傷つく権利は剥奪され孕みました




苦手なことは山のようにある。大抵が、懇望になるほど克服したいものじゃないけど。例えば運動とか。身体を動かすのが苦手。僕の脳ミソが放つ指令を伝達してくれている筈なのに、運動神経は走っている僕の足を扱かす。べちゃん、と鈍い音が響いて立ち上がると、歯を食い縛って立ち上がる。それでも、のろのろな足は背中に置いていかれて、女の子じゃない限り僕より大きな背中が曲がっていずれ見えなくなってしまう。いつも恥ずかしく顔を染め、五位の旗をもらう。情けなくて、ぐにゃってなっちゃいそうな、僕の苦手なことの一つ。そんな感じで僕の苦手なことはいっぱいある。洗濯物に例えると水浸しのまだ乾いていない衣服が足元に散らばっていて、僕はそれを拾い上げては、また、落としてを繰り返している。克服したいとは思わないものが殆どだ。僕くらいの人間がどれだけ頑張っても与えられるものなんか数が知れている。それを理由に努力しないのは間違っていると思うから、ひっそり励むけど返してもらったのは僅かな数だけ。だけど、どうしても、これだけは返して欲しいって願うのがある。

あいつ、って呼ばれて嫌なこと。


僕は黒沼、とか、帝、とか、又はあだ名以外で呼ばれるのがあまり好きじゃない。苦手、なんだ。けど僕の好きな人、は相手が親しくなれば親しくなるほど、あいつ、とか、お前、とか、で呼ぶ人なんだ。僕とトラは幼なじみだから当然のようにたまに、あいつ、とか、お前という呼び方で肩を叩かれる。僕はその時ばかりはトラからの言葉にびくんと震え上がってしまう。
怖いんだ。僕を僕以外の誰かでも通用する名前で呼ばれてしまうと。今、僕の名前を本当に呼んだのってまず疑問に思ってしまう。僕じゃなかったのに振り向いてしまうという行為は酷い思い上がりだ。もし顔を犬のように上げ歓喜に包まれた僕の表情をみたトラに、お前じゃねぇよ、って顔をされてしまったと思うと怖い。トラが僕なんかを呼んでくれるのは奇跡に近いということをもっともっと僕は自覚しなきゃいけないんだ。だからあいつ、とか、お前とかで呼ばれることは幸福で、けど、けど、やっぱり、そのことを考えると怖い。
怖い。
あと、どうして、あいつ、とか、お前とか呼ばれることが苦手なんだろうって学習机にしがみ付きながら考えたことがあるんだけど、どうやら小学生時代の出来事が関係しているみたい。高学年になってクラスメイトたちが各々の悪口を巧妙な手口で言い出した。教室の真ん中で小さくなっていた僕は、あいつ、とか、お前とかで呼ばれ、名前を隠され悪口を言い合う行為を何度も肌に脳髄に刻み込まれた。
怖い、こわい。無邪気で残酷な行いが怖かった。僕のことを指している言葉もわずかにあった。けれど一番怖かったのはクラスメイトたちが笑顔で言い合いをしていたことだ。僕はみんなの口から鬼が蟲のように湧きだした瞬間を確かに目撃してしまった。
あれから、なんとなく、苦手だ。怖いものが詰まっているような気がしてならない。脅えてびくびくしてしまう。
トラが、あいつ、とか、お前とかを親しく距離が詰まった人に向けると知ってからは、直したい、直したたいって言い聞かせている。苦手じゃなくなりたい。何度も大丈夫だよ、と言い聞かせてきたのに、返ってこない。
今日もトラにお前と呼ばれるだけで身体が飛び跳ね、トラがあまり好きじゃない、けどトラが良い人だから庇ってくれていた、一面がわざとらしく主張をする。トラは微妙な顔つきになって、僕は、あ、また、やっちゃったんだなぁって感じる。
だから、直したいんだ。返して欲しいんだ。トラにあんな顔をさせたくない。あんな顔をトラにさせるなんて、僕はどうしてこんなに愚か者なんだろうって思う。克服しなくちゃ。別に僕がちくり、とするくらい良いんだ。お前じゃ、帝を呼んだんじゃねぇよって顔で見られて、僕の背後からやってきた、可愛い女の子を呼んでいたことがあったとしても、僕は、いいんだ。それより、トラに、あんな顔させる方が悪いんだから。







20110228









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