クロルカルキに上履き








白に痺れるのだ。


科学室に籠もる独自の薫りを嗅ぐ。クロルカルキのような魅惑の罠に舌が麻痺する。ラムネかと期待を沸かせば、毒になる。不安定で否定したい気持ちを柴田は抱き抱えていた。
踏んで掃くのが当たり前となった上履きは指定のが気に入らず勝手に購入したものだ。
教師は黙認しているし、自由な上履きを履く生徒が多過ぎて一人一人指導していくほど暇ではないと云うことなのだろう。柴田の周囲でも指定上履きを履いている人間など一人しかない。その一人は親しくなってしまった今は、その他大勢の群衆の中に数えるのは違和感を覚える人物なので、気にはならない。

履き潰した上履きは一年の時から履いているものだ。白地に奇天烈でありながらバランスの取れた模様が入った値打ち物のシューズだが、既に灰色へと変色していた。普段の柴田なら新しい物をすぐに買うのが、持ち帰るのが億劫になり、上履きを小まめに変えた所でさほど誰も注目しないことを知った瞬間から、学校にいる時間だけ履く靴への興味は薄れ、遂に買い替えることなく、最終学年にまで成ってしまった。
そんな、上履きで柴田は科学準備室へ通う。校内を白み潰しに歩いたこの上履きは誰の目にも触れているが、誰もこの上履きが科学準備室へ入ったことがあると知らない。


「せんせー居る?」


軽薄でありながらも親しさと愛しさを押し潰すような肉声が響き渡る。
がらんとした科学準備室の空気は誰もいないことを指す。
珍しいと柴田は思いながらも上履きを動かすと、L字型に曲がった白磁の世界を抜けると、見慣れたソファーやテレビ、木製の机が見える。
以前なら誰もいない方が都合が良かったし、侵入者が居たのならば、自分の領域を荒らされたようで不快だった。それなのに今は誰もいない空間が寂しく思う。柴田にとって劇的な変化だが、目を逸らすように、口を尖らせ、ちぇー、と年相応に拗ねた態度をとり、ソファーに寝転び、先生、が帰ってくるのを待つか、決めソファーを覗き込むと、無防備な寝息と顔が見えた。



「先生寝てるじゃん」

眉間に皺が寄った苦しそうな寝顔を見つめながら、柴田は人差し指で先生の頬を突く。
柴田が先生と呼ぶのは飯沼という非常勤の科学教師である。科学担当教員の証のような、白衣がソファーで皺くちゃになっている。顔は雀斑が吹き付けられていて、その上、眸もお情け程度の小ささであり、髪の毛は手を付けられず放置したということが見受けられる。

犯り潰してねぇのに寝てるの初めて見た

柴田は飯沼の頬を突く手を止めない。二人の始まりは、常識という枠組みから外れた所から始まったせいもあり、飯沼が安心した表情を垣間見せながら寝るといった光景を柴田は、はじめてみた。
随分、親しくなってきたと、綻ぶような嬉しさと伴にあった。皺を寄せ寝るのが犯り過ぎて疲れていたからできたものではなく、寝るときの癖とわかり嬉しい。


不細工だなぁと思いながら、柴田は飯沼の頬っぺたを突く。飯沼に対して抱く感情は今まで柴田が感じたことないものばかりだ。履き潰された灰色の上履きでさえも、知らない、知らないと口を揃えて云うであろう。二人の秘密の仲を知ってい
る上履きなら尚更、首を全力で降るに違いない。

しかし、柴田はこの感情の意味や真意を求めていた。知りたい、知りたくない、知りたい。何回転もする世界で言い訳を求めるように、夢の世界に居る飯沼の首筋に顔を埋める。すっかり支配してしまった、自身がいつも寝転ぶソファーに今は発汗した飯沼独特のクロルカルキの薫りが鼻につく。薬品に塗れた生活を送っているせいで、エタノールを薄めたようなクロルカルキの薫りに自分の薫りが交ざることによって、首筋に顔を埋めただけなのに、柴田は飯沼と交じりあっているような気分になった。
飯沼はびくんと無意識下で身体を怯えたように痙攣させる。柴田は可愛いね、せーんせ、と耳朶を甘噛みする。

「んっ」

寝ているくせに、声が漏れ、柴田はその声に反応する。
悪戯心は実を結び、飯沼の顔に触れるキスは止まらない。

暫くキスを繰り返すと飯沼は小さな眸を開き、眼鏡の隙間に指をいれ、擦る作業を繰り返しながら、微睡の世界から覚醒すべく、柴田の名前を呼んだが、柴田はニヤリと笑っただけだった。

無防備に寝てるからいけないんだよ、と普段の自分を棚に揚げ、柴田は言い放った。
白い白衣の隙間に手を入れ、皮膚に触れる。甘い声が聞こえ、気をよくした柴田は軽い口付けを繰り返しながら、白を汚した。

白を汚している最中、履き潰した上履きだけが、それを眺めていた。







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