あなたの傍に | ナノ
1話
 


 少し大きめの籠を両手で大事そうに抱える少女は誰かを探しているようで、小走りになりながら周囲を見渡していた。しかしそう遠くない場所に、少女は探していた人物を見つけその背中に声を掛ける。呼ばれた人物は個々がまるで小さな島そのものを繋いでいるアーチ型の橋の上で遠くを眺めており、少女の声によって振り向けば綺麗な黄金の髪が揺れる。

「いたいた……! ジョニーさん!」
「どうかしたのか? ……うん? その持ってるものは……」
「貰ったの。ちゃんとご飯食べてるの? って言われて。私、ちゃんと食べてるつもりなのに……そんなに小さい?」
「ッハハ! ま、小さすぎるからなぁお前さんは。ちゃんと食べなきゃ綺麗な女性になれないぜ?」


 自分の努力が足りないのかと俯き、唇を尖らせながら小さく呟いた。ジョニーと呼ばれた者は冗談なのか本気なのか、きっと前者である言葉を少女に掛けながら頭を撫でてやり、しゃがみ込んで髪で隠れてしまった顔を覗き込む。唇を尖らせている少女の瞳はまるでいつまでも子供扱いされることを嫌がるような表情だった。
 しかし無理もないのかもしれない、つい最近まで何もわからないような子だったのだから。ジュニーは苦笑の笑みを零してじっと見つめる。「最近まで何も記憶がなかったんだ、仕方ないさ」と慰めるように言葉を掛けるが、納得がいかない様な分かっていない様な、彷徨う瞳とぶつかる。


「……ジョニー、私――」
「あまり思い詰める必要はない。ゆっくり、思い出せばいいんだ。……さて、そろそろ暗くなってくるから帰ろう」
「……ん、」


 少女の持っている籠を右で持って空いている左手で少女の手を掴む。それになんの疑問も持たずに握り返し、ジョニーの顔を見上げて寂しそうな笑みを向けた。本人はそんなつもりもないのだろうが、向けられている方までもが寂しいような、悲しい気持ちになってしまいそうだ。


 ジョニーが少女と出会ったのは、今から二年前。ここ、シデン領から少し外れの森の方で全身傷だらけの状態で発見した。その時こそは気にせずにいたが、どうにも少女が目を覚ますまでの間が奇妙であったのだ。眠っているとは理解しているのに、どこか自分から眠りの中に落ちているような表情をしており、ジョニーも自分の家で寝かせてはいたのだがどうにもそばに居られずに留守しがちにしていた。
 それが正解だったかはわからない。それでも奇妙で、居心地が良くないと感じてしまうのだから仕方がないのだ。しかし今の少女はあの時とは違っている。笑い、時折悲しそうな表情をしようとも懸命に今を生きようとしている姿があった。

 シデン領のここは鎖国されている国で、部外者がいれば皆が怪訝な、物珍しそうに視線を寄越してきたりするなんとも外から来た人からすれば居心地が悪いと言ったらない。しかし少女はまるで生まれた時からここで育ったかのような振る舞いはジョニーでの時々思ってしまう。馴染んでいるのだ、この国の環境に。

 ジョニーの隠れ家である家に帰ってくれば当たり前というような動きで自分の定位置に座り込む。その姿があまりにも従順で、ジョニーは適当なところに籠を置いて苦笑を浮かべる。


「最近、考え事が多いみたいだな」
「……うん……なんか、私にはやんなきゃいけないことがあった気がするの……なにかが」
「……ちょっとこっちにおいで、アリア」


 膝を抱える体制だった少女、アリアと呼ばれたことで立ち上がりジョニーのいるそばへと近づいていく。近づいてきたアリアの頭に手を乗せ「焦らなくていい」と落ち着かせるように言うが、それが気休めだということは理解していた。だが、言わずにはいられないのは、ここ最近でのこの空気の悪さの悪化だ。ジョニーは分かってはいるが、今ここから離れることができないのはこの少女が気になるからだろうか。
 考えに耽っているとき、アリアはジョニーの顔を見上げて「私、」と言葉をこぼして、笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。


「お散歩、してくるね。あと、お買い物もしてくる」
「一人で大丈夫か? 俺は少し用があって出ることになるが……」
「……ね、ジョニーさん。私のことは心配しないでください」


 ふと、アリアはそんなことを言い出した。「私、迷子にならないように帰ってくるから」と冗談っぽく言ってみせる。その姿にジョニーは頷いてそっとアリアの手を握り、ちゃんと帰ってくるようにと念を押すように呟いた。苦笑しながらも頷いて、アリアは護身用に持っている剣を白黒のベルトの間に差し込む。
 国内とはいえ、ここ最近で目立つ状態にもアリアは気づいていた。その事実を知っているジョニーがアリアにそれを話したことはなくとも、察しはついていた。だからこそ、アリアは健気に待っていると示している。その言葉に甘えてしまってもいいのか、正直少し迷っていたがアリアは襖に手を掛けて振り向きながら行ってきますと笑顔で出ていった。


「……行ってきます、か」


 まるでその言葉が、ジョニーには最後のように感じてしまう理由を本人にもわからなかった。




 神の眼を追いかけ、スタン達はシデン領へと来ていた。神の眼を盗んだグレバムを追うために、そして泳がせていたバティスタに神の眼とグレバムがどこへ行ったのかと聞き出すために。モリュウ領にいるとわかったのだが、どうにもスタン達にはここの空気がなかなかに合わないようで、早くここに住んでいる者に情報を聞き出そうとそれぞれの方向へと各自歩き出した。
 あまり離れてしまうわけにもいかないが、かといって固まっているのもさらに目立ってしまう気も少なからずあった。ならば、手分けして聞き込んでいった方が効率的ではある。


「あまり長居はできないぞ。迅速に、かつ――」
「フードサックの補充くらいはしていいよな? もう残りが少ないんだ」
「あんたが道中食べ始めるからでしょ! そんなことより早く情報を集めるわよスタン! ここの空気、好きじゃない」


 スタンと呼ばれた青年は「えー」と少し不満をこぼし、ここを見て回りたいという表情がありありと現れていた。どこの場所へ行こうと見るものが全て興味が湧いてしまうのも、仕方ない。今ここにいるシデン領は他とは違う文化のようで、着ているものや雰囲気が変わっていた。尚更、スタンたちが浮いている事を再確認してしまうようだ。
 スタンの腕を引っ張りながらお店があるであろう所へと迷わず歩き出す。引っ張られながら「ルーティ!」と転びそうになりながらルーティと呼ばれた方へと顔をわずかに向ける。


「そんなに引っ張らないでくれよー」
「うっさい! このスカタン! いいから、来る!!」
「うわわっ」


 個々で行動を見ていた紫色の瞳を持つ少年が背に着けている桃色のマントが風ではためく。『相変わらず騒がしいですね〜』と腰元に提げている剣から声が聞こえてくる。その声に溜め息だけで返事をするようにしながらかぶりを振った。ここに来るまでの間、若干疲れが表情に現れてきていたが、そうも言ってられない。あと一歩なのだ、神の眼を取り戻しさえすればまた彼女との時間を過ごせる。


『うわっ壮大に転んじゃったなぁ、あの子。痛そう〜……』
「……丁度いい」


 だが少なからす、どこかでこの旅で何かが変わったような、そんな感覚を感じていたとき腰元の剣がまるで自分が痛い思いをしたような口ぶりにそちらへと視線を動かす。きっとここに暮らしている人間なのだろう、両手で持っていた何かを転んだ拍子にそこかしこへとばら撒いてしまっていた。その一つが自分の元へと転がってきて、拾い上げながら近づいていく。籠など持っていなかったのか、持ちきれないほどの果物を懸命に拾い上げては腕の隙間からこぼれ落ちていって終わりが見えない。


『お、珍しいですね〜坊ちゃん。積極的じゃないですかぁ!』
「あまり悠長にしていられないんだ、相手が誰であろうとも話を聞くに越したことはない。……おいお前、ここからモリュウ領へと行く洞窟を知らないか」
『わかりますけど、もうすこーし優しさを持ってあげたらどうですかあ? って言ってももう遅いね……』

 行動の早い主に、腰元の剣は苦笑交じりに成り行きを見つめていた。果物を拾うのに必死で坊ちゃんと呼ばれた彼、リオンはその態度に表情が険しくなる。聞こえていないはずはない、だが声を荒らげて言えるものも言えなくさせてしまってはどうしようもないがいつもの調子で「おい!」と声を大きくすれば持っていた果物が全部また地面を転がっていく。その一つがリオンの足元へまた一個と転がってきた。


「貴様に声を掛けているんだぞ! 無視をするな!」
「ひぅ……! な、なに!?」


 やっと今気づいたように、声を掛けられた子は顔を上げた。緑色の髪と目は驚きに満ち満ちてリオンを見上げ「な、なんでしょう?」と恐る恐る立ち上がって距離を縮めた。そのさりげない動きにリオンは何故近づくのかとそれに合わせて一歩下がる。だが一歩下がれば、その子も一歩近づく。


「あのぉ……なんで下がるん」
「貴様が近づくからだろう!? 何故近づいて――」
『坊ちゃん、もしかしてその子耳が…………って、あ、れ?』
「どうした、シャル……?」

 今にも剣を抜きそうなリオンに腰元の剣、シャルティエが困惑と何か引っ掛かるのか言葉が途切れる。今は相棒であるシャルティエが気になるのか、目の前の少女を気に止めることなく「シャル?」とまた声を掛けた。


『えーっと……坊ちゃん、ちょっと僕をその子の前に出してくれません? ちょっとでいいです』
「……まさか、シャルの声が聞こえると?」


 怪訝そうにしながらも、相棒の言葉に耳を傾けて目の前の少女に視線を向ける。リオンの言葉を聞いて「シャル?」とここに自分以外に誰がいるのかと辺りを見渡していた。この様子を見るからにシャルティエの言葉が聞こえている様子は無さそうだが、言う通りに少女の前にシャルティエを持ってくる。
 少し不機嫌そうにしながらも、きっとシャルティエの行動には無意味はないと思っている為行動に移した。だが少女は目の前に掲げられた剣を見つめ、首をかしげた。目の前に出せと言ったのに未だにシャルティエは何も話さない。どういうことだろうか。



「……あのう?」
「おい、シャ――」
『アリア……だよね?!』
「アリア……?」


 だんまりを決め込んでいたシャルティエはまるで確信を決めたように、そう声を上げた。別段驚くこともなくリオンはシャルティエの言葉をオウム返しに呟けば、少女の肩がビクリと震えるのを見て紫色の目を細めた。だがシャルティエの言葉に反応したのではなく、リオンの言葉に反応したように見えたが気のせいだろうか。
 シャルティエはどう言葉を掛けたらいいかとコアクリスタルを点滅させている。その様子がどうにも落ち着きがなく、そしてもしかしなくても聞こえているかもしれないなんてのは桔梗でしかないとリオンは考えていた。ここでシャルティエの希望を打ち消してしまうのはいけないことだろうか。なかなか言葉が出てこない。否、言葉を紡ごうと思ってはいなかった。


『ああやっぱりアリアだったんだね! でも、なんでここにいるの? それにあの時よりもなんだか、大人っぽくなった? いや〜綺麗になったよねえ』
「……」
『あれ、でもなんで……』
「あの、私……あなたとどこかで会いました?」


 今まさに諦めて声は聞こえていないと言おうとしたその時、少女はシャルティエを見つめ困った表情で小さく言葉を紡いだ。まさか、本当に聞こえるというのか? なにかの間違いでは、とリオンは困惑した。だが少女の視線はシャルティエのコアクリスタルに注がれている。開きかけた口を閉じると入れ替わりのようにシャルティエは『あ、もしかしてこの僕とは初めてだっけ?』と今にも首を傾げるような声で言ったあと、自己紹介を始めた。
 アリアと呼ばれた少女は話すシャルティエの言葉に一拍遅れて反応を示し、そしてリオンを見つめた。きっと彼についてもアリアは知りたいのだろう。


『あ、彼は僕のマスターのリオン・マグナスっていうんだ。言葉はきついけど、とても優しいんだ!』
「!? おいシャル! なぜ僕のことまで……っ」
『いいじゃないですか〜減るものじゃないですし〜』
「減る減らないの問題じゃ……!」
「……リオン、さん?」


 ぽつりと呟かれた名前に、リオンは目を見開いて固まった。馴れ馴れしいと思うのと同時に何かを感じ、シャルティエ越しにアリアの方を見やる。緑色の目はリオンの目を見つめ返し、微かに首を傾げさせた。どこかで出会っただろうか、そんなはずはないのに違和感を拭えないでいた。その時「リオーン!」と名前を呼ばれ、ハッとして後ろを振り返るとスタンが手を大きく振ってこっちへ来ていた。自分が聞き込みをするよりも向こうの方が早かったようでアリアから背を向けて黙って来るのを待つ。

 スタンによればここからそう遠くない洞窟から行けるという話を聞き、全員集まり次第出発だと言えばまるで今気づいたようにリオンの背後にいるアリアを覗き見た。なぜか居心地が悪くなったリオンはその場から離れようとスタンの横を通り過ぎようとしたとき、腕を掴まれ進めない。誰だと振り向けば、アリアは表情は変わらずにリオンを見つめ続けていた。もしや自分が目を逸らしたあとも見続けたのではないのか。そう感じれば恐怖と表現すればいいのか、異様な感覚が全身に駆け巡っていく。緑色の目を見ることが怖いと思うなんておかしい。リオンは咄嗟にアリアの手を振り払い「さっさと全員連れて出発するぞ!」と言葉を捨てていくようにして急いでその場から離れた。


『ぼ、坊ちゃん? どうしました?』
「……なんなんだ、あいつは」
『アリアのこと、ですか?』
「あいつの目は……僕の何を見ようとしていたんだ。まるで僕のことを知っているような目をしていた……」
『えっ』


 誰に話しているわけでもなく、独り言のように呟いた言葉を聞いてシャルティエは困惑したようにせわしなくコアクリスタルと点滅させた。出会ったことはないはず、と言葉をこぼしてもリオン本人に聞こえるはずもなく、ついには黙り込んだ。

 どこまで歩いていたのか、ふと立ち止まって頭を振った。今そんなことを考えている場合ではない。グレバムを追いかけ、神の眼を取り戻さなくては。
 空を仰ぎ見れば、リオンの今の気持ちとは裏腹に、雲ひとつもない青い空が広がっていた。そしてそれは、このシデン領にも当てはまっている。空とは大違いに、ここの人々は切羽詰まったかのような、晴れやかに、楽しそうにしている人を見ない。だがどんな事情がここで起こっているかなど、リオンにはどうでもいいこと。


「……マリアン」


 早く帰って、彼女の笑顔が見たい。たとえそれが、同情の眼差しであったとしても。




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