〇八





 話し終わるとルーティンは神妙な顔でこちらを見ていた。俺は変わらず不味い酒を飲み干し、口直しにトニックウォーターでも頼むかとメニュー表を睨んでいるとルーティンは深いため息を吐き出した。
「あなたね、どうして私を連れて帰ってきたんです」
 問い質されて俺がルーティンを連れて帰ったのは、ルーティンのことが気に入ったから。連れ添うならこんな男の方が都合が良さそうだと判断したからだ。
ギーゼルベルトと煌のことを片付けアメリカに長期間渡る理由を作った。当然、気に食わないあの二人の恋路を邪魔してやりたいという気持ちが無かったわけではないが、一番の目的は雲嵐に悟られない私兵をアメリカの地で作ることだった。
中国においてはアイツの情報網を抜けることなど不可能に近いが、近年関係が悪化の一途を辿るアメリカなら、流石にこの国の政府と濃密な関係を持っている雲嵐とて情報を完璧に手に入れるのは不可能だ。まぁ俺はあの男を騙すために数年間黙って従順なふりをしてきた、しっかり首輪をかけられた獣のふりをな。そこまで警戒する必要はなかったかも知れないが、俺は一度敗北を味わった男のことを甘く見るほど馬鹿じゃないんでね。
 恋人という形でルーティンを連れ帰ったのはまぁ別にアルコットと付き合いたいとかそういうことを俺が望んでいたわけじゃなかったからだ。俺はアルコットを自分の所有物にしたかった。そういう気持ちはずっとあった。だからこそ、今、あいつの体には俺の所有印が刻まれているんだから。
けれど、アルコットが望まなければ恋人になることもなかっただろう。
どんな形であれ佩芳という人間がアルコットという男の中で特別な存在として生きていればよかった。
近年のあいつは恋人同士の慣れあいを求むより、俺のことを悪友のように扱うことを望んでいたようだったから。だからルーティンを連れて帰った。そもそも、娼婦なんて仕事をさせていたのだ、アルコット自身も恋愛感情に対して嫌悪感を抱いている節があったからな。
 ああ、だからこそ、シヴとかいう人形を拾ってまるで俺が自分にしたように優しい皮を被って接し始めたときは驚いたがな。
「私を連れ帰ったらアルコットが傷つくとそう思わなかったんですか」
「あ――」
 傷つくという予想がなかったわけじゃなかった。もしそれで傷ついたのなら、それは一番俺が望んでいた形に近づくのかという期待はあった。
それで自覚してアイツが俺に対する態度を変えたのなら、俺も変えればよいだけだと考えた。ルーティンならそういうときの対応も柔軟にできると思ったし、実際、コイツは二十年近く連れ添ったというのに、あっという間に俺への未練を断ち切ったふりをして見せた。今だって情はあるが愛欲は上手に消化してみせている。
「思ってたんですね!」
「さすがだな」
「褒めてませんよ。まったく不器用な人ですね。そのせいで、素直にならないんですよ。昔から好きだったと言っても別の人間と二十年以上も結婚生活を送った後に言われてもって私ならなります」
「まぁ、そうだろうな。けど、実際なぁあの時、もしアルコットが俺のことを好きだと早期に自覚していても言わなかったと思うぜ。なにせ、生きていたからな雲嵐が」
「ああ、話に出てきた怖い人ですか」
「怖い人……まぁな」
 ルーティンの言い方に少し苦笑いが漏れた。
もしアルコットが俺のことを恋愛感情で好きなのだとルーティンを連れて帰ってくるまでに自覚しても口には出せなかっただろう。
雲嵐が生きていた。俺とアルコットが今のような恋人関係に落ち着くためには前提条件であの男の死が必要不可欠だった。
あの男がそう簡単にアルコットを逃がす筈がないからな。俺を縛る鎖としての装置としてもだが、なにせ、あの男も知らず知らずの間にアルコットと生活するようになりアルコットに囚われていった一人だったからだ。アルコットは娼婦として、人を魅了する才能があった。この世界においてそれは神よりも強い力に時折なる。
雲嵐は死ぬ前まで自覚しなかったみたいだけどな。俺が懇切丁寧に教えてやった。お前の好きなアルコットは一生、お前のものにはならないってことを。
アイツの死に顔は見事だった。あ――あ。俺に殺されてお決まりのドラマチックな台詞を言われて潔く死にたかっただろうに。そういうわけにはいなかったなぁ。俺はお前の描いた筋書き通りに生きたかもしれないが、流石だろう、なぁ、アルコットはお前の思う通りには生きてはくれなかった。
そして、お前が俺の心を利用したように俺もお前の心を殺したうえでお前を殺してやった。ああ、今思い出しても嬉しい瞬間だ。雲嵐、お前も俺に何個も感情という名前のついたものを教えてくれたな。今思い出しても死に際の顔が滑稽で笑えるぜ。
雲嵐が深層心理でアルコットを自分だけの所有物にしたいと願っていたのなら尚のこと、アルコットに恋愛感情を自覚させるような真似はしても、アルコットと俺が恋人同士になることを許しはしなかっただろう。あの男に邪魔されると後々やりにくくなる。なにせ、交際するのは簡単だったろうが、それを継続させるには邪魔が入るとやりにくいんでね。
「佩芳、もうそうなら、素直に好きと言いまくるしかないんじゃないですか」
「あ――そうだな。ああ、そうするぜ」
「その私の答えを上の空で返すのは腹が立ちますね」
「怒るなよ。今日は半分くらいお前と喋りたくてきたんだから」
「なら許します」
「そうこなくっちゃ。二件目に行くか」
「次はお酒がおいしいお店を紹介しますよ」
「顔に出てたか」
「長年の勘です」
 レシートをもって立ち上がり、金を支払いながらルーティンの小言を聞き流しながら店を出た。海辺から吹き付ける風でルーティンの長い髪の毛が揺れた。艶のある髪の毛は身体的に魅力的な部分が少ない男の唯一の長所と言っても良いかも知れない。
「ああ、そうだ佩芳。あなたのかけた、呪いは正常に機能しててよかったですね。その呪いこそがきっとアルコットを辛い日々から救ったのでしょうから」
思い立ったようにルーティンは述べた。
ああ、やっぱりお前は最高に聞き心地の良い言葉だけを残すな。俺はルーティンの腰を抱きしめて軽く頬にキスを落とした。ルーティンは驚いたような顔をして、あなたってそんなに情熱的でしたっけ? と呆れたように述べた。
「救いだったと思うか」
「……ええ。少なくとも」
「つらい日々に突き落とした本人からの言葉なのになぁ」
「佩芳が自分を許していなくてもアルコットはきっとあなたを許していますよ。もしかしたら、憎んだことなど、彼にはなかったかも知れません。だからこそ、今、あなたの恋人として生きようとしているんでしょう。アルコットの中で、間違いなく、特別ですよ。佩芳、あなたという男は」
 慰めるように述べられた言葉。この言葉がお前の口から聞きたかったんだというとルーティンは呆れたように叱り付けるだろう。
「それにしても自分だけはアルコットを傷つけても良いと考えてるくせに、そんなことを今更気にするのは、白々しいのでは」
「ふっ」
「笑って誤魔化そうとしないでください。あなたの話を聞いてるとどう考えてもそうでしょう。アルコットを傷つける相手を許さないと言いながらアルコットを傷つけ続けた自分のことは許し続けているじゃないですか」
「ま、そうだなぁ〜〜アルコットが望むなら心臓くらい抜き出して目の前で並べてやっても良いけど、そうはならないだろう。俺の亡骸より、生きてる俺の方がアルコットの中で余程、価値が高いのさ」
 そうなるように仕向けたからなぁ。ルーティンはそう言うと、また深いため息を出した。呆れたように俺の腕を振り払い、少し速足で歩きだした。
 けどルーティン別に俺はあの日、アルコットを傷つけたことも、娼婦にしてしまったことも、あいつの自由を選択させてやれなかったことも、全部自分で許したことなんかないんだ。それだけが俺に残った良心程度にはな。
もし記憶を持ったまま今の能力を持ったまま過去に戻れるなら、俺はアルコットと出会った日に、周りにいた人間を全部殺してアイツを連れ去って自由にしてやるだろう。そう思うくらいには後悔してる。
自由な世界で真っ白に生きるアルコットの姿を見てみたかった。母親の首を投げ飛ばす前の世界でずっと生きていけるような、そんなアイツのことを一番初めに愛していたんだ。


                            End 



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