※ヒロインは風間隊所属の後輩という設定です。



どうしてこんなことになってしまったのだろう。ぼんやりとして上手く働かない頭で考えてみても、ことのいきさつを思い出すのには暫く時間がかかった。

身体を起こして部屋を見渡してみる。それまで私が寝ていたらしい大きめのソファのスプリングが鳴る。ああ、ここはボーダー本部の小さな会議室だった。ただでさえ隊員数や職員数と比較しても部屋数はかなり多いのに、この部屋は長い廊下の突き当たり近くにあって、とりわけ目立ちにくいのだろう。人気もなく、半ば物置として使われているように思えた。

決して広いとは言えない、無機質なこの部屋に、温もりを孕んだ衣服が乱雑に脱ぎ捨てられている。それは私の服だけじゃなくて、見慣れない男物の――風間さんの服も、床に落ちている。

そこまで思い至って、はたと後ろを振り向く。窓ガラスを鏡代わりにして、短い髪を手ぐしで整えている彼の姿があった。下着のみを履いて窓ガラスの前に立つなんて。「外から丸見えじゃないですか、服を着てください」と、言葉は喉元まで出かかっていたのに、それは彼によって遮られてしまった。柔らかな唇と唇が触れ合う。触れるだけ。しかし優しく甘いその感覚は、時計の針を永遠に止めてしまうようだった。


「…わかっただろう。なまえと一緒にいたら、俺はこういうことをしたくなるし、あらゆる危険を遠ざけてなまえといつまでもこうしていたいと思ってしまうんだ」


彼の言葉で、私はこの状況に至るまでのすべてを思い出した。



近界への遠征部隊を選抜するときが、すぐそこにまで迫っていた、ある日。名乗りを上げた隊とその構成員の名前が貼り出された。「この隊とこの隊が闘うのか」「今回の遠征はどの隊が指揮をするのか」本部内は一様に、遠征部隊選抜戦に関する話題でいっぱいになった。A級の見知った名前がずらりと並んでいるのだろう、と、掲示場所を通り過ぎるときにちらりと横目で名簿を見た。風間隊、と書かれたその下に、私の名前はなかった。

提出書類の不備とか、名簿作成の際の事務的ミスとか、考えられる要素はたくさんあった。しかし、単に不注意によって、私の名前が記載されなかったのではないことに、なんとなく気付いていた。


「俺に全面的に非がある」


重大な理由なしに、私を隊から外すなんて考えられなかった。風間さんはいつだって真面目で誰よりも仲間想いの優しいひとだ。だからこそ、彼の真意を聞くのが堪らなく恐ろしくなった。出会い頭に「あの、さっき選抜戦に出る隊の名簿が貼り出されてましたよね、そこに私の名前なかったんですけど…」と、世間話を装って、言葉を紡ぐことしか出来なかった。私の言葉を聞くなり彼は、どういう訳か泣き出しそうな、寂しそうな顔をして、深々と頭を下げた。


「え、あの、顔を上げてください」

「気の済むまで殴ってくれて構わない。俺はなまえを深く傷つけようとしている」

「風間さん、声が大きい…」

「なまえと話し合ってから決めるべきだったと、後悔している」


まだ隊員も多く残っている本部で、A級部隊の隊長が、隊員である後輩に頭を下げている。しかも謝っている。この光景はひどく人目を引いたようで、周囲からあらゆる声が聞こえる。ひとつひとつの声は小さすぎて聞き取れないが、私たちを見て何かを囁き合っているのは明らかだった。

「場所を変えましょう」私は彼と一緒に人気のない部屋を探す。オペレータールームにもラウンジにもまだ人がいるだろう。彼が言おうとしていることは、あまり私の後輩には聞かれたくないと思った。ふたりきりで話が出来る場所。それならば、と、廊下の奥まった場所にある小さなドアを開けると、長らく使われていないであろう会議室を見つけた。私と風間さんは、その部屋に入る。

部屋にはソファとローテーブル、それに事務用品らしき段ボール箱の山しか置かれていない。ふたり並んでソファに座って、痛いほどの静寂を噛み締める。暫くして、風間さんが再び私への謝罪を口にして、沈黙を破った。


「その様子だと、意図的に、私を選抜戦のメンバーから外したんですね」

「ああ、そうだ」

「理由が知りたいです」


真っ直ぐ私を見つめていた彼が、視線を逸らし、そのまま話し始める。


「近界は三門と比較も出来ないほど厳しい環境だと聞く。戦闘員の人数は少ないほうが、連携がとりやすい」

「今までずっと四人で訓練してきたのに、近界ではいきなり三人で戦うんですか?」

「なまえはほかの二人と年が離れている。トリオン器官の問題もある」

「それを言うなら、私より風間さんのほうが年上じゃないですか」

「なまえよりあの二人のほうが実力がある」

「昨日風間さんが会議でいなかったので、久し振りに皆で模擬戦をやったんですけど、なんとか二人に勝てましたよ、私」


今日の風間さんは頑固だ。見え透いた嘘を並べても、絶対に私は騙せない。私はずっと彼のことを見てきたのだから、彼の話し方も癖もそこから滲み出る感情も、全部全部知っているのに。


「どうしてそんな嘘つくんですか」

「…嘘じゃない」

「知ってました?風間さんって、嘘つくときだけ目を合わせてくれないんですよ」

「………」

「誤魔化さないで。本当のことが知りたいんです。本当の理由が」

「………」

「理由を聞いて納得出来なければ、私は引き下がりません」

「…なまえには、謝ることしか出来ないな」


風間さんは観念したように肩をすくめ、もう一度私に深々と頭を下げた。それからゆっくりと頭を上げ、私の瞳を鋭く捉えた。私は思わず息を飲む。鷲に身体ごと捕らえられた小さな動物のようだと思った。選抜戦から外され、隊長には安い嘘をつかれ、私は言わば被害者の立場であるはずなのに。しかし、今度こそ、本当のことを話してくれるだろう。


「なまえを近界には連れて行けない」

「………」

「それは…俺が、なまえを愛してしまったからだ」

「…は?」


予想外の方向から頭を打ち抜かれたような思いがした。思考が真っ白になる。目の前の風間さんは、表情こそ変えずに私を見つめ続けているものの、耳が少しだけ赤くなっているような気がする。緊迫したこの部屋の空気が、一瞬で甘く色付いた。


「え、えっと、それはどういう」

「言葉通りの意味だ。なまえ、好きだ」

「私も好きです、けど、選抜戦とどう関係が」

「愛した女を危険な場所へ連れて行きたくない。遠征艇という狭い空間の中で何日もなまえと一緒に健全に過ごせる自信がない。遠征艇で他の男とも一緒に生活してほしくない。仮になまえを近界に連れて行ったとしても、そういう懸念事項がいくつもあって、俺が戦いのみに集中出来ないと思った」

「………」

「…全部、俺の我儘だ」


だから気の済むまで殴っていい、と風間さんは一向に譲らない。しかしそれ以上は何も言わなかった。

風間さんに――ずっと想いを寄せていた相手に、愛されていたと知った喜び。戦闘員としての実績と実力を反故にされたことに対する悔しさ。驚き。悲しみ。嬉しさ。怒り。あらゆる感情が高波のようにどっと押し寄せてきて、私は堪え切れず、気付けば瞳からは涙が流れ落ちていた。

この気持ちを形容する言葉が見つからない。苦しい。そんな私に差しのべられた彼の手が、何も言わなくていい、と私を包んでくれるような思いがした。その手を握り、彼の腕に縋り、泣いた。

涙と一緒に感情を押し出してしまうと、不思議と心が軽くなっていく。そのとき私の心に残っていたのは、ボーダーとか近界とか戦闘員とかそういったものではなくて、ただひとりの人間として、風間蒼也という人間が好きなのだという感情だった。彼の気持ちを知ってしまったからには、近界に行ったとしても、私は今まで通りの実力を発揮出来ないだろう。もう同じ隊に所属して戦うことは出来ないかもしれない。それでもいいと、決めたのは私だ。

私の身体を抱き寄せようとする彼の腕を、拒む理由なんてなかった。



着衣を整え、私たちは部屋に入る以前と同様の姿になった。

昂った感情に任せて勢いで、と非難されたら私は何も言い返せないが、風間さんはそんな私に呆れる様子もなかったので、少しだけ安心した。行為の最中も、彼はずっと優しかった。彼の瞳が、腕が、声が、私だけを捉えていた。先程一緒に過ごした時間を思い返しては、胸の奥がじわりと熱を帯びる。

部屋を出る前にもう一回、と、今度は私のほうから風間さんにキスをする。触れるだけのキスではなくて、もっと深く甘いもの。唇の隙間から漏れる吐息だけが、しんと静まり返った部屋に響いた。

唇をそっと離し、顔を近付けたまま私は言う。風間さんの瞳に私が映っているのが見えた。


「風間さん、大好きです」

「そうか。嬉しい」

「はい…だから、風間隊はもう辞めます」

「…そうか」

「もう風間さんのこと隊長として見られません。私も皆もやりづらくなっちゃうだろうし」

「何度謝ればいいのか、わからないが…」

「謝らないでください。これは自分で決めたことです。相談なしに選抜戦から外されたことも、別に怒っていませんし、理由を聞いて納得しましたから」

「………」

「もう私もいい歳だから、新しく隊を作ってみようかな、とも思ってるんです」


そういえば、と「もちろん選抜戦もちゃんと応援しに行きますからね!」と言えば、風間さんはまた泣き出しそうな顔で、私を力いっぱい抱き締めた。生身だからこそ、男女の力の差がよくわかる。すこし息苦しかったけれど、そんなことは気にならないくらい、彼に対する愛しさが込み上げてきた。


「これで、なまえが俺の隊からいなくなると思ったら」

「…寂しいですけど、私は、風間さんの恋人になれます」


このドアを開けて外に出れば、風間さんは私にとって隊長ではなく、恋人になる。私の紡いできた歴史の上でいま、ひとつが終わり、ひとつが始まろうとしている。決して小さくない寂しさは感じつつ、しかしこれから記されていく未来は、太陽の光のように明るく眩しいものに思えた。「風間さん、笑ってください」好きなひとの笑った顔が見たいんです。私を抱き締める風間さんの腕をやんわりとほどいて、もう一度だけ彼の唇にキスをした。
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