トリップ編
(占星術士の全国行脚)
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またけったいなのに話し掛けられたもんだとその当時男は思った。
けったい。そうだろう、誰だってそう思うだろう。あんな目にも鮮やかな天色の外套を羽織った人物なんて。それも女だ。訝しく不審に思い身構えてしまったのはあの時、女が話し掛けてきたとき茶屋に居た全員が全員だろう。

四十と数年、生きていれば様々な人間に出会う。馬の合う者、そりの合わない者。それ以外に分類される者にも会うてきた。それでもこんな印象を抱かせるのは、そうそういなかった。女だから余計にそう思うのか?いんや、二つ先の通りの長屋に住んどる老婆も引けを取らない。

腕を組んで唸る。そう、そうだ。彼女はそういう印象を与えた。

皆の視線を独り占めするような出で立ちをしておきながら、その程度と思わせる。埋没するのだ。一際目立っておいてするりと一歩後ろにすぐ下がって。記憶に残って残らない。
恐らく男ー… 吉野庄ヱ門もあんな事が無ければ彼女の事などあっという間に忘れたろう。少しばかり奇異な女に会ったと。やれそんな事よりあちらの件はどうなったね。あああれは。それで御仕舞い。

人生何があるか分からない。とは亡くなって久しい祖父の言葉。三代続く骨董品屋を営む庄ヱ門は古壷に付いた汚れを手拭いで拭き取りながら懐かしい昔日の頃を思い出す。
嗄れた声と手。頭を撫でられた時の腕の軽さに切なさを覚えた。もう長くはないと医者に伝えられ布団で過ごすようになった晩年。淡々と若い頃に経験した不可思議な出来事を話して聞かせてくれた。その折祖父がそう言ったのだ。

ああ確かに。本当に。先達の教えほど身になるものはありゃぁせん。
女の言うことと身に起こっている事象とがお見事。重ならなければこんな風に考えることぞなかったが。

『お久しゅう店主殿。その後どうなりましたか』
「これはこれは、ようこそおいでくださいました。お陰様で変わりなく過ごさせて頂いておりますれば」

暖簾を潜って店に入ってくる天色を見ればつい先日の記憶が甦ってくる。

物見遊山の帰りのこと。山歩きて疲れた足と体を一休みさせる為訪れた峠の茶屋。こんな所で店を開いているからか看板娘は町の話を頻りに聞きたがった。大人げなくもどれ一つ怖がらせてやろうと身近で起きている怪異を口にしてやった。

渡りの商人から買い取った檜皮色の茶碗。丁寧に塗り上げられたそれを一目見て気に入り、即時購入を決意。店には決して出さずに家に飾り眺めておった。しかしそれから数日ほどしておかしな物音が聞こえるようになり。初日、二日は気にも留めなかった。けれどもう三日、それが続けばどんなに鈍い人間でも気になってしまう。おかしい、これはおかしいぞ。


ことりことり。ごとんごとん。がたがたっ。


日に日に大きくなってゆく物音。探しても見つからぬ音源。念仏を唱えても効果はない。
恐ろしや、恐ろしや。あの茶碗のせいだ。怪異はあの茶碗を購入してから起きている。おのれなんという悪辣なものを売りつけおって。次に見かけたら手にかけてしまうやもしれぬ。

いくら気に入ったとはいえ、怪異など起きては堪らない。しかし捨ててしまうのはちと勿体無い。然らば売ってしまおう。それがいい。そうしよう。

身の毛も弥立つ恐怖を経験しておきながら神社仏閣にすがらないのは商人ならでは。命も惜しいが金も惜しい。成る程。
と、そこまで話しふと看板娘の顔を見てみる。桜色に色づいた頬は嗚呼可哀想に。青白くなってしまっている。あの怪異を共に経験した妻の顔色とそっくりだった。それを見て少ぅしばかり心の内でほくそ笑んだ。完全な八つ当たりであるのは承知している。けれどコレぐらいの憂さ晴らし、許されるだろう。娘に実害は無いのだから。

歪む口元を誤魔化すように茶を飲む。ごくりと嚥下した頃合いを見計らうかのように件の女が声を掛けてきたのであった。
『お困りですか?』と。


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