「はあ……本当に、素敵な披露宴でしたね」

「あー!私も早く結婚したーい!」


しんとした夜の街。ハイヒールを鳴らしながら、星空に向かってそう叫ぶ年上の友人――これでもボーダーの本部長補佐を長く務めている優秀なキャリアウーマン――を横目に、先程まで私たちが身を置いていた幸せな空間を思い出していた。

響子さんの同期、私の先輩にあたる本部職員同士の結婚披露宴。テーブルに並べられた色とりどりの装花と料理、それから参列者のドレスが、会場にきらめく宝石のようで。一瞬の暗闇の後、喜びに満たされている宝石箱に現れたのは純白のドレスと漆黒のスーツ。目を奪われるような、本当に美しい光景だった。それから、幸せいっぱいの写真や映像、スピーチが続き、そこにいた誰もが優しい笑顔に包まれていた。参列して良かったと心から思える、素敵な時間だった。


「なまえだって、そろそろ結婚したいでしょ?」

「え、ん〜?どうかな……」

「良いわよね、なまえはもう相手がいるんだから。なんか随分早くから、お互いボーダーに入る前から付き合っていたって聞いたけど。ってことは、」

「十年くらい付き合っているかも」

「中学生のときから!?」


彼女はお酒に弱いのに、披露宴でも二次会でもそこそこ飲んでいた気がする。「響子さん、声大きすぎ!」いわゆる三十路を目前にして、未だに想い人に本心を告げられないでいる友人を窘めながら、結婚――遠いようで近いような、でもやっぱり遠い二文字を反芻する。

蒼也と付き合い始めたのは確かに十年前だった。中学校の卒業の足音が段々と近付き始めていた、とても寒い日のこと。秘かに想いを寄せていた彼と教室で二人きりになるチャンスが訪れて、当たって砕けろ、と半ば自棄になって勢い任せに告白したら、意外にもイエスの返事を貰うことができた。受験勉強を一緒にして、たまに手を繋いでデートして、同じ高校に合格して、高校生になってからも仲良く週末はデートして、はじめてのキスをして、蒼也がボーダーの戦闘員になって、大学の受験勉強も一緒にして、私は大学進学を機にボーダーの非戦闘員の職に就いて、はじめてのセックスをして、任務や訓練の合間にお互い助け合いながら単位を取得して、大学を卒業して、今では二人ともボーダー勤務の社会人……そう、あっという間に十年が過ぎてしまった。


「結婚の話は出ないの?」

「……言われてみれば、出たことない、ですね」


先の披露宴の主役たちは、交際二年で結婚に至ったと言っていた。思い返せば私の両親だって、年上のいとこだって、皆数年の交際で結婚を決めている。十年は、結婚に至るには十分すぎる期間、なのか。


「まあでも、それだけ長く一緒に過ごしていたら、もうほとんど結婚してるみたいなものよね。明日から一生一緒にひとつ屋根の下で暮らしてくださいって言われても、なーんにも困らないでしょ?」

「確かに、困らないですね。むしろ……」

「ストップ!惚気は今日はお腹いっぱい」


二人笑いあいながら話していると、あっという間に分かれ道に着いてしまった。つぎに蒼也に会う日には、今日の出来事をきちんと話そう。私たちも良い年齢、結婚についてどう思っているのか、一度は聞いてみなければ。心の中で小さくそう決意しながら、友人に手を振る。


「披露宴には絶対招待してね、風間なまえさん」

「そちらこそ、勿体ぶらずに早く告白して結婚したらどうです。忍田響子さん」



「んん……」

鈍い疲労に沈む身体をゆっくりと起こし、ここが蒼也の部屋のベッドの上であることを思い出す。隣には、幼子のように背を丸めながら、小さく寝息を立てている蒼也がいた。

今日は二人とも午後の予定が無かったので、蒼也の部屋に遊びに来ていたのだった。一緒に昼食をとりながら、先日参列した幸せな披露宴のことを話した。蒼也はいつもと変わらぬ短い言葉で感想を伝えてくれたけど、自分たちの結婚については話題にしなかった。思い切って聞いてみよう、蒼也は私と結婚したいと思う?って。そう思い立った瞬間、蒼也のスマートフォンが鳴って、彼はボーダー本部へ呼び戻されてしまった。急な呼び出しは大抵面倒事と結びついている。私に謝罪しながら不機嫌そうに出かけて行った蒼也は、夕方、不機嫌そうに帰って来るなり、私をベッドに押し倒した。私を真っ直ぐ見つめながら「今、したい。今抱きたい」なんて言われたら、受け入れたいと思ってしまった。

汗で身体に張り付いていた髪が半端に乾いて、不快感を覚える。寝ている蒼也を起こさないようそっとベッドから抜け出し、この家の浴室を今日も使わせてもらうことにした。さっぱりとした身体を再び衣服の中に隠し、部屋に戻ると、目を覚ました部屋の主がベッドに腰掛けシャツのボタンを留めているところだった。


「あ、蒼也、シャワー借りたよ」

「なまえ、こっちに来てくれ」


言われるがままに蒼也の隣に腰を下ろす。蒼也の手が私の手に重なる。指を絡ませて互いの温度を確かめ合うこの時間に、言葉は要らない。付き合い始めの頃は暫くキスもせずに、二人きりになるとずっとこうしていたっけ。懐かしさを覚えながら、ふと視線を蒼也の顔のほうへ上げてみると、鋭く真剣な赤がそこにはあった。


「なまえ、結婚しよう」


一瞬、呼吸の仕方を忘れてしまったようだ。


「好きだ。俺はなまえを愛している。この先もずっと、この想いは変わらない」

「…………」

「そろそろ、家族として、一緒に生きていきたくなった。……なまえは、どう思う」

「……うん、うん、もちろん、嬉しい」


思ってもみなかった展開に動揺してしまい、上手く返事が出来なかった。けれど、私の気持ちはしっかりと伝わったのか、蒼也はとても優しそうな微笑みを浮かべて何度も頷いている。二人ともきっと、真夏の太陽を浴びた砂糖菓子のように、熱く甘くとろけた表情をしているのだろう。

重ねた手に込める力がどちらからともなく強くなり、蒼也の空いた手が私の頬を掬い取り、唇が重なった。触れるだけのキスを数回、それから蒼也が私の唇を、舌を、酸素を、食べる。目を閉じて深く深く求め合う。蒼也と一緒にするどんなことも大好きだけれど、こうして熱くキスをしている時間が一番好きかもしれない。息継ぎの合間にそっと顔が離れ、薄目を開けると、ひどく優しい眼差しが私を捉えているのが見えた。うれしい。だいすき。再び目を閉じて段々と速くなる鼓動を感じながら、世界で一番愛している人と、深い口付けの海に溺れていった。

結局そのままキスだけで終わる筈もなく、燃え上がった身体をもう一度重ね合わせて、甘い時間を過ごした後、二人でシーツに包まっていた。蒼也の手が私の頭や頬や腕を愛おしそうに撫でる。


「昼間、披露宴の話をしていただろう」

「うん。それで、蒼也も結婚したくなったの?」

「と、言うよりは……結婚を申し込む必要があることを、思い出した。今までも、この先も、ずっとなまえとこうして一緒に生きていくつもりだった。だから結婚するとかしないとか、選択肢があるなんて、考えもしなかった」

「……そっか。私も、同じような感じかも」

「万が一、なまえに良い返事を貰えなかったらどうしようと、結構不安だったんだが」

「そんなこと、あるわけないじゃない。ずっと一緒だよ、蒼也」

「良かった。……週末、指輪を見に行かないか?なまえの気に入ったものを、贈らせてほしい」



いよいよか、と心臓が高鳴る。心を落ち着かせたいが、純白のドレスを身に纏ったこの身体では思うように深呼吸が出来なかった。漆黒のスーツに身を包んだ蒼也をちらりと見やれば、表情こそ普段通りだが、やけに緊張しているように見えた。頭の中では何度もシミュレーションをした。つい先程まで、実際に会場を歩いてリハーサルもした。だけど、もうどのタイミングで歩き始めたりお辞儀をしたらいいかなんて、覚えていない――介添人の指示に従おう。ああでも、緊張してばかりでは勿体無い。一生に一度の大切な晴れ舞台、せっかくなら笑顔で楽しく過ごしたい。


「蒼也……」

「俺がずっと隣にいる。大丈夫だ」


蒼也のその言葉で私は無敵になれる。やや後ろに立っていた母親の顔を見て、父親の顔を見て、それから蒼也の顔をもう一度見て、目を合わせてふたりでふふふと笑った。この重厚な扉の向こうには、親族や友人、そしてボーダーの大切な仲間たちが、私たちの人生の節目を祝福するためにきっと待っている。どうか皆にも、素敵な時間を過ごしてもらえますように。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -