05




バースデープレゼントは一足先にマンションに帰り台所の机の上に置いてきた。直接手渡しても良かったのだが、俺自身に疑いの目を向けられるのを避けた方が良いだろうと判断した。
アルコットにとって佩芳という男はこの数年間、親であり兄であり友であったのだ。心の拠り所になるように、そういう風に接して育て上げた。一緒に住むにあたって、好感度が高い方が楽だし、これから過酷(笑)な現実に立ち向かう子供が自殺してしまわないよう引き留める人間が必要だと考えたからだ。アルコットにはそれだけの投資がされている。俺自身より命の価値が開心会の中で高いと判断している。
このバースデープレゼントを手渡すことにより、王 佩芳という男が自分を裏切ったとアルコットに受け止められるのは避けた方が良い。そう、合理的な判断を下したはずなのに、頭の片っぽにある、アルコットと共にいることにより育ってきた、俺の人間らしい一面が言う。
『日和ったなぁ、佩芳』
アルコットに向けるような親しみやすい笑みを浮かべる。近所にいる大学生の兄のような振る舞いで肩を組み、俺の悩みなどお見通しだという口調で覗き込む。
『嫌われたくなかっただけだろ、なぁ佩芳』
俺はそれに対して、真正面から「そうかもなぁ」とお道化たように返答する。嫌われたくないという気持ちがあるのも事実だからだ。俺はアイツに嫌われたくない。アルコットが俺を嫌いになった日。もし、そんな日がきたら、俺はアルコットを許せないだろう。
そんな風に思った。


「佩芳!」
王家の広い玄関ホールでタバコを吸って待っていると、王の家でおこなわれる授業を終えたアルコットは俺を見つけ次第駆け寄ってきた。まるで犬みたいだ。俺は駆け寄ってくるアルコットのことを抱きしめた。昔のように高く投げてやったが、もう背丈があまり変わらないのでアルコットはひどく驚いたのか「お前、なにをするんだ!」と言って慌ててみせた。
「いやぁ、大きくなったなぁ」
「当たり前だろ! 佩芳よりはまだ小さいけど、もう少し俺は伸びる予定だ」
「へぇ。いいねぇ」
「おい、絶対に越せないって思ってるだろ」
「いや、俺もお前くらいの年齢から10センチ伸びたからな。お前と出会った時よりでかくなってるだろ」
「……俺にとっては佩芳はいつだって大きいよ。ああ、けど身体つきは逞しくなった?」
「ん? そうかもな。お前を育てるために栄養考えて飯食べたからなぁ」
「筋肉とかすごいよな。腕とかすごく太い」
「お前を持ち上げられる程度にはな」
もう一度持ち上げてやると、アルコットは今度こそ怒ったように俺の腕を叩きながら拒絶を示した。
怒るので地面に卸して、もう一度手を繋ごうと差し出したが、アルコットは少し照れながら「もう子供じゃないんだけど」と言い、じゃあ、良いかと引っ込んだ俺の手を「繋がないとは言ってない」と言いながら握りしめた。
可愛いねぇ。
お前は子供だよアルコット。
いや、あともう少しだけ子どもでいられるというべきなのか。俺も感傷に浸ってしまっている。可愛いアルコット、可愛くて、愚かな、俺が育てた子供。
アルコットは手を繋ぎながら風に乗るように弾む声で今日の授業の内容を語った。俺は適当に頷き返事をしながらアルコットの顔を見つめた。長い睫毛が瞬きする度に揺れて、景色を見るはずの双眸には俺しか映っていなかった。蒼い目の世界には、佩芳という男だけを移している。形の良い唇が、俺の名前を何度も呼ぶ。愛しそうに親しみを持って。何度も、何度も、何度も。
王家からマンションに帰るまでの短い時間。一瞬だ。エレベーターに乗り込んで家の扉を開けて。ここ数年、何度も繰り返した時間。けれど、妙にその時間が長く思えて、チンっというエレベーターが指定の階に到着したことを知らせる音が嫌味なくらい心臓あたりで響き渡った。


「あれ、これなんだ」
台所の机の上に置かれた誕生日プレゼント。アルコットの名前が書かれたメッセージカードが挟まれている。綺麗にラッピングされたそれを見てアルコットは無防備に近づく。俺は「さぁ、王の奴が置いて行ったんじゃねぇか。この家に入ることが出来る人間なんて限られてるだろ」と適当に返事をした。俺は後ろでスーツを脱ぐふりをしながらアルコットのことを眺める。
アルコットは開けても良いか、少しばかり躊躇っていたが、俺が「大丈夫だろ、開けてみろよ」と述べると躊躇いを忘れ、リボンに手を伸ばした。細く白くまるで白百合のような指先でリボンを解く。真っ赤なリボンは血の色とよく似ていて、リボンが解けると箱が自動的に開いた。
中から飛び出るのは皆さん、ご存じ。アルコットの母親の生首だ。美しく死化粧されたとはいえ、生首なことには変わりない。血を抜く作業はしていないから箱の中にはビニールが敷かれており血が染みない仕組みになっている。アルコットの母親はアルコットと同じ綺麗な金髪の持ち主。毛先は首から垂れだした血で赤く染め上げられていた。
固まっているアルコットはおそらく呼吸をするのを忘れている。いきなり、泣き叫ばなかっただけ及第点というべきなのか。俺はアルコットを心配する素振りをして、アルコットの元まで近づき、彼の顔を覗き込んだ。
「アルコット、どうしたって、ありゃぁ、人の首が入ってたか。お前はこういう免疫はあまりないもんな。大丈夫か」
口は動くし声も出る。名演技をする自分に拍手を送りながらアルコットの肩を抱き寄せた。アルコットは静かに口元を抑えた。吐くか、処理が大変だな、と思いながらアルコットの次の行動を見守る。
「佩芳から見て、この死体は俺に似ていると、思うか」
アルコットの口から出たのは吐しゃ物ではなく、しっかりとした人の言葉だった。予想外のアルコットの行動に、俺は自分の指先がわずかに震えていることに気づいた。これは、脅え、いや、脅えの行動ではない、おそらく、歓喜で俺の体は静かに震えているのだ。
芽生えたのはわずかな期待。
母親の首を見せられた子供は確かに生まれ変わるだろう。しかし、それは俺を落胆させる姿ではないかもしれないという、希望。
「ああ、似てるな。お前にそっくりだ」
断言してやる。
似てないぜ、なんて優しい言葉をかけてやるつもりはなかった。アルコットは目を見開いた。力強い目つきは母親の死体から逸れ、俺の方へと向けられる。アルコットの視界は先ほどまで平和な世界にいたころと変わらず、俺だけを写していた。
「これは、俺の母親だ」
「あ――お前の母さんか。まだ生きてたのか」
「どうみても、死んでる! 死んでるじゃないか!!!」
突如として挙げられた大声。俺は少し驚いてしまった。アルコットは迷わず自分の母親だったものの首を手に掲げ、じっくりとその顔を見た。何度も確認しているようだ自分の母親の姿を。
普通の子どもが生首を抱き掲げることなど出来るだろうか。目の前で亡くなった母親が生きていると確認するために抱きしめているわけじゃない。目の前の首を死体と認識したうえで、アルコットは眺めているのだ。
呉の党首、雲嵐は美しさに強いこだわりを持つ男だ。アルコットの母親は分かれた時より老けてはいただろうが、おそらくその美しさは引き取られた時に比べそう劣ってはいなかっただろう。体中は傷だらけだった可能性もあるが、顔だけは傷一つついていない。
「母さん、母さん、母さん!!! あなたこんな姿になってしまって。ああ、ああああああ! あぁ!」
強烈な叫び声だった。
俺はアルコットがこんな風に醜い叫び声を始めて聞いた。感情をむき出しにした声で泣き叫ぶアルコットは見ていて面白かった。このまま泣き喚くのだろうか、赤子のように。だとしたら、ガッカリだと思いながら、観察しているとアルコットはあろうことか、自身の母親の首を投げ飛ばした。
机の上に生首が飛ぶ。せっかく綺麗に化粧されたのに、アルコットの母親は再び肉の塊に戻ってしまった。アルコットは飛び散った母親の首を眺めながら、はぁ、はぁと自身の呼吸を落ち着かせていく。
俺でもわかる。今、この子どもの中で自身の母親との記憶が蘇っていることが。アルコットと母親はまぁどこにでもいる肉親のような間柄だった。金持ちの家特有の少しばかり距離がある関係ではあったが母は子を愛していたし、子もまた母を愛していた。アルコットが連れ去られた当初も母親の心配だけはしていたという。一方で、自身をこんな境遇に陥れた父親に対しては冷徹な眼差しを向けていたと資料で読んだことがある。
つまり、だ。
この生首に対してアルコットは情を抱いていた。大切な存在の一人であったことに変わりないのだ。
だが、アルコットは生首になった母親のことを悲しんで見せたあと、あろうことか、怒っている。何に対して。
母をこのような形にした男に対して(俺が胴体と切り離した)わざわざ平和の象徴であった台所にプレゼントとして置いていったことに対して(俺が綺麗にラッピングした)今まで平和に過ごしてきた自身の能天気さに呆れかえって(俺がそう仕向けた)それとも、開心会という組織そのものに対して(これに関しては俺じゃない)
アルコットは怒っている。激しい怒りを体に纏っている。
「佩芳」
ようやく口を開いたかと思えば、俺の名前を呟いた。
なぜだろうか。
勝ったと思った。
何に。なぜ、唐突にそんな感情が浮かんだのか上手く言語化することはできないが、俺が育ててアルコットは俺を選んだと思った。平和だけを詰め込んだ世界よりも、俺と共にいたわずか数年の仮初の世界を選んだ。それが、嬉しかった。それだけは明白だった。
「開心会は人を簡単に殺す、そうだな」
「ああ」
「俺が今日、挨拶をした王の連中だって、抗争になれば山のように人を殺す」
「まぁな」
「お前もか」
「ああ、そうだな。本当なら子育てなんかより、人殺しの方が得意なんだ」
「……俺もいつか人を殺さなきゃダメなんだろう」
「いや、お前は――」
体を売るのが仕事なので、人殺しはメインじゃないぜって言おうとしたが、いや、まぁ開心会に所属してる以上人間を殺すなんて簡単なことは避けられないか――と言葉を飲み込んだ。
「人殺しが怖いか?」
「……怖くはない。けど、やったことがないから」
「ああ、なるほど。初めてのことって緊張するもんなぁ。なぁ、アルコット。お前、俺と一緒のような人間になりたいのか」
「一緒」
「ああ、一緒」
ちょっとばかりズルい言い方だった。誘導尋問みたいなもんだ。俺は今、この場でアルコットに人を殺してほしかった。
自分の母親の生首を投げ飛ばしたお前に。どうしようもない理不尽に怒りを露わにするお前に。昨日まで、さっきまで、あんなに、綺麗だったのに。あの日、掃き溜めのような船内から出た俺がみた海みたいに、綺麗だったのに。綺麗なお前のはじめてが欲しい。
らしくない感情だ。
知ってるか佩芳。
これは欲だ。
俺は欲が出ている。目の前の男の全部が欲しくなってしまっている。ああ、けど、ダメだ。ダメだ。全部なんて欲しがっては。コイツは商品なのだ。もうすぐ、俺の前から旅立っていく。高級娼婦。俺の持ち物にはならない男。こんな、一時の感情のために、自分が築き上げてきたすべてを壊してはいけない。だって、俺は自分が楽しい思いをするために王の性を受け、この子どもを育て上げたのだ。俺の今後の楽しさに、コイツは計算に含まれていない。
少しばかり、予想と違う行動をとられたからって興奮するな。

「初めては佩芳がいい」
「そっか、そっか、じゃあ少し待ってな」
ダメだ、喜んで口角があがる。俺はマンションの扉を開いてそこから飛び降りて地上にいた、王の構成員を一人殴った。まぁ変えが聞く人間だ、くそ雑魚。マンションの警備担当。隣にいた同僚はひどく驚いた顔をしていたが、俺に逆らうほど、そいつは馬鹿じゃなかった。別にどっちでも良かった。どっちも雑魚で、そのくせ、アルコットに毎日挨拶をして下品な目で見ていたのを覚えている。こいつで良い。良いなぁ。幸せだろう。アルコットの初めての相手に選ばれたんだから。
抵抗されたら面倒なので、四肢の骨を粉砕して、引きずったままエレベーターに乗り込んで、アルコットの目の前まで連れてきてやった。
「佩芳! 怪我してないか」
「怪我? ああ、飛び降りた心配か?」
「あ、当たり前だろ! ビックリさせるな」
「ああ、悪い。悪い。それよりほら」
男を投げ飛ばす。アルコットは血だらけの男をまるで汚い目を見るかのような眼差しで見つめた。もともと、選民思想が強い子供だったが、今は、肉の塊になった顔見知りの男をゴミ以下という眼差しでみつめている。可愛い部分はどこに消えたのやら。
「一緒にやろうぜ、初めての人殺し」
台所の包丁でやったら料理しづらくなるなぁ今日はピザでもとるかぁ〜〜と思い、台所から一本の包丁を取り出した。瀕死の男を前に立ち竦むアルコットの背後に回り、俺はアルコットの手に包丁を握りしめた。
「佩芳」
「緊張してるな、大丈夫だ」
不安そうに可愛い顔をアルコットはこちらに向けてきた。宥めるような優しい声をこぼしアルコットを落ち着かせると、真っすぐ包丁を腹の上へと落とした。肉がのめり込んでいく感触にアルコットは気持ち悪さを覚えたのか、おえって顔をして笑っていた。
「吐きそうだ」
「そうか? 慣れるぜ?」
「拳銃とかが良かった」
「初めては肉の感覚を覚えておいた方が良い。その方が人を殺したって実感が得られるからな。ほら、俺はもう手を放してやるから、あと何回か突き立ててみろよ」
「こうか?」
「そうそう、内臓を抉ってやると痛みで暴れて面白いぜ」
「なるほど。すぐに殺したい時は?」
「急所を狙え。皮膚が薄い所だとやりやすいなぁ」
「だから首を切られて死んでいる死体が多いのか」
「そういうことだなぁ」
平然とした顔でアルコットは人を指し続けた。もう死んでるなぁって思ったがアルコットが人体解剖をするように肉を剥いでいたので、俺は黙ってそれを見守った。
リビングは真っ赤に染まる。
血の海だ。
俺が開心会に買い取られてきた日も、血の海の中で眠った。このまま、俺だったら、自分を保護してくれた男、佩芳を殺しにいくが、アルコットはそんなことをしない。
アルコットは俺を選んだからだ。
楽しそうに人の肉を抉るふりをしながら、アルコットが必至に何かを抑えているのが分かった。
アルコットは狂っているが狂ってはいない。この賢い子供は考えているのだ。どうすれば、俺に見捨てられないか、どうすれば母親を殺した開心会に復習出来るのか。どうすれば生き残れるのか。どうすれば俺の役に立てるのか。
人なんて殺したくなかっただろう。
綺麗な世界で生きたかっただろう。
全部、そうさせなかったのは佩芳という男なのに、アルコットは俺のせいにしない。俺を選んだからだ。他の誰よりも、佩芳という男を信じるとこいつは決めてしまった。
可哀想で可愛い子供。
俺がそうさせて、俺が殺した子供。
お前は賢く美しく。俺が見てきたどんな人間よりも価値がある。血の海の中にいながらも、その美しさは損なわれない。きっと特別な人間なんだ。
そのうえで、こいつは、俺を好きなんだ。
そういう風に育てたから、俺を好きになってしまった憐れな人間。
ハッピーバースデーアルコット。
今日は確かにお前が生まれ変わった日だ。
もちろん、悪い方に。
そうさせなかったのは俺だ。
指示があったとはいえ母親の死体をおいて、人殺しまでさせてみせた。あ――あ! なぁ! この、糞野郎! なぁ! 昔の俺! 自分の感情に弱い昔の俺! あ――あ! なぁ、なぁなぁなぁ!!! これがさぁルーティンと出会った後だったらよかったなぁ。そしたらちゃんと言語化してくれたぜ! 言葉を俺の都合の良いように綺麗な言葉でコーティングしてさぁ!!
なぁ! 後悔してんだろ! アルコットの母親を命令通りに殺したことも! アルコットの前に生首を置いたのも! アルコットに人殺しをさせたのも!
俺だけが選択肢があった。俺だけがアルコットを逃がしてやれた。俺にはそれをするだけの能力があった。アルコットを助けられた。ずっとだ、ずっとずっとずっと、ずっと俺は出会ったころから、この綺麗な子供を逃がしてやれた。
俺だけがそれが出来た。
なのにしなかった。あの煌でさえギーゼルベルトをこの身一つで護ろうとした。実力がない奴だって自分を削ればできてしまえる行為だったのに。俺は選ばなかった。綺麗な所で離れて生きるよりも、俺の傍で地獄の教祖様として輝くことを選んだ。
今だって本当の意味で後悔してんのは、このあとの展開でアルコットの処女をぶち破ってやれなかったことくらいなんだろう。
知ってんだぜ、俺は。知ってんだよ俺はさぁ。
俺はコイツが欲しかったんだ。
コイツが何を手放しても、俺を選んだ瞬間から。
それに気づいたのはもう少し後の話になる。




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