不幸者 | ナノ
  見いだせぬ答え
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「……ん、」

 いつの間に眠ってしまっていたのか、瞼は重く身体がだるい。しかもおかしな体制で眠っていたせいか、腰あたりが痛くなっていた。ゆっくりと起き上がり履き物を無造作に脱ぐ。そして身体全部をベッドへと沈め、天井を仰いだ。ほんの少し眠っていたからと言って、夢ならば覚めるものだと思っていたがそうでもないらしい。
 目を覚ましてしまっても眠りにつく前と変わらず少し狭苦しく、最低限のものしか置かれていない殺風景な部屋。視界に広がる景色を見ていられなくなり、僕は左腕で両目を隠すように持っていく。だが、隠したところで覚醒してしまっていてはこれが現実なのだと受け止め、向き合わなくてはならない。それが何故か、とてつもなく嫌で仕方ないのだ。逃避していることは理解している。だが、まだ僕はこの状態を受け入れられるほど気持ちに整理がついていない。
 ここにいる意味が分からないのだ。ここが違う世界なのだとしたら、何故ここへと来る必要があったのだろう。僕は、どうしてここへ来なければならなかったのだろう。この命にはまだ役目があるのだと、それとも生きる事で罪を償えと言うのか。死ぬ事で昇華されるべきである命もある筈だろう。だが、僕にはそれが許されないとでも言うのか。

「シャル……」

 相棒の名をぽつりと呟く。まるで片割れのように、それは当たり前のように傍にいたシャルが、今ここに居ない事実が未だに信じられずに、無意識に口が動く。何度も何度も僕は相棒の名前を呼び、そして最後に最愛の彼女の名を声に出さず零した。そうした事で、僕は後悔する。
 こんな事があってたまるものか。全て終わらせたつもりでいたのに。全てを投げ打ったのに。仲間を裏切ってまで、道を違えたというのに。これではまるで──

 まるで、僕の命が弄ばれているのと変わりが無いではないか。ここに来てまでも……僕は利用されるのか。

 マリアンに、会いたい。……など、願ったとしても叶わない。もはや全てが黒く塗り潰され、今僕の目の前は灰色だ。色を無くし、生きている事の苦痛を……無様にも知らしめられている。また眠った時に二度と目覚めなければ良いのにとさえ思う。
──だが、僕はまた眠ることはせずに起き上がった。向かう先は、あの女の元へだ。

 言われた通りの場所へとやって来たが、来たばかりということもあり少し迷った。だが人が居ないということが本当なのだと、音でわかる。微かな機械音と、女の小さな独り言が聞こえて来たのだから。
 この広くも生活感もなく、そしてたった一人で──一匹という存在もいるが──やらねばならない事を成そうとしているというのか?
 物音を極力立てないよう近づいたつもりが、女は視線を向けずに僕へと声を掛けてきた。別段、驚く程でもない。しかし、僕は言葉に詰まる。何故来たか? 本当ならば僕がそれを知りたい。来た理由が、足がここへ向かった理由が……僕自身にはわからない。

「……邪魔をしないのであれば、好きな所に座って眺めていて構わない」
「……」
「人に見られて困るものではない。いや、少年……君だからこそ私の行う実験を見てくれて構わないのだと思う。私は人道的ではないことを、行っているからね。非人道的……外道のやる事だ」

 女の言葉をただ静かに聞きながら、好きなところに座っても良いという言葉に従い、適当に椅子を引っ張ってきて斜め後ろに陣取る。そして尚も、女の独り言のような……しかし僕に向けられた言葉を聞いた。

「命に終わりはやってくる。それは運命、必然、道徳的にも一般的にも、常識的にも当たり前で、当然のこと。早いか遅いか……その違いだ。出会いがあり、別れがある。始まりがあれば、終わりがある。それと同じこと。興味を持つことにも終わりがある。出会ってしまえば別れ……知っては忘れゆく」
「……」
「だからこそ、生き物は子孫を残すんだろうな。自分の中の血を……遺伝子を終わらせずに。永遠に等しい命の繋がりを。性という形を取り、精を受け、花開く。何万、何億と混じりあった中身に……集合体の中に自分という存在を残していくために……」

 止まることのない言葉に、やはりと言うべきか。僕には理解が出来なかった。命のことを語っているのだろう。女は自分のしている事についてを語り、それを僕に知ってもらおうというのだろう。
 静かに目を閉じて、女の言葉を受け止めていく。独り言であろうと話し声というのはどこか落ち着く。彼らがよく話していたからだろう。騒がしい程に、騒々しい程に。今思えば、どこかそれを悪くないと思い始める自分がいたのかもしれない。

「なればこそ、私は生み出そうと思うんだ。永遠でなくても良い、ただ私は……受け入れられないそれを……形として、成功として、結果として、生み出して……。私の手によって」

 何故、僕は受け入れたのだろうか。ただ黙っていれば良かったのに。それだけで……いや、違う。結末が分かっていたからこそ、その瞬間を僕は受け入れ……? 違う、違う。スタンは、ルーティは……。

「……あまりに、人の命は脆いものよな、チィ。なぜ、どうして、人は死ぬのだろうな……」

 混濁する。僕は左手を頭に添えて、なだれ込もうとする何かを振り払おうとした。だが、それは続いていく。女の言葉はもう聞こえていない。雑音同様に感じる。

 ルーティは僕が弟と聞いて驚き……スタンは一緒に救おうかと言い……いや違う、これは僕の知る僕の最後ではなくて……。何が、違うというんだ? これが、正しくて──

 その時、抜けられない場所へと落ちる前に、頬に温かさを感じた。そこで下げていた視線を目の前へと向けた時、小さな生き物……チィと目が合う。待て、頬に触れる温もりがコイツな訳が……。目を見開き口を開きかけた瞬間にそれは起きた。
 女とこのチィと、そして僕以外に人は居ないと聞かされていたのにも関わらず、人の声が聞こえてきた。優しいものでも声を掛けるようなものでもなく……それはまるで、かつての僕が賊を捕まえる時のそれ≠ニ似ていた。

「ここに居るのだろう! いい加減、手渡してもらう!」

 複数人の足音と共に響くようにこちらまで迫る声。僕はふと腰に手をやり、我に返る。そうだ……今の僕には武器になるものは何も……。

 「……少し、ここに座っていてくれ。決して言葉を発さず……ただじっとここで座って見て≠「るだけでいい。大丈夫、何かあればチィがなんとかしてくれるよ」

 女は勝手な事を言い出し、僕の頬に触れていた手を離した。先程まで触れていたのは、こいつの手だったのか。だが、見ているだけで良いとはどういうことだ?
 しかし、考えたところで進む時を止められるはずもない。ここに来る時に開かれたままの扉から、数人の人間が無遠慮なしに入って来た。それと同時に女は立ち上がり、僕の横に立って入ってきた人達を静かに見遣った。
 女の雰囲気が変わったのを、横で直に感じる。僕に向ける微かな優しさはなく、ぴりぴりとした空気がこの空間に漂い始めていた。

「……私しか居ないと分かっていて、無断で入ってくるとはな。許されている行為かもしれない、暗黙の了解かもしれない。しかし、今ここの主は私だ。それをわかっていて、か」
「そんな御託は要らん。早くお前が秘密裏に行っているという研究資料と地下へ、案内してもらう」
「嫌だと言っているだろう? 拒否権を行使させても、お前達は強行すのだろう? ならば、悪足掻きをさせてもらう。……最も、そうした所で地下へは行けないが、ね」
「だから案内してもらうと言っている。そこまで頑なになったところで、預言によって決められた結末は変えられない。諦めたらどうだ」
「諦めならとっくについている。何度も何度も、数え切れないほどに繰り返し失敗し絶望した。だが私は諦めの悪い人間でな、残念ながら例え決められて諦めていたとしても、絶望していても、辞めてやらないさ。私は絶対にやめない。私の命、私の微かな思い、願い……その全てを捧げるまでは絶対に、な」
「──ならば、今ここでそうせざるを得ないようにしてやろう」

 一人の男が前へと進み出てきた時、腰元に提げられている剣を引き抜いた。かと思えばそのまま女へと突っ込んでいく。僕は咄嗟に立ち上がる。……が、女は右手を上げて僕を阻止する──ような──仕草を見せつつ、その手を突っ込んで来る男へと向ける。
 何をするのかと見ていたら、その剣を手で女は受け止めた。勿論手から血が流れ、切れてしまったのだとわかる。……この女は、何をしているんだ。

「お願いだから乱暴事はやめてくれないか。言っただろう? 今ここの主は私だ。この研究所を手に入れようとしても、最早手遅れ。私が死んだとしても、脅しても、強制的に利用しても……無駄なんだよ」
「……どういう意味だ、アルヴェーヌ」
「これだから普通の人間に私の言葉の意味を汲み取れない低脳者の集まりは嫌いなんだ。私がその気になればここは消し飛ぶ。そして例えお前達であっても……生きてここから出られても、その全ては無かった事として記憶から抹消される。書き記しても無駄だ、言いふらしても無駄だ、奪おうとしても無駄だ。何をしても、どんな人であろうと……何者であろうとも」

 女は話しながら、握る剣を呆気に取られる男から奪い去る。そして僕の横に剣を投げ捨て、にたりと嫌な笑みを浮かべた。嘲笑うように、馬鹿にするように……そして相手を見下すように。
 こんな顔もするのかと、呑気になる僕がそこに居た。見ているこの光景を……どこか傍観しているような気持ちになりながら。どれだけこの状況が危なく、相手を煽っているのかは一目瞭然だ。馬鹿にされているのだと相手も気づいている。しかし女に近付こうとはしない。
 女の言葉が嘘か本当か、それは彼らも分かるのだろう。実際、女の言葉に嘘は見受けられない。こいつはずっと本当の事しか言っていないのだから。

「……さあ、分かったら出ていってくれないか? 私は忙しいんだ」
「譲り受けなかった事を、いずれ後悔する時がくるぞ」
「後悔も全て、私の今の行いだ。気にはしない」

 一人の男の言葉に、女はただ言葉を返す。暫くお互いが黙ったままに視線を合わせた後、数人の男達はそのまま出て行った。遠ざかる足音を僕はやはり、他人事のように聞いていた。
 僕ならば、相手が何を言おうとも捕らえていただろう。そして吐かせ、仕事を全うする。成果を上げていけば、きっと彼女が……マリアンが僕を僕として見てくれるのだと、そう信じて疑わなかったから。同情だと、分かっていても。僕が縋れるのは……マリアンだけだった。

「……あまりにも、憐れだな。いや、それは私もか……」

 女の小さな呟きが聞こえた気がした。しかし、その言葉を言葉として僕は聞き取れなかった。自分の考える事や思う事、そして今の現状と……僕を、飲み込もうとする何かにまたしても捕らわれていた。

「少年。……少年? おい?」
「……マリアン」
「……」

 生きている今、またもう一度……会いたいと願ってはいけないのだろうか。彼女は今幸せにしているのか? たまには僕の事を、思い出してくれているのだろうか?
 彼女は……マリアンは、僕の全てだ。マリアンが居るから、マリアンが居たから……僕は、僕自身は──

「お前は、マリアンが好きか?」

 不意に声が聞こえてきた。それは女の声だった。ハッとしたように僕は顔を上げると、女は静かに僕を見つめて同じ言葉を投げ掛けてきた。何度も何度も。まるで、呪符の様に僕へと投げ掛けてくる。
 僕はその言葉を受け止めることしか出来ない。

《見い出せぬ答え》

 何故と。どうしてと。僕は声を大きくして言いたい。死した人間をここまで弄ぶように、生かされていることに。まだ、足りないというのだろうか。まだ、成せというのだろうか。
 例え、誰かが僕の人生を可哀想だというのであれば……否と答える。例え、誰かが僕の行いを間違っているというのであれば……間違っていないと答える。後戻りができるとは思っていない、正しかったと思っているわけでもない。決められた道であろうとも、自分で選べる選択肢が無かったとしても。僕にとっては、あの時、あの瞬間こそが……僕にとっての──。……僕は、女の言葉に耳を塞いだ。

「……少年、答えろ。お前はマリアンを好きなのか?」
「……っ」
「何故答えない、何故見ない、何故聞かない。私はただ、問うているだけだ」

 耳を塞いで視線を下に向けて、聞こえない振りをする。違う、目を逸らしている訳じゃない。女の言葉が、僕を責め立ててくる。

「死んだ人間であるお前が、唯一執着する存在……心を許す存在。そして、拠り所であった存在。そう捉えられてもおかしくはない程に、お前はマリアンが好きなのだろう? なのに何故、頷かないんだ?」

 何故。そう問われようとも、僕は反応を示す事はしなかった。どれ程それが続いたのか……肩の上に何かが乗っかり、頬にふわりと生き物のそれが触れた事で、僕は顔を上げた。
 僕に問いかけ続けていた女は、打って変わって僕を静かに見詰めて小さな溜息を吐き出して背を向けた。肩に乗っていたのは、チィだと気付く。僕は少し安堵していた。
 何に対して? それは、僕にはわからない。問い掛けられる事に? 今の現状に? どちらにしろ、変わりはしない今をどうしようとも……無駄な足掻きだ。その事から自然と目を逸らすように、肩に乗るチィにそっと触れてみる。暖かいことに、少し心が軽くなった気がする。

────
──

「少年」
「……なんだ」

 不意に声を掛けられて、僕は女の方に視線を向ける。しかし女は僕の方は見ず、手は止めていない。適当に座った席の机上でチィがペンを持って遊び始めているのを、女に向けていた視線を目の前に戻す。
 先程の人達が去った後、女はずっとあの調子だ。部屋に戻ろうかとも思ったが……ここには置き去りにされた剣が未だに転がったまま。そして女の手の怪我も手当していない。

「お前も、私が行っている事は……間違っていると思うか?」
「……それは、どういう事に対してだ。僕はお前が何をしているのか……知りもしない。それに対しての質問ならば、答えることなど出来ない」
「……フォミクリー」

 フォミクリー。そうと言葉を発した女に、僕はまた視線を向けた。視界の端でチィはペンを持ち上げているという事を僕に必死に見せてくる。僕は言葉の意味がわからず、女の言葉を待った。フォミクリーとは何なのか。憶測で語っても意味は無いだろう。
 未だにこっちを見ないそいつは、フォミクリーがどういうものかと語り始める。まるで読み上げるように……そこに書かれている文章でも読み上げるように。僕は女の話を聞き、そしてそっと目を閉じる。

 複製する技術は、聞くだけなら可能なのかと考えてしまう。僕の知る限り……そんな非現実的なものを……ましてや人に施そうとしている行為自体間違いではあるのかもしれない。しかし、間違いであろうと目の前の女はそれを行っている。どれほどの時間を費やしたかなんて……僕に知るはずもないのだ。
 だからこそ僕は、間違ってもいなければ……正解でもない。そう答えた。

「そのフォミクリーという実験が複製する技術というのは理解出来た。だが僕はそれに対して正しさ等という決められた答えをするつもりは無い」
「何故。複製するとはコピーだ。……所謂、冒涜する行為……摂理を……。──嗚呼そうか……」

 女はどこか理解したかのように呟いて、僕の方をようやっと振り向いた。赤い瞳が僕を射抜く様に見つめてくる。そばにいたチィはペンを下ろし、女の元へと行ってしまう。

「今日はもう遅い。また明日……変わりのない朝を迎えられた時にでも、お前に教えてやろう。お前だからこそ、この哀れな私の……最後をお前に」

 どういうことか。僕はそう問い質すが、それきり口を開くことはなく……女は椅子から立ち上がると部屋を出て行ってしまった。残された僕は、項垂れる様に机に突っ伏す。何故僕はこんなにもあの女に振り回されなくてはいけないのか。いや、手当ても置き去りにされている剣の事を考えると……僕はここから動けなくなってしまっているのかもしれない。
 置き去りの剣は、僕が持ち寄っても良いものなのだろうか。いや、これから先を考えてしまえば……自分の身を守るものぐらいは持ち合わせても良いだろう。あの女も、僕にそれを手にするなと忠告はしてこなかった。しかし僕がそれを手にしないという過信から来る事も……考えなくはないのだが。

「……」

 あの女は……アルヴェーヌと呼ばれていた。思い返すと、お互いの名を……ちゃんと教え合っていない。いや、どうせ教えたところで何になると言うのか。利益等、生まれるはずもない。
 僕は机から顔を上げれば、部屋に戻ろうと椅子から立ち上がる。そして視界の端に剣を捉えると、それを手に取った。これを僕の獲物とすれば……ここを出て行けるし、何者かが襲って来ようと返り討ちには出来るだろう。シャルが居ない今、選んでいられない。

 拾い上げた剣を手に持ち、暫く眺め。……僕はそれを机の上に置いてから、その場を後にした。





     

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