昔懐かしい学校のチャイムに似た鐘の音色は、開発室ユニークのものらしい。正午の鐘が鳴ると午前中の業務はひとまず終わり、皆一斉に立ち上がり食堂へ向かう。ゼミに参加するために大学へ赴く日を除いた週四日間は、私も例に漏れずその人波の一部になる。取り留めのない雑談をしながら食堂へ向かい、トレーを手に取りお目当ての食事が提供される列に並ぶ。特定の誰かと食事をすると決めている訳ではないので、偶然列の前後に並んでいた人間となんとなく同じテーブルに座り、なんとなく話しながら料理を口に運ぶ。開発室で働き始め、この食堂でこうして食事をするのも三年目ともなると、他の技術者と同じように、異様に早い速度で皿がからっぽになる。

――というのは普段の私のルーティンであり、今日の私は久しぶりに一人でゆっくりと食事ととっていた。

いいひらめきを得て作業に没頭している間は、正午の鐘も「みょうじ、食堂に行くぞ」という上司の言葉も聞こえないほどの集中力を発揮してしまうらしい。ひとつ解決すると、オセロが次々に裏返っていくように、芋づる式に解決法が見つかっていく。夢中でキーボードを叩いていると、気が付いたときには昼下がり、夕方に近付こうとする時間になっていた。お腹はぺこぺこだし、一時間の休憩は取らなければならないことになっているので、イレギュラーな時間帯ではあるが食堂に向かうことにした。

海鮮丼をゆっくりと味わいながら食堂をぼんやりと眺める。正午にここに来ると殆ど社員の姿しか見えないが、この時間帯は学校の授業が終わっているからか、中高生の隊員の姿が多い。定食だけでなくおにぎりやパンなどの軽食も提供されているので、小腹を満たしに来るのだろう。しかし中高生とは、私にも確かに中高生の時期があった筈なのに、遥か遠い昔のことのように思える。

「ここ、空いてます?」

そんなことを考えていると、私の向かい側に一人の少年が座った。空いてるけど、まだ何も返事をしていないのに……。口の中のサーモンを咀嚼し終わったら返事をしよう。そう思って口を動かしているうちに、もう一人青年がやって来て少年の隣に座った。広々と使っていた四人掛けのテーブルが一気に窮屈になる。

「……はじめましてね、出水公平くん、太刀川慶くん」
「うおっ、すげ! なんで知ってんだ?」
「太刀川さんは有名人でしょ。でもおれの名前も知ってるなんて、意外」
「ふふ。私は正隊員の子たちのこと、詳しいの。ランク戦だって毎回見てるのよ」

顔を見た瞬間に、頭にインプットされている情報が川のように滝のように溢れてくる。思わず私の持つ知識を披露してしまいそうになるが、ぐっと堪えて抑えた。一度それを東くん相手にやらかして、引かれた過去があるのを忘れてはいない。

「私は二人のことを知ってるけど、二人は私のこと知らないでしょ。何の用?」
「あー、すみません。思わず見かけて、声掛けちゃいました」
「なあ出水、本当にこの人なのか?」
「いや、それは間違いないっす」
「確かにまじで美人だなあ」
「……?」
「えーと、二週間くらい前かな……二宮さんと一緒に、焼肉屋にいましたよね?」
「えっ!? え、ああ……わかった。出水くん、東くんと一緒だったんだ」

私と匡貴の共通の知り合いは東くんだけだけど、匡貴の知り合いはたくさんいる。というか、元A級だし、今でもB級一位だし、射手一位だし、背高いし、綺麗だし、ボーダーで匡貴を知らない子の方が少ないかもしれない。それに出水くんはええと、合成弾の師匠だったかな。歳はちょっと離れてるけど、匡貴とは割と仲が良いんだよね。東くんが焼肉屋に連れていた中高生って、誰だったのかちゃんと聞いておけばよかった。聞いておけば、こんなところで不意打ちを受けずに済んだのに。

「なんつってたかなー……えーと、あっ、みょうじさんだ!」
「……ちょっと焼肉屋で顔を見ただけで、名前まで調べ上げるなんて凄いね……」
「いや俺が調べたんじゃなくて、雷蔵さんが当てたんですよ。そしたら二宮がそうだって言ってたんで」
「待って待ってなんの話!?」

太刀川くんの口から衝撃発言がいくつも飛び出して、脳の処理が追い付かなくなる。寺島くんが当てた? 私と匡貴の関係は東くん以外の誰にも言っていないし、普段の開発室での振る舞いからばれているとも思えない。いやそれよりも、二宮がそうだって言ってたっていうのはどういうこと? 出水くんに見られたから、公言していくスタイルに変えたってこと? 私、匡貴から何も聞いていないんですけど。

「太刀川さん、順を追って説明しましょ。みょうじさん混乱してるから」
「それ俺の苦手なやつ」
「……まず、おれが焼肉屋でみょうじさんと二宮さんを目撃しました。そのことを太刀川さんに言いました。その後男同士の飲み会があって、太刀川さんは二宮さんに彼女がいるのかと聞きました。二宮さんは答えたがらなかったけど、雷蔵さんが特定したから、仕方なく認めたって感じで……って、これで合ってます?」
「おー。完璧完璧」
「…………」

出水くんの説明で、理解はできたが、納得するにはまだ時間がかかりそうだ。匡貴もたまに飲み会に顔を出しているのは知っていたけれど、私と付き合っていることを公言したとは、一言も聞いていない。その男同士の飲み会はいつだったのか尋ねると、先週だという。ということはこの一週間、直接面識のない誰かに、食堂やラウンジで目撃されたり噂話をされたりしていた可能性だってある訳で……。次に匡貴と寺島くんに会ったら、きちんと追及させてもらうことにする。まあ、もう周囲の目を気にするような年齢でもないし、大したことではないけれど。

釈然としない思いを水に流すように、僅かに残っていた海鮮丼をかきこみ、麻婆豆腐も平らげる。空になったどんぶりと皿をトレーごとテーブルの端に寄せた。

「ほんと突然すみません。おれ、二宮さんと仲良いんで、彼女さんがどんな人なのか、一回お話ししてみたいなーと思ってて」
「あの二宮が溺愛してるって知ったら興味持つよな」
「で、溺愛……」
「でもおれわかりますよ。二宮さんに似てますよね」
「みょうじさんのほうが可愛くて美人だろ」
「顔じゃなくて雰囲気ですよ。なんていうのかな、頭の良さが滲み出ているというか……二宮さんと並んで歩いてたら、洋画に出てくる知的でお洒落なカップルっぽいような」
「あーわかるかも。よく言われます?」
「たった今初めて言われたよ……」

出水くんと太刀川くんの話す内容に、心にかかっていた靄が徐々に晴れていくような思いがした。匡貴と恋人同士であることを褒められて悪い気はしない。二人は何も野次馬根性で冷やかしに来たのではなく、本当に私を偶然見かけたから声を掛けてしまった、それだけなのだということがわかった。私を見つめるきらきらとした瞳が眩しい。

グラスの中の水も飲み干したところで、そういえば、と出水くんが思い出したように私に問い掛ける。

「みょうじさんは技術者なんですよね?」
「そうだ! 仲良くなった記念に、トリガーの試作とかしてもらえます? 最近改造にも興味があって」
「ごめんね、私はトリガーの保守開発は専門外なの」
「武器じゃないとなると、なにを開発してるんですか?」
「わかりやすく言うと、建築……なのかな? どこにどうトリオンを使えばいいか、計算して設計するような仕事ね。この本部の建物もそうだし、私の主担当は遠征艇なんだけど」
「みょうじさん、遠征艇作ってるんですか!」
「うわーまじで!? 俺たちいっつもお世話になってますよ」

思いがけず遠征艇の話題に変わったことで、私の気分は一気に富士山よりも遥か高くに到達する。開発室以外で遠征艇の話をすることも、遠征艇に乗船経験のある隊員と直接話をすることも、随分と久しぶりのことだった。次々に言葉が喉の奥から溢れ出て止まらない。

「そうだ、二人とも十二月に遠征艇乗ったよね!? どうだった?」
「前より広くて個室も増えてやったー! って思いました」
「普通にぐっすり眠れましたもんね」
「うわあああ嬉しい! そうなの! トリオンの効率的な配置によって強度が上がることがわかって、居住空間は格段に広くできたの。その効率的な配置っていうのが、一トリオンを十六分割して整列させる数式と数式通りに等間隔に配置する技術から成るんだけど、どちらも私の徹夜から生まれた新しい技術でね!? ああ、嬉しいなあ。実際に乗った人に喜んでもらえたってわかると、また徹夜も頑張ろうって思うね。本当は定時で帰りたいんだけどさ。で、今はまだ遠征艇にしか使われてない技術だけど、本部の建物とか各支部にも適用されれば、強度は上がるし部屋は広くなるし、それでも余ったトリオンの活用方法はこれから――」
「……こんな時間にここにいるとはな」

私の声でも、目の前にいる男子の声でもない、聞き慣れた溜息交じりの声が頭上から降ってくる。反射的に声のするほうを向けば、そこには匡貴が立っていた。

匡貴はごく自然な動作で私の隣に座る。四人掛けのテーブルがようやく満員になった。なんでここにいるの、と思いながら匡貴に視線を送れば、なまえの考えていることは全部顔に書いてある、とでも言いたげな顔をされた。

「たまたま近くを通りかかったら、なまえが遠征艇について熱く語る声が聞こえたからな」
「そ、そう……」
「いつから知り合いだったんだ?」
「つい、さっきかな……っていうか、匡貴。飲み会って何!? 私聞いてない。出水くんは私の顔知ってたし、太刀川くんは私の名前知ってたし、突然すぎてびっくりしたんだけど」

小声で話しても、この距離では太刀川くんと出水くんに丸聞こえだろうけど、最後の追及は最小限の声量で。匡貴は目を見開いて驚いた後、眉間を親指と人差し指でつまんで目を閉じ溜息を吐いた。それから、いつもより低い声で太刀川くんの名前を呟きながら睨み付ける。

「二宮、彼女の前で怖い顔すんなよ」
「おまえ、男子会のことどこまで喋った」
「んー、どこまでだったかな。雷蔵さんがみょうじさんを特定したことぐらいじゃないか?」
「曖昧では困る。はっきりしろ」
「そんな喋ったこと全部思い出せないって。大丈夫だよ、おまえがみょうじさんを好きすぎて誰にも渡さないって言ったこととか、冗談にガチギレしたこととか、ちゃんとセックスしてる宣言したこととか、言ってないから」
「この、馬鹿が……! 今、なまえに聞こえてるだろ!?」
「あっやべ」

太刀川くんの口から二度目の衝撃発言が放たれて、言葉を発することもできずに呆然と匡貴の顔のあたりを見つめていた。そのうちに、怒った匡貴が太刀川くんをどこかへ連れて行ってしまう。

「…………」
「ウチの隊長が、すみません……」
「ううん、太刀川くんがああいう感じの子だってことは、知ってたから……それよりも、匡貴が人前でそういう話をすることが衝撃的でさ」
「ですね」
「ごめんね、大人が、高校生の前でこんな話して……」
「……おれ、聞かなかったことにするんで、大丈夫です」

太刀川くんと一緒に、空になっていたA級定食をトレーごと返却口へ持って行ってくれたことに対してはお礼を言うとして、それ以外にも匡貴には話してもらわねばならないことが山のようにありそうだ。両手で顔を覆いながら溜息をついた私に労いの言葉を掛けてくれる出水くんの優しさが沁みた。一時間の休憩が終わるまで、あと少し。
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