指先の熱に眠る



料理をいつも通り作っていて、明日はお肉を柔らかく煮込んだビーフシチューにしようと、縛り付けた牛肉の固まりを包丁で切り、優しく叩く。塩胡椒を振り付け、玉ねぎを取出しみじん切りしていたら、指先を切ってしまった。
指先を切るなんて久しぶりで、慌てた僕はトラが食べる料理へ血が交じらないように、とりあえず台所から洗面所へと迎う。指先は血液が集まるから、小さな切り口から、予想以上に血が溢れてきている。洗面所の蛇口を回すと、染みるけど、水を降り注ぎ、傷口を洗うと、居間へ戻り、ティッシュを取り当てようとした所だった。


「帝、帰ったんだけど」
「あ! おかえりなさいトラ!」

トラが帰宅するまでに行っておきたかった過程まで進まなかったアクシデントに対する自分の打たれ弱さに嘆息が漏れてしまう。なんでも上手に出来ないなぁ僕って、なんて苦笑いを浮かべ誤魔化すっていう卑怯な手段しか使えなくて自分自身に嫌気がさすけど、そんな僕に対して、トラは顔を背けることなく、見てくれた。
トラの美しい顔に見つめられるだけで、心音が異常に反応する。真っ直ぐに伸びて、綺麗に反ろう睫毛や、アーモンド形の切れた瞳の奥から心臓を叩く音が聞こえてくるようだ。筋が通った鼻は外国の血が入っているといえ、誰もが憧れを抱くような整った精悍な鼻をもっていた。僕の名前を呼ぶ唇は薄く、滑らかな半月型の円を描いた。唇の隙間から見える、唇と相反するような歯は荒々しい獣のようで、雄々しく、性格面を含めなくても、僕はトラ以上に美しい人は見たことがない。美しく、強く優しいあり、繊細な人だ。

そのトラが僕の名を呼ぶ。痛さは麻痺し、僕は時間さえも忘れてしまうというくらい、トラという熱に犯される。好きと愛しいが混じりあって気を抜くと泣いてしまう。僕はトラが好きで大好きで愛しくて、性的興奮を含む眼差しでトラのことを見ているのだけど、それが愚かだと断罪されるような感覚がトラを見ているだけで訪れる幸福と共に押し寄せる。
今日は久しぶりに早い帰宅だったから上乗せするように、愛しさの固まりが溢れているみたいだ。
トラが帰ってくるのは普段だったら22時くらい。ご飯がいらない時は0時を周り朝方か次の日の夕方に帰ってくる。学校が早く終わる時は僕が帰ってくるまでは自室で過ごしている時もあるみたいだけど、僕が帰ってくるときにはまた出掛ける。基本的に夜の二時間くらいがトラが僕なんかの為に与えてくれる時間で、それを申し訳ないと感じながらも恋人という言葉に甘えている。だから、今日、普段より早く帰ってきてくれたことが、嬉しくて、胸が詰まる。


「オイ、帝」
「あ、ごめん。まだ晩御飯はできてないんだ」
「チッ んなこと言ってんじゃねぇよ」
「え?」


舌打ちしたトラは僕の方へ足を進め、水で流したのに、トラへ見惚れしている間に、再びたらり、たらり、と流れている血の指を掴むと、口へ近付け、長い舌で舐めた。犬歯に当たる爪先が、神経をびりびり刺激してきて、切り付けた指先より、応急措置として舐められ、垂れてきた唾液が通ったあとの方が痛かった。


「ト、トラ!?」

吸い取った血を飲み込み、僕の問い掛けを無視しながら、居間の戸棚の上に置いてある救急箱を手にとると、慣れない手つきで、僕の指先へ消毒液をぶちまけると、手当てしてくれた。


「染みるか」
「だ、大丈夫だよ」
「ならイーケドさ」
「う、うん」
「血は出てるけど、傷口は、んな酷くねぇな」
「う、うん」
「包丁で切ったのかよ」
「あ、うん。ドジしちゃって 」
「ま、仕方ねぇけど。あんま傷つけるんじゃねぇぞ」
「うん。ありがとう」
「別にイイよ。礼なんて、これくらい」


絆創膏を貼り終わると、トラは立ち上がって、救急箱をしまう。


「帝、メシは今日はいいからよ」
「う、うん?」
「食べに行こうぜ」
「けど……」


あまり……付き合うようになってから特にトラは僕と二人きりで外に出かけるのは好きじゃない筈だ。僕の勘違いじゃなかったら、だけど。間違ってはいないと思う。確かに僕はトラの横にいるには釣り合わない人間だし、外見的な面から見ても系統が違いすぎて地味な顔立ちは視覚的にもトラと不釣り合いであるから、納得せざる終えない。それに、なにより、トラは元々、一般人だから。同性と付き合っているという気持ちを隠しておきたいということがあっても不思議じゃないし、誰も責められるものではない。悪いのはトラの優しさに付け込んでいる僕なんだ。
だから驚きと戸惑いで、僕は否定した方が良いのから、わからなくて、黙り込んでしまった。


「作りかけのやつは明日で良いからよ」
「え、あ、うん」

トラは行く気なようで、僕のエプロンを脱がすと、コートをとって、僕へ被せた。
今日の分はもう作ってあるんだけど、と思いながら、出しっぱなしの食材をトラは適当に冷蔵庫へぶち込むと、僕の腕を引っ張り、玄関まで連れ出してくれた。


「食いたいもんあるか」
「僕は特にない、よ」
「ま、お前はそう答えるよな。この前、行った、まだ食べられる飯だった店に連れてってやるよ」
「ありがとうトラ」


トラは一歩先を歩き、僕は大きな後ろ姿を見ながら、トラの声に耳を傾ける。指は切ってしまったけど、都会の寒い風に耳を赤くさせながらも、それ以上に愛しさに包まれた空間に身を委ねた。




20110425









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