長編 | ナノ


prologue 
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 はらはらと舞う粉雪に紛れ溶けてしまいそうな乳白色の髪を靡かせる女性は鉛色の空を見上げ、そして血色の悪い唇を震わせ掠れた声で呟いた。あまりにも無慈悲だ、と。
 容赦無く体力を奪う冷たく汚れた床、ゴツゴツとした荒い壁に錆びた柵。鎖に繋がれ力なく項垂れた二人の男性は揃って僅かな願いを馳せる。もう二度と逢えないであろう妻や子供へ、ただ元気でいてくれさえすれば、と。
 信念を貫き通した結果、命を落とした者もいる。悪にはその場で極刑を処することさえ許された時代である、悪が正義に命を刈り取られることが問題視されることはなく。たとえその悪が己の信じたものに忠実だっただけだとしても。己の信念を貫いた者たちに待ち受けていた結末は、無慈悲で当然で残酷で、やはり当然なのだろう。
正義から語られる物語は決まって悪が膝をつく、ならば悪と評された者たちから語られる物語はーー。
 悪と評された者たちが過ごした青春は正義と評される者たちが過ごしたものとなんら変わりない、覗く度に色や形を変える万華鏡のようで、初々しく瑞々しく甘酸っぱい果実そのものであった。


 比較的スリザリン寮は貴族や名家の出である子が多く、お高くとまる偉そうな生徒か陰険陰湿な生徒ばかりだと思われがちだ。賑やかなグリフィンドール、穏やかなハッフルパフ、真面目なレイヴンクロー、偉そうで根暗なスリザリン、こうした認識が板に付いている。しかしグリフィンドールにもスリザリンのような性質を持った生徒が居り、逆もまた然りなのだ。人は仮面を付けずには生きてはいけない、暗を隠す明、明を隠す暗といったように。
 ヴォルデモート卿がじんわりと確実に勢力を拡大している時世、親が部下であったり彼の思想に尊敬の念を抱いていたりと、スリザリンを主軸にホグワーツ校内の空気は澱んでいると言えよう。そんなスリザリン寮の近頃の内情は、色んな意味で混沌だった。

「ロジエール先輩、今日の呪文学で失敗したそうですね。 あたしでも使える魔法を先輩が失敗するなんて噴飯ものです」

 暖炉近くのソファーで項垂れる男子生徒をつり気味な若緑色の瞳で見下ろし、深い紫色の髪を肩上で揺らす少女は辛辣な言葉を投げつけ、ニヤリと唇を歪ませる。ロジエール先輩と呼ばれた男子生徒はわなわなと肩を震わせ少女へ振り返り、灰青色の鋭い瞳で睨みつけた。

「おまえは棚に物を上げて言うのが好きなようだな、ジゼル・ブラッドレイ。 昨日、薬学で溶かしたらしい鍋はどうした?」

「…情報収集だけは賞賛に値します。 ですが使えないほど溶かしたわけではありませんので。 ニ年の時に鍋を爆発させたロジエール先輩には言われたくありませんね」

 睨み合う若緑色と灰青色に刺々しくなる談話室の空気、しかし今此処に集う者は生暖かい目で傍観しているだけで。腰に手を当て胸を反らすジゼル・ブラッドレイ、こめかみを引き攣らせ眉を吊り上げるエヴァン・ロジエール。会話は常に喧嘩腰で何かと張り合う殺伐とした二人の関係はスリザリン寮生にとって既に日常茶飯事で、寧ろ仲睦まじいとも思わせるものであった。
 事の切掛はジゼルが入学してから数ヶ月経った頃、当時二年生だったエヴァンが一年生にしては優秀だと寮内で密かに噂されていたジゼルを挑発したからである。本当に優秀なら俺と決闘して実力を見せてみろと。血の気が多いジゼルは当然の如く挑発に乗ってしまったのだが、たとえ一学年しか違わなくとも知識や技術の差は歴然。以降、負けず嫌いなジゼルはこうして事あるごとに辛辣な言葉を投げかけ、同じくして負けず嫌いなエヴァンも痛いところを突いて喧嘩を吹っ掛けているのだ。そういう訳で寮生たちは二人なりの不器用で歪な関係を温かく見守っているのである。

 だがこの年代の曲者はジゼルとエヴァンだけではない。
ジゼルと同級生のセオドア・マルシベール。彼は自慢の容姿と計算済みである人当たりの良さを活かし、興味を抱いた対象を闇へ引きずり込むことに悦を見出す、クズと呼ばれても仕方の無い人物だ。今は一学年上のレイヴンクローの女生徒、イオネ・ベイリアルを堕とすことが目標らしく、彼女が所属する薬草研究部に足繁く通っているがこれまた彼女も曲者らしく上手くいかないようで。

「ブレア先輩、ニール先輩の所在をご存知ありませんか? スラグホーン教授から預かり物がありまして、部屋にも居られないようなので」

「そうね、この時間帯なら天文台で星を眺めていると思うから…。 預かり物は私がきちんと手渡してくるわ。 いつもごめんなさいね、ルシウス」

 ルシウス・マルフォイから手渡された羊皮紙をカーディガンのポケットへ丁寧に仕舞い込んだのは、現在五年生で監督生を任されているブレア・エインズワース。眉尻を下げて苦笑するブレアにルシウスは短く、いいえと答える。この二人はまだまともだと言えよう、問題はぼんやり屋で放浪癖があるニール・セルウィンだ。珍しい浅緑色の長髪を靡かせて談話室を後にするブレアの背を眺めるルシウスは思う、彼女は自身が入学した頃からニール・セルウィンのフォローに回ってばかりで、大変なのは彼女の方ではないのかと。

「……ブレア先輩の方からの婚約破棄も十二分に有り得そうだ」

 地下から天文台への道は楽ではない、寧ろ過酷だ。それでもブレアは息絶え絶えになりつつ階段を登る、全てはニールの為だと思えばこれしきなど苦ではなかった。幼馴染で婚約者という家の拘束からくるものではない、ただ自身にとってニールはとても大切な愛おしい存在であるからだとブレアは痛いほどに理解している。自他共の感情に疎すぎるニールがこの気持ちに気付いてくれることは無いということも、胸が軋むほどに。

「ニール、そんな薄着じゃ体調崩すわよ?」

「……ああ、ブレア。 何か用なの」

 振り向きもせずにぼんやりと夜空を眺めるニールにブレアは肩を竦める、せめてこの放浪癖だけはどうにかして欲しいものだと。そっと近付きカーディガンのポケットから羊皮紙を取り出し、普段と変わりない微笑みを浮かべて手渡すブレアをニールは感情の欠片もない翡翠色の瞳で見つめる。

「……スラグホーン教授から、か。 また招待状か何かだろう。 どうもありがとう」

 淡々と抑揚のない言葉にブレアは笑みを深めて、どういたしましてと返す。吹き抜ける冷たい風が肌を、心を容赦無く射抜いたことは無かったことにして。これでもニールに一番近しい存在は自分だけなのだと言い聞かせ彼の隣に腰を下ろす。会話すら無い静かな空間が二人にとっては当たり前で。


 それでも若い曲者たちの青春は、歪であろうとなんであろうと万華鏡のように色を変えていく。


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