「はあ、やっと帰って来た……」


安堵の吐息を漏らしながら、私は真っ白なシーツの海へと倒れ込んだ。さすが兵士長のベッド、私の部屋に備え付けてあるものよりも大きくて柔らかい。ふかふかの感触を楽しむように頬を寄せながら、ベッドへと潜り込もうとしたところで、この部屋の主が戻ってきた。


「やめろ皺になる」

「おかえり、早かったね」

「今回はまあ、前回より犠牲が少なかったからな……」

「会議お疲れさま」

「ナマエもな」


壁外調査から帰還した日には、こうしてリヴァイの部屋を訪れるのが恒例になっていた。命を落とさずに済んだ幸運に感謝しながら、くだらない雑談から真剣な将来の話まで、酒瓶片手に朝まで語り明かす。彼はもう何年も苦楽を共にしてきた仲間だから、気が合うというか、とにかく一緒にいて心地良いのだった。

ベッドから身を起こすと、目の前のリヴァイは突然血相を変え、私の腕を勢いよく掴んだ。押し倒すつもりだったのかと一瞬思ったが(鍛えた腹筋のおかげでなんとか背後に倒れ込むことは阻止できた)、そうではないらしい。


「おい、なんだこれは」

「え、どうしたの」

「肩だ、肩。怪我したなんて聞いてないぞ」

「肩……ああ、昼間ちょっとぶつけた、かな?」

「服を脱げ」

「はっ?」

「いいから、見せろ」

「ちょ、ちょっと!待ってよ」


リヴァイが真顔でそう迫るものだから、困惑してしまう。しかし彼のこの真剣な表情は只事ではなさそうだ。そう判断して、渋々シャツに手をかける。上部のボタンだけを外して露わになった右肩を視界に捉え、うえ、と思わず変な声が出た。赤黒く変色し腫れ上がっていた。肩を上下させ、骨折していないことは確認できたものの、一度意識を向けてしまうとそこからじんわりと痛みが広がっていくようだった。


「何故黙ってた」

「全然気が付かなかった……今まで痛くもなかったし」

「これは痛いだろ、何をした?」

「……古城に激突した」

「…………」


目の前に二体の巨人が迫る中、巨人に身体を掴まれて今にも食べられそうな兵士を見つけた私は、無我夢中でその兵士を助けに行った。間一髪のところで兵士を助け出し、一息ついたのも束の間、背後から私を狙う二体の巨人。立体機動で回り込み一体は討伐できたものの、もう一体が伸ばした手を避け切ることができず、壁に激突した。結局その巨人は、私が助けた兵士によって討伐されたのだった。

この経緯は言う必要がないと思ったからあえてリヴァイには告げなかったが、きっと彼は気付いている。もう何年も一緒にいるのだ。私の性格も実力も、よく知っている。


「無茶はするなと、言っているのに」


リヴァイは私の右肩にそっと触れた。その瞬間、私の肌は粟立ち、胸の奥が小さな音を鳴らした。

リヴァイと私は付き合っている訳ではない。話が尽きず朝まで飲み明かすことはあっても、身体を重ねたこともない。お疲れさま、と労いの意を込めて肩に触れるような場面以外では、彼に触れたことすらないかもしれない。ずっと、そうだ。

シャツを半分脱いだ状態の私の肌に、リヴァイが触れている。肩も下着も胸も見られている。素肌と素肌がほんの少しだけ重なる。彼の力強く骨ばった手と、私の赤く腫れ上がった肩。まったくロマンも美しさもないけれど、いまこの状況がどうしようもなく恥ずかしく思えて、私は視線をベッドに落とした。頬が熱いから、きっと顔が赤いのだろう。


「あ、あの、リヴァイ……」

「あ?」

「手、を、退けてください」

「そんなに照れなくても良いだろ」

「だって……!」


火照る頬を押さえながら、私はこの胸の高鳴りをどう鎮めようか考えていた。ちらりとリヴァイを見れば、口角が上がっている。


「なあ、ナマエ、どうして照れるんだ?」

「どうしてって……リヴァイに、触られたこと、なかったし」

「触って欲しかったのか?」


どうしよう。こんな状況になるなんて思いもしなかったのに。リヴァイは明らかに私の反応を楽しんでいる。

どうして照れるのか――その問いの答を改めて考えてみると、相手がリヴァイだからではないだろうか。男性経験は少しだけあるし、素肌に触れられるのは初めてではない。大切な仲間であり、親友であり、家族のように当たり前に隣にいたリヴァイだからこそ、こんなにも緊張してしまう。彼の中に、今になって初めて「男性」を意識して、戸惑っているのだ。

ではリヴァイは、私の中に「女性」を意識してくれているのだろうか。


「……リヴァイは、触りたかったの?」


静かにそう問いかけると、リヴァイは一瞬目を見開いた後、私の肩に触れていた手をそっと下ろした。彼の手が私の手に重なる。そして私の両手をぎゅっと握りながら、思いもよらぬ言葉を返してきた。


「当たり前だろ」

「…………」

「好きな女が自分のベッドの上にいたら、そりゃ襲いたくもなる。健全な男ならな。それをしなかったのは、ナマエのことを大切にしたかったから。ナマエがそういう気分になるまで、俺は手を出さないで我慢することに決めた」

「……ねえ、リヴァイ、あなた本当にリヴァイ?」

「なんだそれは」

「リヴァイって私のこと好きだったの?」

「知らなかったのか?」

「…………」


いつになく真剣な眼差しで私を見つめるリヴァイ。但しそれは巨人と対峙したときの燃え盛るような熱を帯びたものではなく、とても優しくあたたかな太陽のようだった。この静かな部屋のベッドの上、というシチュエーションに相応しい。男の人に両手を握られ、こんな風に見つめられたら、この後起こるであろうことを想像せざるを得ない。


「どうしていいか、わからない。リヴァイのことは好きだけど、ずっと親友というか、家族みたいなものだと思ってたし……」

「……俺では、駄目か?」

「だって、朝まで一緒に部屋にいたって、今まで手を出さなかったんだもの……リヴァイが私のこと恋愛対象として見てるなんて、思いもしなかった、だから」


視線を落とし俯きながら話していると、リヴァイに抱き締められた。こんなに彼を近くで感じるのは初めてで、彼の身体の感触と熱が伝わってくる。彼の匂いがする。いま考えられるのは彼のことばかりで、頭がおかしくなりそうだった。もう何も知らない少女ではない筈なのに、緊張、している。

リヴァイが私を見つめながら、唇がいまにも触れそうな距離へと顔を近付けた。


「ナマエ」

「き、緊張しすぎて……やばい」

「……嫌か?」

「……ううん、良いよ」


私の言葉を合図に、リヴァイと唇が重なった。
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