少し、私の話を聞いてくれないか。
統率者を失った軍隊には、これ以上の戦闘は不可能と判断したのだろう。ハイリア様は、大地を切り取って人間を空へ逃がし、自ら大地で魔族との死闘を繰り広げた。邪悪な漆黒の闇と、清き正義の光が目まぐるしく空を覆った。人々は空から大地を見下ろし、雲に反射して見える光と闇の行く末を案じ、そして、祈りを捧げた。逃げ惑うことしか出来なかった自身の愚かさを悔やみ、身を賭して戦う女神の為に。この戦争で散って行ったたくさんの命の為に。
遂に終焉の者は封印されたが、満身創痍の今のハイリア様の力では消滅には至らなかった。そこで彼女は、人間に転生して封印を安定させ、神が生み出した存在でありながら神には使うことの出来ない大いなる力――トライフォースの力で、悪を消滅させることを決意した。勇者として選ばれし存在になる男も、勇者を導く剣の精霊も用意が出来たのだ、と。そう私に告げるまで、ハイリア様は毅然とした、神の一族としての崇高な態度を崩さなかった。
しかし、転生の準備を終え、この戦争の決着が見えたことで安堵したのだろう。彼女はその場で泣き崩れた。
私は顔色こそ変えなかったが、非常に驚いた。彼女がこのように負の感情を剥き出しにして、まるで人間のように振る舞うことなどこれまで一度も無かったからだ。私は彼女の隣に座りこみ、ただ何も言わずに背をさすった。愛する者を失った彼女の悲しみはきっと、ラネールの深海よりも深く暗い。しかし個人的な感情に流されていては犠牲が増えるばかり、それを知っていたからこそ、彼女は感情を抑えて戦い、酷く傷つきながらも人間を救った。人間に敬われ尊ばれる、世俗を超越した「神」という存在。それ故に彼女が感情を露わに出来るのは、人間の目の届かない、私の前でだけだったのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「ええ、……ごめんなさい、取り乱してしまって」
「お気になさらず。誰でも大切な者がいなくなれば悲しいし、悲しければ涙が出るものです」
「そうね、彼はもう……」
「ご遺体は私が責任を持って埋葬致しました。遺品の軍服や剣は、ハイリア様のお部屋に。しかし軍も民衆も混乱していた為、未だ葬儀を執り行えておりません。今から、行いますか?」
「……彼と、二人きりで」
「了解しました」
軍隊の司令官として、最期まで勇敢に戦ったひとりの男。彼はただの人間ではなく、ハイリア様が心の底から愛した唯一人の人間でもあった。
死の淵にある彼を最初に発見したのは私だ。激戦区で大規模な爆発が起こり、嫌な予感のした私はすぐに現場に駆け付けた。そこには緑色の軍服を真っ赤に染めた彼が倒れていた。周囲に魔物の気配はなく、彼の身体を貫いた筈の剣も見当たらない。私は彼の傍に駆け寄り、彼の名前を何度も叫ぶ。ハイリア様の為にも、こんな場所で命を落として欲しくは無い。その一心で必死だった。だが遂に彼は瞼を開くことはなかった。ハイリア様がお守りだと言って渡したピアスが、彼の耳に光っていた。
彼の墓がある場所にハイリア様を連れて行くと、そこで彼女は墓石を抱き締めながらまた涙を流した。私は離れた場所で彼女の帰りを待っていたので詳しくは分からないが、彼女は彼に話しかけているようだった。戦争のこと、人間のこと、これからのこと。
彼の墓前で覚悟を決めたハイリア様は、最後にこんなことを言っていた。
「しばらく、お別れね」
「どうぞお気をつけて。私は死ぬまでこの地を見守ってゆきます」
「……最後に、ひとつ聞いてもいい?」
「ええ」
「彼を勇者に選んだのは、生まれ変わってもまた彼と一緒に生きたいと願うのは、私のエゴかしら」
「…………」
「転生しても、記憶が戻るまでは別人として生きていかねばなりません。過去の女神が課した過酷な運命を、来世の私と彼は、受け入れてくれるでしょうか」
「……この世でこれほどまでに深く愛し合っていたのですから、来世でもきっと二人は結ばれるでしょう。二人なら、どんな運命も乗り越えて行けると、私はそう信じます」
「……ありがとう……」
ああ、失敬、話が長くなってしまったね。そろそろ時の扉をくぐり、数千年後の時代に生きるハイリア様に会いに行かねばならない時間だ。彼女は無事、未来の私に会えただろうか。