とは違って、相手はなんともないようで私に気軽に話し掛けてくれる。

「いやー、いきなり溺れててなかなか起きなくってビックリしたよ。君、二日くらいずっと寝てたんだよ?」
「……そんな、に……?」

 頭をかく仕草を見せながら『母さんもそりゃあ、心配しちゃうなぁ』と少し困り気味に小さく呟きながらも、すぐに笑顔になったかと思うと突然私の頭を撫でてきた。
 いきなりの事に驚き、身体がビクついてベッドから落ちそうになってしまう。けど、なんとか寸前で落ちないように男の子を恐る恐る見る。私の様子に驚きつつも、どこか優しそうな目をして私を見ていた。

「なんか妹みたいだなーって思ってさ。あ、ダメだった……?」
「え、あ……。ううん……大丈夫」

 呆けた顔をしていたからなのか。私の様子を伺いつつに言われ、平気と伝えようと首を横に振りながらそう言うと、笑顔でいろんなことを男の子は言い出した。
 見た目に比べて子供みたいだね、とか。話し方も、反応も、見てくる目も…それが全て、自分よりも下の子供を見ているような。そんな感覚がする、そう彼は言った。

 確かに私は子供かもしれない……何もかも、子供だ。年相応とかあるのかもしれないけど、私にはそれがわからない。見た目に似合わず、と言われるのがどうも首をかしげてしまう。なぜ年相応でなければいけないんだろう。見た目に合うような何かにならなければいけない理由でもあるのだろうか?
 そんなことを考えていたらドアが開き、さっきの女性がトレイに先程話していたそれを持ってきてくれたのだろう。戻ってくるなり、咎めるようにさっきよりも少し声を低くして注意するように言いながらこちらへ来る。

「こらカイル! まだ病人の子に無茶させてたんじゃないんでしょうねえ?」
「あ、戻ってきた。大丈夫! ただ話してただけだし」

 カイルくん、は私の頭をまだ撫でながらそんな事を言う。私は気にすることなく、大丈夫と意思表示の為に少し微笑んだら、女性は何倍もの可愛い笑顔を見せてくれた。

「あ、紹介が遅れたわね。あたしはルーティ。で、こいつがカイル」
「……えっと。……アリア、です……よろしく」

 突然の自己紹介に少し戸惑いつつ、軽く頭を下げながら自分の名前を告げる。まさか自分からこうして自己紹介するのが初めてなんて、多分……口が裂けても言えない、かもしれない。
 するとカイルくんとルーティさんは二人して私の頭を撫で始めた。またここで突然のことに戸惑う私の事は気にすることなく、ルーティさんは優しい笑みで言った。

「落ち着くまでここに居ていいわよ」
「あ、それオレが言うつもりだったのにー」

『あんたねえ…』とルーティさんはカイルくんに溜め息を吐きながらそう言うと、ぶつくさと言い出したカイルくんの言葉によってまた言い合いが始まる。
 私はやっぱり眺めるしか出来なくて、お腹の鳴る音で二人はやっと言い合いをやめてくれた。そして持ってきてくれたご飯をルーティさんが渡してくれる。こんなにも優しさを受けたのは、ミア以外初めてだ。少し、嬉しい。ルーティさんが作ってくれたであろうご飯はとても美味しい、と思った。

 

「んー……あまりサイズが合うのってないわねえ……」

 ご飯を食べ終えたあと、カイルくんは部屋を出てどこかに行ってしまった。多分子供たちの相手をしに行ったのだと、ルーティさんが教えてくれた。そして今はルーティさんと一緒に何故か服の着せ替え状態で私に合う服を探してくれている状況。
 何故こうなったのかと聞けば、着ていた服はところどころが破れてしまっていて、縫うしかないということで代用品を私に選んでくれるらしい。なされるがままに、とても真剣に選ぶルーティさんを見ていた。どうしてか、嬉しく感じるのはなんでだろう。

「んー、と……これでいいかな。うん、我ながら良いものを選んだわ!」

 少し離れて私の全身を見たあと、鼻が高い! と言いたげに腰に両手をついて満足げに笑顔を浮かべている。
 前の格好よりもおしとやかと言うべきなのだろう、ワンピースみたいだけど動きやすいように軽い。私はルーティさんにお礼を言って、頭を下げた。すると突然抱きしめられて驚いた。

「そんな畏まらないの! あんたがどこからとか、どうしてとか、そんなの聞くつもりはないから。だからここを家だと思って居ていいんだからね」
「ルーティさん……」

 よしよし、と我が子のように私の頭を撫でながら優しく抱きしめてくれる。……我が子、とは言ってみたけれど、今の私はこれは予想でしかないから何とも言えない。
 ルーティさんの子供はカイルくんで、私は赤の他人……と言えばいいんだろう。きっと、こんなに優しい人は他に居ないと思う。暖かくて、柔らかくて、安心して、まるで──

 そこまで思考を巡らせていた時、私を世話してくれた彼女を思い出す。それと同時に視界が歪み、喉が詰まるように痛くなる。……あと、鼻の奥辺りがツンと痛くもなってきた。
 泣いてるんだと気付いた頃には遅くて、自分からルーティさんに抱き着いていた。突然抱き着いたのにも関わらず、きっと私の気持ちを汲み取ったのかは分からない……けれど『大丈夫、ここにいるから』と言ってくれて、また涙が溢れる。

 泣く、と言うのはきっとこういうんだ。私には今まで泣いたことがないから分からないけれど。悲しいとか、嬉しいとか、悔しいとか、そういうので泣くのだろう。
──じゃあ私は何で泣いてるのか。……それが分からない。でもきっと今は、彼女の事を考えているから悲しい……と言うんだろうな。会えない寂しさとか、恋しさとか、多分きっとそんな感じ。
 いい加減離れなくちゃとほんの少し体を離した。するとどういう事か……目から涙、鼻から水が出ていた……。

「ご、ごめんなさいルーティさん……鼻水、が……あぁっ……」
「……あらら」

 涙が自分じゃ止められずにボロ泣きのまま、それと同時に鼻を啜りながらも私はルーティさんの服を気にして謝る。そんな私に、ルーティさんは小さく笑って大丈夫だと笑顔で言ってくれた。それを聞いて安心したのか申し訳ないのか、まだ服を気にしている私。
 暫くして、カイルくんが戻ってきたからなのか。それともまだやることが残っているからなのか……服は大丈夫だと何度も言われてベッドに戻された。私は少し不満に思いつつも、言われた通りにベッドに潜り込んだ。

 部屋はあまり使われない部屋を私が使えるようにと少し綺麗にされていて、当たり前だけれど物はあまりない。私が今疑問に思うことと言えば、多分この家……というか施設みたいなのだろう場所は木で作られているようだった。
 言ってはいけないけれど……古いなあって思うのは、心の中にだけ留めておく。でも、古いなとそんなことを思っていても、温かいって感じるのは……なんでだろう。きっと、ルーティさんやカイルくんが見ず知らずの私に優しくしてくれたから温かいって感じるのかな。……そう考えていたら、いつの間にか私はまるで誘われるように眠ってしまっていた。
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