薄暗い部屋に小さな明かりを灯して、私は本を読んでいた。明日の授業で学ぶはずの文章を、柄にもなく予習しているのは、なんとなく心がざわついて眠れないからだった。寮の皆はもう寝ているのだろう、ページをめくる音だけがやけに響く。

もうそろそろかしら。そう思って間も無く、寮の一階で物音が聞こえた。こんな深夜に寮を出入りすることは禁止されているが、それが許されるのは彼が「勇者」だかららしい。いなくなったゼルダを探しに彼が孤軍奮闘していることは、騎士学校中の噂になっているから、恐らくそうなのだろう。しかし、具体的に彼が何をしているのかは分からなかった。先生も、本人でさえも口を閉ざし、本当のことは教えてくれない。知られたくないのなら無理に干渉する必要もないが、それでも、深夜に帰ってきてはすぐに眠り(物音がするのはほんの数分なので、すぐに眠っているのだと思う)、早朝に寮を出る生活を続けている彼のことが、最近になってやけに心配になってきたのだ。一階から響く物音を聞くだけではあるが、こうして彼の帰りを確認しないと、眠れなくなってしまった。今日も無事に帰ってきてくれて良かった。いつもと同じ安堵感に包まれて、私は瞳を閉じた。

――浅い眠りの中で、私の耳は確かに再び響く物音をとらえた。ベッドの中で耳を澄ますと、どうやら物音は一階から響いているのではなく、近くで鳴っているような気がした。今日はいつもと違う。おかしい。ゆっくりと身を起こし、私は部屋の扉をそっと開けてみる。すると、右隣の部屋(今は開かない筈のゼルダの部屋だ)の扉を背に座り込む彼の姿があった。


「……ナマエ」
「リンク!こんな時間にどうしたの」


眠気でぼんやりしていた頭が一気に冴えた。


「おかえり、リンク」
「うん、ただいま」
「……寒いでしょう。あと、傷もいっぱい」
「大丈夫だよ」


起こしちゃってごめん、と力なく微笑む彼を見て、私は衝撃を受けた。彼はこんなに弱弱しい笑顔を持つ男だっただろうか。彼の帰りを毎日密かに待っていたとは言え、こうして顔を合わせるのは至極久し振りのような気がした。見れば、肌にも服にも、細かい傷がたくさん刻み込まれていた。立派な盾と剣も身に付けている。彼は今何のために、何と戦っているのだろう。


「そうだ、紅茶でもどう?ここにいたら、風邪ひいちゃうよ」


自室に戻る様子のない彼を見て、私はそう声を掛けた。ありがとうと小さく呟いて彼が私の部屋に入った。特に深い意味は無く、ただひとりで苦悩し身を削っている大切な友人の話を聞いてあげたいと思っただけだ。もし話したくないのなら話さなくても良い。干渉するのは好きではない。しかし、わざわざ疲弊した身体で二階に上がってきた彼を、放って置く事は出来なかった。


「……ナマエ、少し、聞いてくれる?」
「もちろんよ」
「僕は狡いかなあ」
「……どうして?」
「逃げたく、なるんだ」


彼の口から聞こえる筈の無い言葉が鼓膜を揺らし、私は思わず顔を上げて彼の瞳を見た。


「勇者なんて、なりたくなかった……」
「…………」
「ゼルダに会えて、でもまた見失って、僕は……僕は本当は、勇者なんかじゃない!幼馴染みひとりさえ救えない、ただの17歳の男なんだ……ひとりで、いつまで戦い続ければ良いのか、もう分からないよ……」


目の前には、俯いたまま肩を震わせる彼の姿がある。「勇者」がひとりで抱え込んだ重圧が爆発して、静まり返ったこの部屋を引き裂いていく。彼は、寂しさとか悲しさと言ったような、そっと息を吹きかけたら消えてしまいそうな、弱弱しい光に包まれているようだった。この部屋の淡い闇に溶けてしまいそうだと思った。遅刻は多いけれど成績優秀で、正義感も勇気も人一倍ある、私の記憶の中の彼とは別人に見えた。

私は思わず彼の手を握り締めた。本当は抱き締めても良かったのかも知れないけれど、ゼルダに悪いような気がして(ゼルダが彼に想いを寄せている事は誰が見ても明らかだ)、躊躇してしまった。微かに震える大きくて弱い手を、小さい私の手で包む。消えないように、溶けないように。


「私はリンクが今してること、分からないけど……つらかったら、休んでも良いと思うし、もっと友達に頼っても良いと思うよ。リンクは勇者じゃなくて、リンクだもん」
「ナマエ……」
「ゼルダが無事だって分かって良かった。リンクのおかげだよ、本当にありがとう」


それからというもの、彼は早朝に誰にも会わずに出掛け、誰にも会わずに深夜に帰ってくる、ということはなくなった。皆を危険な目に遭わせる訳にはいかないと言って、未だに何をしているのか具体的な事は教えてくれない。しかし、「勇者」の重圧からはだいぶ解放されたようで、夜寮に帰って来てからは、寮のおばさんや友人、それから私にも、少しずつ話をしてくれるようになった。以前よりも帰寮時間が早くなったから、深夜まで本を読み帰りを待つこともなくなったけれど、一階から彼の帰りを知らせる音が響けば、私は部屋を出て、彼を迎えるのだった。


「おかえり、リンク」
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