人間が発する音が好きではないの。




彼女は俺にむかってそう告げた。雨音が彼女の肉声に被り、窓の外に見える水滴を彼女は憎たらしそうに眺めていた。苦痛が詰まった眼差しを見つめるのが愉快で、皺の寄った表情は化身のようで、恍惚な気分に浸りながら彼女の話に耳を傾けた。
暖かいミルクティーを渡すと、彼女の小さな滑らかな唇は陶器に軽く触れ啜る。音はたたない。彼女の声色は一定していて、俺に語る。俺も陶器に口をつけて、ミルクティーを啜る。甘ったるい砂糖菓子が投下された水分を摂取するのは久しぶりで、他人にあわせて飲むという行為も随分、久しぶりであると悟った。
彼女に暫く会っていなかったからだ。
理解した俺は溺れ、水没死してしまった自分の皮膚が老人の手のひらをしていることに気付き笑い声を盛らす。
彼女は俺の笑い声に気付き一瞥すると、また俺に対して語り掛ける。
感傷に浸りながら語られる言葉の数々が以前語られたものと文字の羅列を変えただけで同じものだと俺は知っている。彼女は言い聞かせているのだ、俺に。俺は一番ではないと。一生かかっても一番にはなれないと。心も身体も俺以外の人間に既に分け与えてしまったと。幾度も、幾度も、俺に聞かせる。
俺は知っているよと思いながら話を聞いている。彼女がこの世の中心に沿える人物に会ったこともあれば、会話を交したこともある。その人間も俺に対して同じことを言葉の節々に潜ませていた。単調な威嚇しかできない興奮した口調を俺は愚かだねぇと思いながら見つめていた。威嚇するまでもなく、身体を分け与えた君たちを遮るものに俺はなれないって云うのにさ。同性であるが故の悩みを彼女たちはお互いに保管しながら、笑いあっていた。
最近、彼女は自覚が芽生えてきたのだろう。水魚が飛び跳ね、水滴が俺にかかる。宣告される言葉の数々。



私はね、あの子以外の音はきっといらないの。けど貴方の声を私が聞いてあげるのは、あの子が私以外を選択してしまったから。私はあの子を埋めるときだけ、貴方の音を聞くの。






結露が滴れる窓に白磁のように美しい指先で彼女がこの世の中心に沿える人物の名前を書きながら述べる。俺は笑みを崩さず彼女を眺める。
別に一番じゃなくても良いさ、と思いながら。彼女の本音を吐き出し、惨たらしい一面を全部さらしても良いと思える人間で俺があるなら。楽しいとか嬉しいとか、そんな感情を俺に向けなくても良い。目障りだとは感じないが、あくまで、おまけ、である。俺は出来ることなら彼女という人間の死期に立ち合える人間になりたい。白骨化し、骨を焼き、食べる。彼女の一番惨烈な形容を見ることが与える存在になりたい。
だから、彼女の愚痴のような言葉も全部俺は聞いている。
彼女も俺がなにを与えて欲しいか、悟っているだろう。だが、彼女は常に俺へ対しての宣告を続ける。止めることはないだろう。自惚れが人間の最も恐ろしい感情の一つだと彼女は知っている。

俺は飲み終わり、空になってしまった陶器を机に置き、彼女へ近づく。指先を絡め合うと、ひんやりと冷たい彼女独自の温度が俺に浸透する。瞼を重ね合わせ、彼女が彼女のこの世の中心に沿える人物に対して向ける涙が零れ、俺へと伝わる。




私の、あの子だったのに。あの子の、私だったのに。





彼女はそう言いながら、俺の胸板を叩く。拳が鋭利な刃となり俺に突き刺さるが気にしない。



「優しいですね、藍さん」



雨音が降り注ぐ。俺の声しか聞こえていないであろう、彼女は大きな声をあげ泣いていた。














20110816

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