袖に金木犀で夏祭り
2016/03/24 23:55

不慣れな、というより生涯初めて袖を通す“着物”にドキドキと胸が高鳴る。高揚よりは緊張のほうの意味合いでだ。
皺一つない布地に、合わせて作った帯。それが安物でないことは見た目から分かった。これでも世界最高の身分の生まれ。目利きは確かだ。しかし今ばかりはその目を恨んでしまう。
質の良さがいっそ分からなければ、こんなに体が固くなることもなかったろう。

いや、それだけじゃないなとコラソンはチラリと目線を下に向ける。
彼女がコラソン用にと拵えた浴衣の衿を手に持っててきぱきと着付けを進めていた。これが何よりコラソンを緊張させる要因であった。

「…………。」
『よ…っと。うん、丈はこんなもんでいいかな。さてじゃあ帯を…』
「な、なぁ」
『おん?どったの』
「この…着物?浴衣?はこんなに密着しないと着れないもんなのか…?」

そもそも肌着も無しで着るものなのか。言いたくはないがこの浴衣の下は下着1枚だ。半裸だ。そんな状態の男に女がこうも密着して着るなんて…。間違いが起きたらどうするんだ。お、起こすつもりはないが!

慌てているコラソンには悪いが何もどうしてもこうしなければ着れないことはない。ただコラソンが着付けを覚えればいいだけ。今回は初めてだから彼女がこうして手ずから着付けているが…。よしんば覚えたとしてもいつものドジっ子を発揮して転んでしまう様子が目に浮かぶ。
少し前まではただ立っているだけでも何故か急に転んだりしていたから、こうやって着付けの間だけでも何事もなくしていられるのは素晴らしい成長と言える。
彼の場合は“あちらの世界”での“設定”だから致し方ないのだが。故に今は鳴りを潜めているドジっ子も向こうに戻れば元通り。あちらの常識はあちらでしか適応されないのだ。

それに気付いて絶望する姿は、当然ながら彼女は拝めない。

いつも以上に近い彼女との距離に焦りを隠しきれないコラソンを見、くすりと小さく笑って後ろに廻った。

『そうだね、誰かに着付けてもらうんならこれはしょうがねぇよ。嫌なら覚えっかい?』
「い、嫌じゃなくってだな…!その、これはあまりに…っ」
『ならいいじゃねーの。私も誰かを着付けるのなんて久しぶりだからね。楽しいよ』
「……他にも、こうして着付けした男がいるのか?」
『んん?まぁむかぁしに一人か二人ね。』
「そうか…」

何も恋愛経験が0ではないのだ。過去に付き合った男の一人や二人ぐらいいる。その人らと夏祭りに出掛ける機会が以前合ったのでその時に。現代っ子が着付けなんぞ出来るわけない。己もそう頻繁に和服を着るわけではないが、叩き込まれた技術は簡単には抜けない。それをここぞとばかりに使ったりもした。
別段珍しい話でもないだろう。毎日男を取っ替え引っ替え、付き合った男は数知れずなんて引くような尻軽話でもなかったはずだ。なのにコラソンの機嫌は目に見えて下降しており。

やれやれ全く。面倒な男だ。自分だって付き合った女が居たり、一晩だけの女を買ったりしたろうに。無言になり、俯くコラソンの意識を浮上させるべくややきつめに帯をぎゅっと結んだ。

「ぐぇっ!」
『なーにご機嫌ナナメになってんの。折角男前なんだからもっとしゃんとしんさい!』
「いでっ」

ばしりとついでとばかりに背中を叩けば呻き声。これっくらいで痛いわけないだろう。さんざん向こうで荒くれ事に揉まれ体も鍛えられていたと言うのに。こんな最低限の筋力しかない女の叩きが痛いわけがない。…そうだよね?
よもや自分の知らない内に強くなった訳ではあるまいなと若干不安になりながらもなんとも言えない表情をしてコラソンが振り向いた。

「急に叩くな。驚いただろう」
『あっ、痛いんじゃないんだね。安心したスゲー安心した』
「海兵だからな。体は鍛えてる」
『さっすが〜。じゃあもしもの時は守ってね』
「あぁ任せろ!」
『バリバリー』
「??」
『ごめん何でもない』

いかんいかん、こういうネタが万人が知ってんじゃねぇのを忘れちまってた。友人どもの間では通じてたからなぁ。そういや最近会ってないけど生きてんのか死んでんのか。まぁ死んじゃぁいねぇだろう。便りがないのは達者に暮らしてる証拠ってね。

さて一先ずコラソンの着付けは終わった。着なれないから窮屈かもしれないが、たった1日。我慢してもらおう。とりあえず居間で待機してもらい自分は手早く仕度をすます。人のを着付けておきながら自分が不慣れでもたつくという訳にもいかない。5分ほどで着付けは終了。
後は女が最も時間を掛ける化粧とヘアメイクだ。そこまで厚化粧じゃないけれどそれなりに時間は掛かる。 ベースメイクはしてあったので仕上げとパウダーを軽くはたいていつもより色のついた紅を引く。口元が明るくなったが若さで許してほしい。

顔が出来れば次は髪。前髪の付け根辺りから編み込んでいき後ろで団子に。そこにこの頃に咲く木槿(むくげ)を象った簪をさせばあっという間に完成。ヘアアレンジは毎日のようにしているから最早苦でもなかった。四苦八苦していた頃が懐かしい。
鏡を見ながら変なところがないかを探す。後れ毛はまぁいいだろう。下手にきっちりするよりもこれぐらい解れているほうが色気がある。同じ家に住んでいて、同じタイミングで外出するからそんな感じはしないが今日は立派なデートだ。少しくらい頑張ってもいいだろう。
匂いのキツすぎない練り香水を首筋と手首につける。キセルは吸わない。折角の香水の意味が無くなってしまうから。

さぁてコラソンはどんな反応をしてくるかな。

久しぶりにうきうきと心が跳ねる。浴衣が乱れぬよう歩き方にも気を使って自室から階下の居間へと降りていく。板張りの床が素足をひやりと冷やして心地いい。この家を建てる時には鶯張りにする案も出たそうだが却下となり。それでいいと思う。だって鳴ってしまったら誰かを驚かす事なんて出来ないもの。
抜き足差し足忍び足。のつもりは無かったが気が付けば足音を立てないように歩いてる自分がいた。相手は大分平和ボケしたとはいえ海兵さんだ。こんな一般人の女の隠密行動なんて筒抜けだろうけど。

慎重に歩いていたせいで廊下を長く感じながらもコラソンの待っている居間へと着く。最後に自分の体を見下ろして最終チェック。よし、大丈夫だ。

『わりぃ、待たせたね』
「いや俺が着付けに時間使わせた、から…」

襖を横に引いて声を掛けりゃあこちらを凝視したままフリーズするコラソン。なんだどうしたと首を傾げればわっと彼の顔は赤くなり。なんともまぁ分かりやすい反応に笑いを堪えきれなかった。



終.
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