かわりに






藍天が眸に落ちてくるような世界だった。僕は人混みの中で立ちすくみ、汗を流していた。きゅうっと下腹が痛む。胃を爪で切り刻まれているみたいな腹痛が絶え間なく訪れていて、体調が悪いんだと、ぼんやり考えていた。
大理石で出来た校門に背中を預ける。白亜の滑らかな大理石は僕一人くらい受け入れてもらえるくらいはしっかりしていた。瞼を閉じると校庭に植えられたポプラの木が、ざぁざぁ、鳴くように揺られていて、今から帰宅する、生徒の声も、ゆっくりと届いた。楽しそうな声を聞いていると、僕の身体は関節を失い、蛸みたいにくにゃくにゃになる。誰かの人生の片隅に置かれることを許していただいたようで、おこがましいけど、僅かに楽しさという名の幸福を分けていただいたようだ。友人同士がかわす他愛ない会話は小さな弾みがあり、心地よい。
風が汗でおでこにくっついた髪を煽り、ずーと向こうに飛んでいく。突風がぐわっと背中を押され、瞼をゆっくり開けると、白く閉ざされた音だけの世界から現実に引き戻される。僕が人生の畦道に置いてもらっていた世界はおわり、小さく蹲る、僕という愚かで矮小な世界が目を覚ます。


「トラ」



真っ先に映ったのはトラの顔だった。可愛らしい女の子が腕を組み、汗と汗を混じり合わせながら、歩いている。化粧が艶やかにひかる唇は甘美な声色をあげながら、スポットライトがあたった世界に立っている。僕は静かに自分の爪先を眺めた。下をぐいっと向いた先には、見慣れた僕が広がっていて、待ち人は、僕の横を通る。少しだけ悲しくなるけど、悲しいと思うことでさえ、不相応な感情であると思い出し、皮膚をつねった。
そっか。彼女さんが今日から出来たんだ。良かった、良かった。最近、欲求不満で彼女さんが欲しいって柴田くんに話していたから。トラが帰ったから僕も帰らなくちゃ。もう少ししたら動こう。今、動いたら、後をつけるみたいになっちゃうから。
再び目蓋を閉じる。息をふぅっと吐き出すと、熱風を孕んでいて、水分不足だなぁと思っていたら、水を口の中に突っ込まれた。だ、誰って驚きのあまり、目をあげたら、ネネちゃんが不服な顔で立っていた。
ペットボトルを無理矢理突っ込まれ、蒸せてしまう。飲みきれなかったのが咥内から溢れて顎をつたうとようやく外してくれた。


「帝のばかっ!」
「ネ、ネネちゃん!?」


ネネちゃんは僕の胸をぽこぽこ叩くと、大きな眸からぼろぼろ涙を流した。
大丈夫、ごめんなさい、繰り返したけど、ネネちゃんはそんなの一蹴して、叫んだ。
帝のばかって。
校門だから人の目が集まるけど気にならないらしく、大声で叫んでいる。今更だよ、僕がバカなのは、と告げると、更に叫ばれ、手を延ばされた。



「帰ろう、帝」
「う、うん」
「帝はばかだ。ネネにしておけば良いのに。ネネだったら良かったのに」
「ごめんなさい」
「謝るな、ネネはネネはネネは!!!」


ネネちゃんは何か言いかけたけど口を閉ざす。すごく不機嫌だ。代わりに掌を握る強さが増し、痛いくらいだったのに、優しくて、風に包まれた空間より、ずっとずっと優しくて、痛さが心地よかった。


「ありがとうネネちゃん」


告げると、それで良いのって顔を満足に、にまっと笑顔を作ったネネちゃんが僕に向かい言った。
二人で手を繋ぎながら帰路を辿る。痛い、痛い、痛い、食い込む指が僕らを一つにしていた。











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