どんな顔で、どんな言葉を。


「お前が女だったらホント良い嫁になるよな」
「……そりゃ、どうも」


 まじり気のない、満面の、くつろぎきった笑顔でそんなふうに言われてしまったなら、一体、どう返せばいいのだろう。分からなかった。
 穏やかな休日。何度目かも忘れてしまった、青峰と過ごす昼下がり。
 何も分からなかったから、火神は満腹の腹を撫ぜてソファーに転がる青峰から目を逸らして、目の前の作業に没頭することにした。
 広いシンクの中、山盛りの食器と片手に提げた泡立つスポンジ。
 例によって前触れなく押しかけてきた青峰の我がままによって、今日の昼食は親子丼からオムライスと唐揚げへと変えられた。使えなかった三つ葉は何に使おう。白い皿にこびりついたケチャップが目につく。
 背中越し、青峰の声はまだ続いていた。


「お前女だったら巨乳だろうしよー、マジ俺の理想だわ」


 ……頑固な汚れだ。むきになってスポンジを使う。もうちょっと洗剤を足そうか。何も聞かず、集中したい。泡まみれの手では耳を塞げない。


「なー。何でお前、おっぱいついてないの?」


 あ。
 思ったときにはもう遅かった。
 滑って落ちて、飛び散って。床の上、粉々に砕けた皿。けたたましい音に流石に驚いたようで、上体を起こした青峰が視界の端っこに映った。けれど、そちらへは向かなかった。どこか鈍い思考の中で、それでも片付けようと手を伸ばす。
 痛んだのは指の先。ぱたぱた、と、赤いものが落ちるのを、他人事のように見送った。


「ッ何やってんだ、バカガミ!」


腕を掴み上げた男が酷く怖い顔をしている理由が分からなくて、火神はひとつふたつ瞬きをした。コイツは何をそんなに――……


「バスケバカのくせして手に怪我するとか何考えてんだ。馬鹿か」


 ……ああ、そうか。そうだよな。お前にとって、俺は。
 納得して、火神は淡い笑みを浮かべる。困ったような、呆れたような、何とも言えずしずかな表情だった。目の当たりにした青峰が顔をしかめた。
 何、笑ってんだよ。低く発せられた声は苛立ちを露わにしている。気にせず、少し首を傾げ、その目を見据えた。底なしに深いコバルトブルー。
 ――場違いにも、すきだな、と思った。


「なぁ、青峰。お前にとってさ、俺って何?」
「……んだよ、それ。くっだらねぇ」


 そうだよな。くだらない質問だ。それくらい、分かっていた。

 影を介して知り合った。
 圧倒的な光を見せつけられ、最初はただ純粋に、一人のプレイヤーとして、まばゆいその才能に憧れた。それだけだった。それで終われば、きっとよかった。

 何だったか、ああ、そうあれだ、誘蛾灯。青峰大輝という男はあれに良く似ていると、火神は思う。
 夜闇に浮かぶ青に魅せられ近付けば身を焼かれる結末が待っている。理解していてもなお惹かれてしまう、暴力的な光。

 それでも、傍若無人なら傍若無人なり、傲慢なら傲慢なりに、最後までこちらを顧みずにいてくれたならよかった。なのに、何の気まぐれだろうか。
 例えば想像より無邪気な笑い顔だとか、節の高い指だとか、乱暴な手のひらだとか。そんなものの温度に触れられる位置に、青峰は火神を据え置いた。
 青峰から無造作に与えられるそういうささやかなものたちがいつの間にか降って、積もって。

 「好きだ」と、声を振り絞ったのはいつだっただろう。夜だった。ストバスで散々1on1に興じた後、自然な流れで家へと招いた青峰と二人で歩く、暗い帰り道だった。
 緊張のし過ぎで掠れそうになる声をどうにか絞り出して、汗をかいた手をきつく握って。見据えた横顔は明かりのないせいでどんな表情かまるで分からず、けれど聞こえた声は上機嫌に、「へぇ。そりゃいいな」と――……


「……そうだよな。お前、最初から言わなかったもんな」
「おい、火神?」
「俺が一人で舞い上がって、落ち込んで、それだけの話だもんな。悪かった」


 だから、もういい。
 ニッと笑ってそう告げると、間近の瞳孔が大きく開いた。
 なんだよ、それ。
 どこか呆然と呟く青峰の手をもう一度だけ、最後に握って、抵抗のない身体を玄関まで導く。靴を履かせ、背中を押してドアの向こうへ押しやったところで、はっとした顔の青峰が勢いよくこちらを振り返ったが、火神は表情を崩さなかった。


「お前がどういうつもりだったかは知らねぇけど、ありがとう。俺はお前が好きだった」
「おい、火が」


 青峰の言葉を遮って重たいドアが閉まった。激しいノック、呼ばれる名前。聞きたくなくてリビングへと戻る。崩れるように座ったソファーにほんのり移った体温を感じて、何か熱いかたまりが喉に詰まった。
 苦しい。苦しくて堪らない。意識なく握り込んだ手、指の先が疼いてぎこちなく開いた。
 終わった。違う。終わらせたのか。この手で。じんじん疼く小さな傷。
 小さな傷だ。跡も残らず消えてしまうような、小さな小さな切り傷だ。
 なのに、どうしたらいい。

 痛い。


End...?
(なきむし@130131//黄→火を絡めてごちゃごちゃした後ハッピーエンド!まで考えたけど力尽きた^p^)
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