「ねえ、二宮、さっきの、どういうつもり」

息を切らしながら小走りで追いかけてくるなまえを横目に、二宮は速度を緩めることなく歩き続ける。この女、何故追いかけてくる。そう言いたげな、不機嫌さを纏った鋭い眼差しが、冷たい空気を貫いた。

夜の部のランク戦が熱狂のうちに終了し、沸き立つ人々で溢れ返るボーダー本部が、徐々に落ち着きを取り戻してきた頃。元々速足で歩く二宮がさらに速く、まるで人目につくのを恐れているかのように帰路につくのを、なまえは見逃さなかった――否、二宮がひとりになるタイミングを、なまえはずっと待っていたのだ。

「答えを聞くまで、はあ、私、帰らないから」
「…………」
「ね、無視、しないで……きゃあ!」

ドサッ。そんな擬音語が似合う、まるでコントのような動きで、ひたすらに夜道を走り続けたなまえは石に躓き転んでしまった。反射的に両の腕が伸びたおかげで、大事には至らず、掌と脛がアスファルトに打ち付けられただけで済んだ。だが、鈍い痛みのせいですぐに立ち上がれそうもなく、二宮との距離はこれでもう縮められない。なまえは諦めのため息をひとつ。服に付いたであろう汚れをぱん、ぱんと払いながら、ゆっくりと立ち上がろうとすると、目の前には大きく骨張った男性の手が差し出されている。

「二宮」
「俺は、転んだ女を見捨てるような男じゃない」
「ありがとう、優しいね」

じゃあ遠慮なく、と、なまえは差し出された二宮の手を取り立ち上がる。立ち上がり、わざわざ夜道を走って追いかけてまで欲しがったものを、二宮の口から聞いて終わる筈だった。二人の速度がゼロになった、今が好機なのだ。しかし、何故だか二宮は握った手を解こうとしない。

「…………」
「何、どうしたの?」
「さっきの、質問の答えだが――」

さっきの。時は数時間前のランク戦に遡る。どのチームもそれぞれ隊員が数名緊急脱出し、残った隊員が一堂に会し乱戦状態となっていた。勝負の行方も観客席の興奮も、まさにクライマックス。距離を取りつつ持ち前の威力と技術で相手を圧倒する二宮。その背後からカメレオンで奇襲をかけようとする者がいた。未だ見えぬ弧月の切先は二宮に届くか、それとも迎撃されるが早いか。早かったのは二宮の反応。二宮は背後に忍び寄る攻撃手に意識を向け、迷わず弾を放とうとする。ちらりと背後に視線を向け相手の姿を確認する。相手は――奇襲戦法を得意とする、二宮が想像していた男ではなく――なまえだった。なまえだけでなく、観客の誰もが、二宮の勝利を確信した。だがどうした訳か、二宮はなまえへの攻撃を一瞬躊躇った。「えっ?」なまえはそんな間抜けな声で呟き、一瞬、世界が切り取られ時が止まってしまったような感覚に陥った。二宮となまえ、二人が一瞬の迷いで隙を生んでしまったところに、他の隊のエースが銃弾を放つ。致命傷になる前にすかさず防御し、距離を取る。戦闘に意識が引き戻された。やがて乱戦を制したのは二宮の所属する隊だったが、二宮もなまえも、先の出来事についてチームメイトから追及を受けることになった。

なまえには、二宮が攻撃を躊躇った理由がさっぱりわからなかった。二宮とは同い年で、ランク戦でも訓練でも防衛任務でも、共に鎬を削り、たまに一緒に焼き肉を食べに行くような、いわゆる友人のひとりだった。感情表現に乏しいと思われがちな二宮だが、細かな表情の動きが非常に豊かで、意外と熱い男であることをなまえは知っていた。故に、二宮の考えが読めないと、なんとなく不安を覚えてしまうようだった。何としてでも真意を確かめたい、その一心で、足早に去る背中を追いかけて行ったのだ。

一方の二宮は、攻撃を躊躇ってしまった自分の弱さが憎らしく、情けなく、酷く醜いもののように思えた。なまえと対峙したことも、自身の攻撃でなまえを緊急脱出させたことも、今までに何度もあった。その度にちくりと心が痛んだが、なまえに対する恋心を隠し通すためには、なまえも含めて誰に対しても平等に、冷静に接する他なかった。いい歳して恋だの愛だのと、馬鹿らしい。自分の気持ちでさえもそう一蹴していたつもりだったが、心は騙せても、身体の反応に嘘は吐けなかった。腕を伸ばせば容易に触れられる距離。あんなになまえを間近に感じたのは初めてのことだった。偽りの肉体を纏っていたとは言え、目前に迫るなまえの眼差しが、息遣いが、白く嫋やかな曲線が、二宮の動きを止めるには十分すぎるほどの威力を孕んでいた。

「――おまえが秘かに想いを寄せる男がいるとする」
「え、何それ?私が二宮に聞きたかったのは、さっきのランク戦で」
「いいから聞け。日ごとに恋心は募るばかりだが、要らぬ揉め事を起こさないよう、その恋心は周囲に悟らせない必要がある。勿論、相手の男にもだ」

二宮は努めて冷静に、表情を変えずに言葉を選んでいるつもりだったが、なまえには言葉の裏にある想いが幾分か伝わっていた。(え、ちょっと待って、なんで二宮がそんなに照れてるの。何だかこっちまで恥ずかしくなってきちゃうじゃない、私の心臓もばくばく言ってるし!)大げさな動きで存在感を主張してくる心の臓を落ち着かせるため、胸に手を当てようとするが、そこで利き手が二宮のそれに繋がれたままであることに気付いて、なまえは思わず視線を足元に落とす。頬が、熱い。

「そんな中、予想だにしない状況で、手を伸ばせば触れられる距離にその男が突然現れたら」
「に、のみや」
「…………」
「……ええと、言いたいことが、わかっちゃった……かも。私」
「数打てば当たると思っているんじゃないだろうな」
「違うよ。こう見えて私、二宮が実は感情豊かで分かりやすい男なの知ってるから」
「ほう……ならば言ってみろ」
「今だって、さっきから、ずっと……二宮、緊張してるし、照れてるし。何だか……す、好きな女の子と、喋ってるみたい」
「…………」

先のランク戦での一件と、二宮の言動から、ひとつの推論を導き出すのは難しいことではなかった。だがそれを言葉にするのは非常に難しい――難しいというより、恥ずかしい。沈黙が場を支配する。なまえはこの羞恥に耐えられなくなり、そっと利き手を二宮から離そうとするが、二宮がそれを許さなかった。思わず視線を二宮のほうへ向けてなまえは驚いた。この男、冷静さを装って、表情を崩していないつもりになっているが、顔が真っ赤ではないか。

「ふ、ふふ、はは」
「……何が可笑しい」
「二宮、隠さなくたって良いんだよ。人を好きになるのも、好きになってもらうのも、素敵なことだよ。少なくとも私は……もし、本当に二宮がそう思ってくれてるなら、嬉しい、かも。……うん、嬉しいよ」
「はあ……今まで俺は、要らぬ努力に時間を割いていたということか」

繋いだ手がようやく解かれたのも束の間、二宮はなまえの腰に腕を伸ばし、そっと抱き寄せる。いつもよりも、先のランク戦での永遠のような一瞬よりも、ずっとずっと近い距離。互いに鼓動が早鐘を鳴らし、全身が熱を帯び、しんと静まり返っている筈の夜道がやけに五月蝿い。なまえに言わせればなんとだらしなく緩んだ表情か、と的確に指摘されてしまいそうだが、ここだけは格好付けずにはいられない――精一杯の冷静さを装い、真剣な眼差しで二宮は想いを告げる。

「おまえが好きだ、みょうじ」
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