「おお、寒かったー!見て、まだ手が震えてる」
「最初は温かい飲み物にした方がいいんじゃないですか?」
「二宮さん、コート掛けますよ。鳩原先輩も」
「助かる」
「わあ、ありがとう」

春の足音は確実に近付いているが、吹き付ける風に寒さの残る日も多い、そんな夜。ランク戦や作戦会議の後、部下の誕生日など、隊員が全員揃って食事をとるときには焼肉屋――ここ、寿寿苑を利用するのが定番となっていた。高校生は皆焼肉が好きだし、好きなものを好きな量だけ食べられるし、肉の質がよいのは勿論のこと、肉の旨味を引き立てるタレや白米に至っても絶妙なバランスで計算し尽されたような調和を奏でている。つまり、非常に、美味しいのだ。

今夜の来店の目的は、一言で言えば決起集会。数日後に迫っているのは、近界遠征部隊の選抜試験。本来ならば試験に合格してから祝勝会をあげるべきだろうが、試験前に隊員の士気を高めるのもまた隊長の務め。熱い言葉で盛り上げる、なんて真似は俺には到底できないが、俺が多くを語る必要はないのだ。現に今だって、犬飼が皆に話題を振って場を和ませている。辻は、気心の知れた仲間だからか、女性を前にしても緊張することなく過ごせている。鳩原は今日も薄い作り笑いを浮かべて、どこか本心を閉ざしているように見えるが、まあいつも通りだ。氷見も普段と変わらぬ冷静さを装っているが、肉を頬張る瞬間の多幸感は隠しきれていない。

膨れた腹で最後のデザートを味わったところで、普段は長居せずにさっと退店するのだが、今日は隊員たちの会話がやけに盛り上がっている。選抜試験を前に、気分が高揚しているのだろうか。俺としては、普段通りの動きができれば必ず試験に合格できると思っているので、改めて話しておくこともないのだが。溶けた氷で味の薄まったジンジャーエールを最後まで飲み干してから、伝票を手に取り立ち上がった。

「あ、二宮さん、もう帰ります?」
「いや、おまえたちはまだ話していていい。先に会計を済ませて、少し夜風に当たってくる。暫くしたら戻る」

賑やかな喧騒の合間を縫い、店の入り口付近に設置されたレジへと向かう。先に会計している男女のカップルがいたので、その後ろに立って待つ。夜風に当たると言ったものの、コートを置いてきてしまった。この服では、寒いだろうな……。かと言って、盛り上がっている部下たちの話を中断させてしまうのは忍びない。どうしたものかと考えあぐねていると、先に会計を終えたカップルがこちらを振り向き、声を掛けてきた。

「ああなんだ、二宮も来てたのか」
「……東さん」

俺の前に立っていたのは、かつての直属の上司であり、戦術面の師匠でもある、東さんだった。東さんの隣に立っているのは、知らない女性である。東さんにこんなにきれいな恋人がいたなんて。彼女を目にした瞬間、そんな考えがふと頭をよぎった。

手早く伝票を店員に渡し会計を済ませ、レジの向かい側に並ぶベンチに座っている東さんと連れの女性の元へ向かう。入店を待つ客のための場所だが、平日の夜には使われているところを殆ど見たことがない。見たところ店内も満席という訳でもなさそうだし、ここに座って会話をしていても問題ないだろう。

「皆で来たんだろ?決起集会か?」
「まあ、そんなところです」
「もうすぐ試験だもんな。実力は問題ないと思うが、特に鳩原のことは、気にかけてやれよ」
「はい。わかっています」
「そうだ、みょうじは初対面じゃないか?」
「二宮くん、初めまして。みょうじなまえと言います」

女性――みょうじさんが優しく微笑みながら、俺に視線を向けている。初めまして、と言いながら礼をしたつもりだったが、想像通りの動きができていたかは正直自信がない。彼女の凛とした佇まい、口調や声色から滲み出る聡明さ、美しいと思える顔の造形、纏う雰囲気。全てに気を取られてしまっていたからだ。

「開発室職員、兼、大学院生よ。つまり、鬼怒田さんの部下で、東くんの共同研究者ね」
「言っておくが二宮、俺たちは別に恋人同士でも何でもないぞ」
「ええ、そんな勘違いされたこと、今まで一度もないじゃない?」

東さんもみょうじさんも肉とアルコールのお陰で気分がいいようで、終始柔らかな笑顔を交換し合っている。とても優しげな眼差しだ。これでは恋人同士と見紛うのも仕方ないのではとも思うが、それは色恋沙汰に疎い俺の主観であるから、先程「そんな勘違い」をしたことは黙っておくことにする。

「東くんとお酒を飲むとね、二宮くんはすごく優秀な部下だって話をいつもしてくれるのよ。だから初対面だけど、私は二宮くんのこと結構詳しいかも」
「はは、悪いな、二宮」
「……変な話でなければ、構いませんよ」
「二宮くん、試験に絶対合格して、私の船に乗ってね」
「今回の遠征艇はほとんどみょうじが作ったんだぞ」
「それはちょっと大げさだけど、でも頑張って作ったのは本当よ! 私の開発した新しい技術で、外壁の強度を上げつつも薄くすることに成功して、居住空間は前回と比較するとかなり広くなったし、個室だって増えたし、持って行けるデータ容量も増えたから、船内で退屈しないように好きな映像を映し出せるようになったし、それから、」
「……とにかく、皆応援してるんだ。しっかりな」
「東さん、みょうじさん、ありがとうございます」

店内を出て行く二人の背中をぼんやりと見つめていると、みょうじさんが遠征艇について熱く語る声が、夜の三門市に響いているのが聞こえた。得意分野について語らせると止まらなくなるタイプの人間が、俺の周りにも何人かいたような気がする。きれいな大人の女性でも、根は技術者ということなのだろう。

気付かぬうちにかなりの時間が経っていたようで、部下の待つ席に戻ると、和気藹々とした雰囲気は既に冷めていた。辻はテーブルに突っ伏し、鳩原は椅子の背に身体を預け、二人とも今にも意識を手放しそうになっている。

「あっ、二宮さん、遅いじゃないですかー!」
「鳩原先輩と辻くんが、満腹でもう寝そうです」
「悪い、会計で東さんたちに会ってな。つい話し込んでしまった」
「それって東さんと、誰ですか?」

迂闊にも口を滑らせてしまった。犬飼は鋭い男だ。真っ直ぐに向けられた青い瞳は、今俺の頭の中の大部分をみょうじさんが占めていることさえも見透かしているようだった。

「……おまえたちが知る必要はない」
「ええ、つまんないの」



選抜試験に無事合格し、いよいよ明日から遠征前訓練が始まる。心身を休ませるために隊員は一日オフにしたが、隊長である俺は今日も変わらず作戦室に籠っていた。遠征先の情報収集、訓練内容の調整、隊員家族への同意書の作成、上層部への計画書や報告書の作成。やるべきことは山のようにある。大学が春休みに入っていて本当によかった。一人で黙々とデスクに向かうのは苦ではないが、流石に何時間も座りっぱなしでは集中も切れてくる。作りかけの計画書を切りのいいところで一旦保存して、気分転換に部屋を出ることにする。

自販機の設置された休憩スペースに向かっていた筈が、どういう訳か、ふと気付くと開発室エリアの近くまで足を運んでいた。何故わざわざ用もない開発室に……と考えて、つい先日、開発室職員の女性と知り合ったことを思い出す。「試験に絶対合格して、私の船に乗ってね」みょうじさんに掛けられた言葉が、みょうじさんの声ではっきりと再生された。無事試験に合格して、船に乗ることになったのだから、挨拶くらいしなくては失礼というものだろう。

もう何年もボーダーに所属しているが、開発室に入るのは初めてのことだった。どことなく緊張感が漂っている気がするのは、職員が皆真剣な表情で、黙々と目の前のパソコンと戦っているように見えるからだろうか。俺の知るボーダーとは違う世界がそこにはあった。仕事の邪魔にならないように壁際をゆっくりと歩きながら、目的の人物を探す。――いた。

「みょうじさん」
「ん、あ、えっ! 二宮くん!?」

俺がここにいるなんて思いもしなかったからだろう。みょうじさんは椅子から転げ落ちそうな勢いで驚き、しかしすぐに、記憶と違わぬ笑顔を返される。だが寿寿苑で出会ったときの印象とはまるで違う。今のみょうじさんは黒いジャージ姿に眼鏡をかけて、髪を結んで、化粧も薄く、他の技術者たちに馴染んでいる。こんなにきれいな女性が開発室にいるなんて聞いたこともなかったし、男性の多い開発室では随分と浮いているのではないかとも思っていたが、それは杞憂だったようだ。

「来るなら言ってくれれば、もっと……ちゃんとした格好をしたのに」
「今の姿も変わらずにきれいですよ」
「ええ、二宮くんってそんな風に女性を褒めるの? 知らなかった」

本当に。自分の口からそんな言葉がさらりと出てくることに、俺が一番驚いている。みょうじさんは照れた様子で頬を抑えたり、顔の前を手で扇いだりしている。そんな仕草からも目が離せなかった。

「選抜試験に合格したので、報告をと思いまして」
「そんな、忙しいだろうに、わざわざ報告に来てくれるなんて……ありがとう。本当に、おめでとうね」
「みょうじさんの船に乗るのが楽しみです」
「ああ、その言葉は本っ当に嬉しい! 期待してて!」

みょうじさんに心底嬉しそうな笑顔を向けられて、思わず息を呑む。みょうじさんのことがここ数日頭の中から離れなかったのは、単に技術者や大学院生といった肩書の人間が珍しかったから、という訳ではないことに気付く。みょうじさんだから、みょうじさんのことをもっと知りたいし、話したいし、見ていたいし、傍にいたいと思ってしまうのだ。

みょうじさんは俺に気を遣ってわざわざ仕事を中断し、休憩スペースまで連れて行ってくれた。いろいろと話をしたが、実は肝心の会話の内容は殆ど覚えていない。ただ、みょうじさんと話して過ごした時間がとても心地よかったことと、事務作業も含めて遠征関連の仕事のモチベーションが高まったこと、遠征が終わっても時間を見つけてまた開発室に顔を出そうと決意したことは、はっきりと心の中に残っている。
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