その日、ギラヒムは空の勇者と鎬を削っていた。所詮年端も行かぬ少年だ、と勇者の剣術を見くびっていたギラヒムは、思わぬ傷を負って彼の前から逃げるように立ち去った。最初からある程度実力を発揮していればこんな失態を演じることも無かったのに、と悔やんでも後の祭り。

神殿の裏へ出たギラヒムは、血の滴る右腕を左手で圧迫しながら、外壁に寄り掛かるように腰を下ろした。この無様な姿を嘲笑うかのごとく鮮やかな青空をギラヒムは憎いと思った。彼は自らの計画を邪魔する勇者への怒り、そして勇者に勝利出来なかった自分への怒りに燃えていたが、暫くして落ち着きを取り戻した。

するとギラヒムは、何者かが近付く気配を察知する。徐々に大きくなってくる音は、大理石の床を良く鳴らすヒールの音だろう。いざとなれば瞬間移動も容易いギラヒムは、特にその場から動く事はせず座ったままで、目の前で自分を見下ろす女性の姿を捉えていた。


「楽しませてくれて有難う」
「誰だ」
「いきなり女性に名前を尋ねるのは失礼ではなくて?魔族長サン」


あはは、と乾いた声で笑いながら、彼女はギラヒムの隣に腰を下ろした。ギラヒムは彼女を睨み付けつつも内心は困惑していた。人間に自分が魔族長である事を明かしたのはつい先程の戦闘が初めてだし、魔族の中にこんな見た目の若い女性などいない。一体彼女は何者なのだろう。仮に攻撃されそうになれば逃げる事を前提に、ギラヒムは彼女と会話を続ける判断をした。


「……ギラヒムだ」
「ナマエよ」
「お前、人間か?」
「強いて言うなら、賭博師(ギャンブラー)ってとこかしら?」
「賭博師?」


ナマエは徐ろに金色のコインを一枚取り出しギラヒムの手に握らせた。「表なら3000ルピー、裏なら身体(セックス)」と不敵な笑みを浮かべてナマエは言う。ギラヒムは怪訝な面持ちでコインを天高く投げ上げ、左手の甲に乗せて右手で止めた。閉じた右手の指をそっと開くと、左手の甲に在る筈のコインが無い。意表を突かれたギラヒムが慌ててナマエに視線を移すと、コインは彼女の指の中で光っていた。

ナマエはさっと立ち上がり、後ろに跳ねてギラヒムと距離を取った。そして細く白い腕をいっぱいに広げ、まるで感情の昂ったギラヒムのように、少し大袈裟な四肢の動きを見せる。


「先程の戦闘!私貴方に賭けていたのに、残念だったわ!でもあの童貞クンなかなかやるわね、とっても刺激的(エキサイティング)な時間を過ごせて楽しかった!」
「ちょっと待て、俺の戦いは見世物なんかじゃねえ!」
「あら良いじゃないの、見てるだけよ」
「駄目だ駄目だ」


掴み所の無いナマエという相手をギラヒムは苦手だと思った。魔族長という立場柄、自分が優位に立てない相手は今この世界には存在しない。だからこそ相手を優位に立たせない不思議な雰囲気を纏う彼女に困惑させられ、少なからずギラヒムの精神は疲弊していた。

諦めるように立ち去ろうとしたギラヒムの背に腕を伸ばして引き寄せ、ナマエは彼の耳元でそっと囁く。


「魔族長サン、ひとつだけイイ事教えてあげる。あのね、この世は全て賭博(ギャンブル)なの。何かを賭けて何かを得たり失ったり、その繰り返しなのよ。但し賭博は所詮遊戯(ゲーム)に過ぎない……この事、忘れないでね」





それっきりナマエは姿を現さない。ナマエという不思議な女性の存在は、ギラヒムの記憶の中から薄れていった。というのも、「主の復活」という悲願を賭けた勇者との戦争が佳境に入り、たった一度言葉を交わしただけの女性の事など顧慮する余裕が無かったからである。しかし、去り際に彼女に告げられた台詞だけは、ふと心に浮かんではギラヒムを惑わせた。


(この世は遊戯、か)


命であれ、財産であれ、何かを成し遂げる為に何かを賭けなければならないのは世の常。彼女の見解は正しいが、しかしそれを遊戯と表現するのは語弊があるとギラヒムは思った。人生と遊戯は似て非なる物。遊戯なら例え敗北してもボードをひっくり返してまたやり直す事が出来るし、現実とは掛け離れた一種の仮想空間で嗜む暇潰しに過ぎない。

勇者に敗北し退魔の剣に封印されてしまった今、ギラヒムは改めてナマエの言葉を反芻していた。賭博に敗れた結果のこの不自由な身体さえも「罰ゲーム」だと言って、彼女は乾いた声で笑うのだろうか。


「魔族長サン」
「……ナマエ?」


懐かしい声にギラヒムの神経は研ぎ澄まされた。今のギラヒムは視覚を奪われナマエの姿は確認出来ないが、神殿に響くナマエの声と、冷えた剣に触れる控え目な体温は確かに感じ取れた。ナマエは退魔の剣を見つめ言う。


「お疲れ様でした」
「……これから、どうすれば良い」
「言ったでしょう、この世は全て遊戯と……もし道を誤ったのなら、リセットボタンを押してやり直せば良い」
「何を言っているんだ」
「ほら」


ナマエがそう囁いた瞬間、ギラヒムは封印の地に立っていた。目の前には主を封印する石柱が静かに佇んでいる。女神と魔王の戦争が終結した直後のように、切り取られた大地の跡は脆く、どこか血生臭い。


「また会いましょう」


ナマエの姿は見えず、声だけがギラヒムの鼓膜に響いた。
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