あなたの為に | ナノ
 揺り篭のように一定のリズムを刻む。そのリズムは、誰かが何かを施しているものでは無い。自分の内から、自然と刻まれるリズム。
 そして今、抱き上げられて揺れているのか、それとも自分が意図的に揺れているのか。だが、何かに抱き上げられているようには感じられない。まるで自分が、自分の意思でもなく、意図的でもなく、ただ浮いているような単純な感覚。

 ふとゆっくりと薄い何かを開けて前を見据える。視界は緑色で、何かに入れられているようだ。もしかしたらその緑色の何かのせいなのか体が上手く動かない。……いや、動けないが正解か。

 今の状況に対して考え込み、見ていることにその行為自体を不思議に思っていたその時。突然、小さく電流らしきものが頭の先から下まで、全身を一気に通る。

────ワタシ……アタシ……あたし……わたし……私……ボク……ぼく……僕……おれ……俺……オレ……

 思考することを突如として強制され体が激しく痙攣し、薄く開いていた目は自分の意思に関係なく思い切り見開かれる。暫くして、やっとのことで電流は流れなくなり思考することを遮断されれば、そのまま自分はゆっくりと目を閉じた。

 自分は何者なのか。どうしてこんなにも……考えるのだろうか。今、目に映る空間は先程とは違う色。真っ暗で、しかし真っ白な……なんて曖昧な空間か。どうしてそうなっているのか、なぜこんなにも──もはや考えても分からない。

────いや、考えていることさえ自分は分からないのかもしれない。

 体が痛む……体が軋む。体が、目が腕が足が頭が首が……。自分を構成、形作るものをこんなにも知っているのに、何故か分からない。

────自分は……何者?

 振りだしに戻った時、体が突然下へと引っ張られるかのように、崩れるかのように落下する。体の自由や纏わり付いていたものがなくなったはいいのだが、なんだか気持ち悪い。それと同時に、固く冷たいものが体全身に触れる。そしてそこには体に纏わり付いていたであろう、緑色の液体が自分を中心に溢れるように視界に映るだけの範囲全体が濡れていた。
 ああそうか。きっとこれは、小さな空間から自分は解放されたということなんだろう。では、先程の落下はこの空間から吐き出されたという事。

「やっと、出来上がったか」

 声が聞こえてきた。誰かが自分に声を掛けているのか。自分は、言うことを聞かない体をなんとか頭だけでもと思い、少し持ち上げて視線を上へ向ける。するとそこには、人がいた。

「さあ来い。お前は今日から……アリア・エクリアだ」
「ぁ……ぅ、……」

────アリア、エクリア? それは、誰?

 言いたいのに、問いたいのに、言葉が出ない。まるで今は口を働かせるなと体に訴えられているようだ。そしてついには思考が遮断されて……考えられなくなる。

────自分は……

第一章:序章

 彼女、アリアが連れていかれた場所は小さな部屋だった。つい先程まで居た場所とは異なり、穏やかな日の光りが差し込んでいてとても暖かい。アリアが一人で使うには十分に広く、窓から差し込む光はアリアがここへやって来たことをまるで祝福するかのようにも感じられる。アリアは心許ない大きめの布だけを被せられた状態で抱えられながら、部屋にあるベッドへと降ろされた。

 彼女はなされるがままに、静かに横になったまま自分をここまで運んだ人物を見上げた。まるで赤ん坊のような、母親を見つめる無垢な眼差しを向けて。だが、彼女を運んだ人物は何も言わずに部屋を去っていく。ドアが閉められるまでを目で追った後、ぼんやりとただ静かにドアを見つめていた。そして視線は動き、あたりを見渡し出す。

 暫くして、一人の女性が部屋へと入って来る。アリアは気付いたようにドアの方へとまた視線を戻す。ドアの前に立ち、横になっている彼女を見て悲しい表情を僅かながらに見せた。だがすぐにそれは引っ込み優しい笑みをアリアに向ける。

「初めまして、ミアと申します。今日からあなたの世話をすることになったの、よろしくね」
「……?」

 きょとんとした顔で部屋へとやって来た女性──ミアを見つめるアリアは、理解していないようで目を瞬きさせている。それもそうだろう、礼儀正しく来られても言われた本人はちんぷんかんぷんなのだ。だがそれも分かっていてのことだろう、そんなアリアにミアはまるで我が子のように、ベッドで横になったまま自身を見詰めるアリアの頭を撫でた。そしてミアはゆっくりとアリアの横になっているベッドの傍へと行き、そっと髪を撫でるがそれだけでは満足せず抱き締めた。
 アリアはなぜ抱き締められているのかとぼんやり受け止めていれば、彼女の体が僅かに震え出し、微かに嗚咽が聞こえてくる。

「……っ……まだ、まだ生まれたばかりなのに……こんなのはあんまりよ……っ!」

 なぜ泣いているのか。その理由や意味を理解出来ないアリアはただ抱きしめられ、ただ泣いている彼女の姿を受け止め、そして見ていることしかできないでいた。
 暫くしてアリアから離れれば目は泣き腫らしてしまって赤くなっている。だが、この部屋へやって来た時と変わらない笑みを浮かべた。そしてミアはこの日から、アリアに様々な事を教え込み始めた。言葉、計算、世界。そして身を守る為の術を。ミアが出来うる限りのことをアリアに教え、学ばせた。
 アリアの飲み込みは早く、様々な事を僅か半年で覚えていった。しかし、身を守る為のことに関してはなかなか覚えてはくれずにいた。それは、ミアが得意とする弓。だがどういう訳か、極端に嫌がり自分の身一つ、格闘技のみを覚えていった。獅子を出す技、足技に飛び技。どうしたら習得するのかとミアは不思議に思った。だが自分の弓を覚えてくれないアリアに対しミアはその事に不満を吐かず、アリアを育て、ついには一年が経つ頃。
 部屋で本を読んでいる彼女のそばで到底アリアには理解がまだ出来そうにないであろう本をミアは広げて読んでいた。そんな時ふと本を閉じる音がしてミアは顔を上げ、アリアを見やる。すると静かにアリアは言った。

「……ねえ、ミア。私……怖い」
「怖いっ、て?」
「いつか死ぬ、ていうのが……怖い、……の」
「……」
「いろんな本を読んでいろんなお話を聞いて。私……最近考えるの。死んだらやだなあって……。ミアと離れたくないなあって……」

 見た目は16歳そこらの大人しめな容姿をする彼女からは思えない、子供のような話し方をするアリア。しかし、生まれてまだ一年の彼女はこれが精一杯だ。ミアもそれは理解しているし、納得している。成長しているのだと、アリアを育てて来た彼女にとっては自分で話し自分で様々な事をしている彼女の姿は、とても喜ばしく思える事であるのだ。
 アリアの突然の『怖い』という言葉を聞き彼女のこれからを知るミアは、初めてこの部屋で二人が出会ったあの時のように、溢れそうになる涙を必死に抑え込む。変えられぬ彼女の結末。どうしようも出来ない不甲斐なさに、ミアは自分を密かに責めていた。
 だがそれでも、ミアは不安になるアリアを抱きしめて優しく『大丈夫』とだけ囁いた。アリアが不安にならないように、笑顔でいてくれるように。ただ今だけは幸せであることだけを、散りゆくその時までは不安や恐怖を与えたくはなかった。
 愛する我が子も同然の小さく幼い彼女は、抱き締めてくれるミアに縋るようにその背へと腕を回して抱き締め返す。その背が恐怖か否か、震えていることにアリアは気付きもしない。
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