「誰か其処におるのか」

声を上げたのはまだ年若い男だった。
見事な馬に跨がり、腰には刀。精悍な顔立ち。身に纏っている着物の質の良さから高い身分の出身というのが一見して分かる。
そんな男が声を掛けたのは、誰でもなかった。彼を取り囲むねは草木ばかり。見渡せど目を懲らせど人や動物の姿はない。それなのに何故、声を掛けたのかというと何者かの気配を確かに感じたからだ。己の命を狙う忍か何かかと思ったが何やらそうではないらしい。
人の気配にしては薄く、曖昧であやふや。形どるのが難しい。例え隠密活動を主に扱う忍であっても人。その気配は確かに人の形をしているのに。どうにも分からず考えあぐねた結果がコレだ。我ながら阿呆なことをしていると自覚しているが、気になるのだから仕方あるまい。
視線は感じない。
けれど確かにいる。
その者の存在を肌で感じながら、そっと目を閉じ耳を欹てた。

ぱくぱく
むしゃむしゃ
もぐもぐ
ごくん

何かを食べる音がした。こんな、木や草しかない森の中で一体何を食べているというのか。辺りをぐるりと見回してみるが木の実の付いた木や川のせせらぎなど見えない聞こえない。ならば何を食しているのか。どうしてか無性に気になった。馬の手綱を繰り、薄ぼんやりとした気配と咀嚼音を頼りに森を更に奥へと進む。どこかで自分を捜しに追ってきた臣下の声がした気がしたが構わない、放っておこう。毎日のように武芸だ執務だと言われ詰め込まれうんざりしているのだ。少しぐらい息抜きをしなくては。そう思い屋敷を飛び出して早数刻。早々はお目に掛かれないであろう出来事を体験しようとしている自分を静かに感じ、青年… 武田晴信は心を高揚させていった。気晴らしに遠乗りに出て正解だと胸中頷く。此処までを共にやってきた愛馬の手綱を繰り、音のするほうへと近付く。馬に怯えた様子はない。妙なものではないのだろうとなるべく音を立てないよう、草木を分け進む。
少しずつ大きくなる咀嚼音にワクワクと胸を高鳴らせ、もう一つと草木を分けた。踏み出た先は少し拓けていて。其処にどっしりと腰を構える、名も分からぬ花をつける大木とその立派な枝に座る何者かに目を奪われた。

ぱくぱく
むしゃむしゃ
もぐもぐ
ごくん

微動だにしない… 否出来ない晴信とは真逆に、枝に座る何者かは止まることなく手を動かし大木が咲かす花を次々と手でむしる。そして口へと運び。先ほどからしていたのはコレか、と合点がいった。固まっていた体を動かし、ひたすらに花を啄んでいる者の元へと。気配を隠すことなく近付いているというのに相手は此方を見る気配すらない。それ程花を食むのに夢中になっているのか、はたまた晴信を小物と捨て置いているのか。

「……なんと…」

木の根元へ近付けばよりハッキリと何者かの姿形が見えてきた。その輪郭を捉え、思わずと声を上げる。
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