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「起立、礼……――着席」



 僕は声を張り上げ告げる。がたがたと椅子が動く音がする。担任教師が「解散、お疲れさん」と言うと静寂に包まれていた教室がいっきに騒がしくなる。
 時間に追われるように慌ただしく教室を駆け出していく奴、部活が面倒だと部活仲間と喋りながら出しっぱなしの教科書を片づけている奴、時間に追われることもなく今日の帰り道にどこへ寄っていくかとたるそうな声で喋っている奴。
 色んな人間が教室の中には犇めきあっている。そんな中で僕は委員会へ向かうために教科書が詰った重たい鞄を肩に掛け立ち上がる。
 
 学級委員は男女一人ずつで構成されているけど、今日は相方である女の子は欠席するらしいと昼休みに本人から知らせがあった。なんでも彼女は最近、塾へ通い始めたようで、そちらの方が重要らしい。僕は一人でも事足りるので、彼女には気にしなくていいですよと笑顔で言っておいた。僕の笑顔に安心したようで、今、彼女は教室を急いで出て行った。ただ、どちらかが疎かになるなら、はじめから学級委員に立候補なんかしなければ良かったのにと少し思ったけど。

「充葉ぁ」

 教室の扉を潜ろうとしたとき、テノールの艶のある声が聞こえる。何年も聞き続けている肉声に嫌気がさしながら顔をあげる。

「ジル」

 ジル・トゥ・オーデルシュヴァング、僕の幼なじみはそこに立っていた。僕の名前を呼んだ唇はてらてらグロスを光らせ綺麗な三日月形を描いている。すらっと伸びた身長に、ほどよくついた筋肉。
 誰もが羨望の眼差しで見つめる美しい身体がそこにはあった。
 名前から判るように、ハーフの父親と純粋な日本人である母親とのクォーターだ。ばさばさと伸びた睫毛。
 男のくせに化粧をしているが、ジルの顔が美しいことに変わりない。アイラインで強調されている、切れ長の眸の深い輝きに見つめられると大抵の人間は息をすることを忘れる。むしろ化粧をしているので、美しさが抑えられていると言ってもいい。
 彼が化粧をするのは訳があるから、その、化粧を外した後の顔を見たことがある人は学校では僕くらいだ。

「今日さぁ、一緒に帰ろうよぉ」
「けど、僕は委員会だよ。二時間くらい待ってもらうことになるけど」
「うーん、それでもいいよ。待っているからさぁ」
「じゃあ、勝手にすれば」

 女子でもないのに一緒に帰りたいが為に待っているなんて、相変わらず世間一般の価値観とはずれている奴だ。
 普段は時間に追われるように慌ただしく教室を駆け出していくくせに。
 本当は断ってしまおうかと思ったけど、綺麗な眸で見つめられると断ることが出来なかった。人と話す時に相手の目をじいっと見つめるのは彼の癖だ。精密機械で体中をスキャンされたように、僕のすべてが見抜かれた気になる。だから僕は見つめられると、面倒に答えるふりをして結局、ジルの言葉を肯定的に返している場合が多い。

「この教室で待っているから、充葉」
「そう」

 僕は今度こそ教室を出ようとジルを押しのけるようにして、廊下に出ようとするが、耳に残るざらついた声を聞き、思わず立ち止ってしまう。

「ジル! お前、今日早く帰らなくていいなら俺らと一緒にカラオケでも行こうぜ」

 まだ教室で屯っていた、普段ジルと一緒にいる連中の一人が声をあげる。坂本だ。坂本は高校に入ってからジルに一番話しかける男だ。ジルの方は興味関心が薄いようだけど、坂本との会話を難無く交わしているので、嫌いという訳ではないだろう。
 高校生のくせに煙草を吸い過ぎたのかと勘違いするような、濁声が脳裏に残る。偏見といえ、そんな勘違いをされる風貌の坂本は金髪に輝く髪を靡かせジルへ駆け寄った。何回も染め直された金髪は痛んでいる。
 僕より顔一つ分大きな身長が揺れ動く。坂本は「なぁ」という声を上げながら執拗に彼を誘った。まぁ、当たり前か、とその場から離れるタイミングを失った僕は聞き耳を立てながらその会話を聞いていた。

「はぁ、ふざけるなよ。オレは今日、充葉と一緒に帰ってファミレスに行くんだから。お前らと一緒にいる時間なんかあるわけがないだろう」
「け、けどいいじゃねぇか。お前、いつもすぐ帰るし、それに相手、イインチョウだろ?」
「うるせぇ、黙れ」

 悪態をつくジルは教室の扉を殴る。指輪が嵌められた指で殴られた扉は大きな音をたてた。窓ガラスが近くになかったことに感謝していると僕は視線を感じ、断られた坂本を見ると、酷く歪んだ表情で僕を睨んでいた。

 ただの幼なじみであるだけの僕を自分たちより優先されるのが気に食わないのだ。
 坂本には何度か嫌味を言われたことがある。ジル関連の言葉ばかりで大抵やり過ごせることだが、時たま、僕の心に大きな傷跡を残す言葉も落としていく。坂本は僕が平気そうな顔をしているから容赦ない。
 いや、それ以上に彼のジルを思う気持ちが強いかも知れない。
 今までジルの傍へ近づく奴らを見てきたけど、坂本ほど、ジル本人に対して距離を縮めようと努力している奴を見るのは初めてだったから。彼みたいな人間からすれば、僕のような存在は、ジルの友達として失格なのだろう。

 そもそも、幼なじみ、家が隣というだけで今まで濃厚な縁が続いているということ自体が彼には理解できないのだろう。
 せめて、僕が彼らと同じように、所謂、派手な容姿をしていれば風当たりは緩和されていただろうけど、僕はその反対側の位置にいるような地味な容姿をした男だった。
 目尻がつり上がった眸、小さなお情けのような鼻、薄い唇。美容院などには行っていない、真黒で適当に散髪されたような髪型。僕だってあんまり自分の顔は好きじゃない。お陰で鏡は御無沙汰だ。だから、ぎろりと睨まなくても僕だってわかっている。ジルと正反対で、隣に居ることに違和感があるってことくらい。

 






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