アフトクラトル大規模侵攻の爪痕は隊員たちの間にも未だ仄暗い影を残しているが、そうは言っても腹は減るし、出した成果に対しては相応の報奨が必要だ。そんな訳で今夜は食べ盛りの出水、米屋、緑川を連れて久しぶりの寿寿苑での食事となった。

お開きの前に手洗いに行こうと席を立ったところで、自然と目線が動き、少し離れたテーブル席によく知った人物の姿を見つける。二宮とみょうじだ。一年近く前に偶然ここで三人で顔を合わせて、半年近く前にはみょうじが軽く「最近二宮くんと仲良くなったんだよ」と話していたのを思い出したが、さしで焼肉を食べに行く仲だとは聞いていなかった。言われてみれば確かに、二人とも焼肉が大好きだもんなあ。肉を焼きながら夢中で話し込んでいるようで、俺の存在には全く気付いていないが、手洗いに行くには二人の傍を通らなくてはならない。俺も二人には気付いていないふりをして、さっと通り抜けようと歩を進める。

「美味しい! 匡貴、焼くのほんと上手よね」
「……ハラミも焼けた。皿を貸してくれ、なまえ」
「ふふ、ありがとう」

盗み聞きをするつもりは全くなかったのだが、聞こえてしまったものは仕方がない。短い会話の中に、予想以上に多くの情報が詰まっていた。二人が名前で呼び合う仲になっていたことも、二宮が敬語をやめたことも、つまりこれは恐らく交際しているであろうことも、全く知らなかった。二人ともきちんと公私を分けられるタイプの人間だから、ぼろが出ないということなのだろう。それにしたって、二宮ともみょうじとも週に何度か顔を合わせて話しているし、俺は勘が鋭いほうだと思っていたのに、気が付かないなんて……。

あまりに大きい衝撃を受け、その後どうやって手洗いに向かい座席に戻ったのか、全く覚えていない。店を出るときに二人のほうへもう一度視線を向けると、相変わらず和気藹々と食事を楽しんでいるように見える。仲が良いのは、よいことだ。次に会うのは二人のどちらだっただろうか、と脳内で今週のスケジュールをつい確認してしまうのだった。



「一昨日、寿寿苑にいたよな?」
「うん。……あ、えっ」

議論が白熱し終了時刻が大幅に遅れたゼミがようやく終わり、帰り支度を済ませたところでみょうじに話し掛ける。研究熱心で真面目で頭の回転の速いみょうじが、照れたような困ったような顔で次の言葉を選んでいるさまを目の当たりにするのは、初めてのことだった。思わず微笑んでしまうと「もう、笑わないで」と弱々しい抗議の声がした。

「俺も中高生を連れて食事していたんだが、たまたま離れたテーブルに二人を見かけてな」
「……まあ、あれだけ堂々と食事してたら、いつかボーダーの誰かにばれるってわかってたわ」
「隠すことでもないし、俺にくらい報告してくれてもよかったんじゃないか?」
「うーん。ごめんね、私は報告しようと思ってたんだけど」
「二宮はいい顔しなさそうだよな」
「さすが隊長、よくおわかりで」
「それにしても、長年の片想いが実ってよかったな」

そう告げると、みょうじは心底嬉しそうに目を細めて笑った。その柔らかな表情を見て、この現実が、例えば迅が言うところの「最善の未来」だったのだろうなと心から思う。

性格、考え方、話し方。あと、俺は付き合う相手にあまり望まないほうだが、容姿。どこをとっても、俺みたいな人間には、みょうじは非常に魅力的に見える。ただ、知り合ったときには俺には他の恋人がいたし、その恋人と別れてしまった後、みょうじの興味は既に二宮に向いていたから、みょうじに対して恋愛感情を抱く余地がなかったのだ。もしみょうじの隣に立っているのが俺だったなら……と考えたことがないとは言わないが、歴史にイフはない。それを理解しているから、みょうじは今までもこれからも大切な同僚であり、共同研究者であり、友人である。

柄にもなくそんなことを考えていると、俺の思考を的確に読み当てたようなタイミングで、みょうじのスマートフォンが鳴った。みょうじは俺に断りを入れてからさっと廊下に出て、電話を掛けてきた相手と話しているようだ。夜の静まり返った研究棟にみょうじの声が響く。

「うん、今終わったところ。うん、……作ってくれたの!? え、防衛任務は? ……あと二時間? ごめん、急いで帰る! うん、うん、……匡貴、好きだよ。ふふ、またね」

これまた盗み聞きをするつもりは全くなかったのだが、聞こえてくるみょうじの声があまりにも可愛らしくて、うっかり頬が緩んでしまう。二十代も折り返し、この歳になると恋愛においていわゆるときめきを期待することもなくなってくるが、なんだ、みょうじはまだまだ恋する乙女じゃないか。

「夕食が用意されているみたいなので、急いで帰ります! 東くん、また来週!」
「転ばないように気をつけてな」

人生の春を謳歌する友人に、ほんの少しだけ羨ましさも抱きつつ、小走りで去って行く背中をぼんやりと見つめていた。



毎月恒例となりつつある成人男子会が開催されたのは、その翌週のことだった。普段は大学の話、自身が率いる隊の話、理想の女性の話、上層部の人間の愚痴など、酒の肴となる話題は多岐に渡る。しかし今夜は、開始間もなく太刀川によって放たれた「この間出水が、焼肉屋で二宮がデートしてたって言ってたぞ! なんで俺に報告ないんだよ。詳しく聞かせてもらうからな」という言葉に、終始流れを支配されてしまった。

当然ながら俺は、二宮とみょうじが一緒にいたことを口外していない。あの日出水も見ていたなんて、いや、気付いていたならその場で俺に一声掛ければいいものの、何故よりによって太刀川に報告するんだ。

主に太刀川、諏訪、酔った風間。厄介な男どもに標的にされ、二宮は答えられる範囲で正直に答えているようだったが、あまりにも、かわいそうだと思ってしまった。俺が助け舟を出そうにも、軌道修正は不可能と言っていいほどの勢いがあった。興奮冷めやらぬうちに一次会は終了となり、店を出たところで上手く二宮に声を掛けることができて、二次会は俺とのさし飲みとなった。

「太刀川の野郎……」
「酒も入ればそうなるよな。まあいいじゃないか、これで本部でも堂々と会える」
「……冷やかしなんかどうでもいい。興味本位でなまえのことをじろじろと見たり、根掘り葉掘り聞いてくるのが許せないだけだ」

どうやら二宮も勢いに任せてかなり飲んだらしい。二宮は酔っているときだけは、俺に対しても敬語を使わずに話す。彼女のこともうっかり下の名前で呼んでいるぞ。

「みょうじのことが本当に大事なんだな」
「当然だ。……だが、」
「どうした?」
「なまえも同じ気持ちでいてくれているのか、正直、自信がない」
「いや待て待て、どうしてそう思うんだ?」
「付き合うことになった日、なまえの優しさと勢いに任せて、抱き締めて、部屋に泊まった。五歳も年下の男が甘えてきたら、無下にはできないだろう。告白も半ば強引にというか、あの状況では断りづらかっただろうと思う……」

思わず声を出して笑ってしまいそうになるのを必死で堪える。二宮は酒が入っても、年上に対する口調が変わるだけで平常運転だとばかり思っていたが、こんなに酷く弱気になってしまうなんて知らなかった。というか二宮、告白する前に手を出したのか。相手が他でもないみょうじだったから丸く平和に収まったものの、一歩間違えれば大惨事だぞ……。

二宮はしな垂れた首をテーブルに置いて、手探りで酒のグラスを求めていたので、そっと水の入ったグラスを触れさせる。二宮はそのまま一気に水を飲み干した。

「今さらそんな心配するなよ。言っておくが二宮、お前がみょうじを好きになる前から、みょうじはお前を好きでいたんだぞ」
「どういう意味だ」
「お前が高校生の頃からだよ。俺の隊にいたことも知ってたし、暇さえあればログでお前の戦う姿も見ていたし、いつもお前が話題になっていたし……随分と長い片想いだったから、お前と恋人になれて嬉しいと思っているんじゃないか」
「……チッ」
「何か気に障ったのなら、謝る」
「……ただの嫉妬だ。俺の知らないなまえを知っていることが、気に食わない」

今度こそ堪えきれずに笑い声が出てしまった。素直な二宮を見せてくれた酒の力、いやみょうじの力は偉大だ。二宮も可愛い恋愛してるじゃないか。こんなことを考えるのはちょっと気が早すぎるかもしれないが、披露宴には俺もちゃんと呼んでくれよな。俺も一気に水の入ったグラスを空にして、次の酒を頼むために右手を上げた。
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