02


アルコットは生まれが良かったのか、開心会から与えられた教育を素直に受け、順調に育っていった。
顔が良いだけの少年なら高級娼婦にするとは言われなかっただろう。どんな転落人生を歩んだのか分からないが、おそらく金持ちの家に生まれ、そこで培った土台があった。生まれが悪い人間じゃ一生、かかっても手に入れることのできない質の良さ。仕草の一つとっても、それらは現れる。振り変えるだけで、そよ風が吹いたかのような爽快さが見えるし、食事をするとき不快な咀嚼音が聞こえない。足取りだって軽やかで、笑えるほど優雅を身にまとった子供という印象を受けた。
地頭も良い賢い子供だったので、生まれ持った気品さだけではなく、与えられる学をすべて順調に吸収していった。読み書きだって一か国語だけじゃなく、同時に八か国詰め込まれているというのに、平然とした顔でこなしていたし、算数から数学に変わって物理だって詰め込まれているのに、楽々解いてみせた。もちろん、歴史や社会政治学だって見る見るうちに吸収し、時には教えに来たセンセイが論破されるほどの実力を持っていた。
俺はこの子どもの保護者として、一緒に授業を受けていたのだが、なるほど真っ当な表の世界でも生きていける子供だという認識を受けた。可哀そうに、とその境遇に僅かながらの憐れみを持った。おそらく、家が没落でもしなければ金持ちのまま幸せな人生を送れる資格があっただろうに。
何も知らずに、この子は過ごしている。賢いが馬鹿な子供だ。
アルコットの授業をこなすスピードは速かった。速いと何がいけないのか、おそらくこの少年は理解していない。簡単な話だ。高級娼婦になるために教育を受けているのだがら、基礎学力を捻じ込まれてしまえば、娼婦になる日が近づくというのに。
おそらく、性的なことを何も知らないこの子どもにとって、それは屈辱的な日になるだろう。何も躾けてない処女を抱きたいという変態はこの世には山のようにいて、俺はすでに教育を終えたこの子が、誰に買われるかというオークションが行われるのを知っている。
「佩芳」
「ん? あ――終わったか?」
弾むような肉声で名前を呼ばれ、視点をアルコットへと移した。教材を両手で抱きかかえていたので、教壇の方へ眼を向けるとすでにセンセイは帰ったあとのようだ。黒板に書かれたフランス語から先ほどまでの授業は語学だったということを知った。
「随分前にね。佩芳は日に日にやる気をなくしていくね」
「こんなんにやる気だして、どうすんだよ」
大きく欠伸をする。一般教養をこの子どもと一緒に受けられると楽しみにしていたのは随分前の話だ。授業なんて聞かずとも渡された教科書さえあれば一通り身につくものだと悟ってからは、退屈で仕方なくなった。アルコットの保護者ということで、このお高い子供を危険から守らなくてはならないので一緒に受けてはいるが座って後ろからアルコットを眺めるだけの暇な時間だ。
「Étiez-vous en train de somnoler? (居眠りしていたのかい?)」
「J’étais réveillé. Dernière minute(起きてはいたぜ、ぎりぎりな)」
なんだ、今日習った所を喋りたかったのかフランス語で喋りかけてきやがった。しょうがないからフランス語で応対してやると、なぜかアルコットは拗ねたように目を細めた。なんでだよ。
たまにこうして、今日の授業内容を予習するかのように俺に出題してきて、そのたびに拗ねた顔をするので、子どもの考えてることはわからないな、という気持ちにさせられる。この後もどうせ「復習する!」と言って自室から出てこなくなるのだ。そんなに好きかね、勉強が。
「佩芳、本当は授業聞いてたし予習してたし、復習もしてるんだろ」
「なんでだよ、俺がそんなのしてるの見たことあるか? 一緒に住んでんだぜ」
「……みたことない。けど、俺が寝たあとだったら」
「いや、ないない。お前が寝たら俺も寝るようにしてるからな」
「っ! そうか! 俺は帰って復習する!」
「はぁ、リョウカイ、リョウカイ」
予想通りアルコットは帰ってお勉強するらしい。好きだね勉強が。
少し怒った足取りで部屋を出て行ったので、仕方なく俺も追いかける。怒っているのに粗雑じゃない。暗殺者に向いてる足取りだ。俺だったら娼婦なんかに育てず、そっち方向で育てるけどなぁ。面が良いから色仕掛けも出来るし似合ってると思うんだが、あいにく、上の連中はそんなこと考えてもいないだろう。実際俺も、護身術程度しか、この子どもには叩き込んでいない。あまり筋肉をつけすぎるなっていう命令も受けているしな。
「佩芳、今日の晩御飯はなにを食べるつもりなんだ?」
怒っていたはずの子どもは立ち止まり振り返った。少し照れたような顔をして、今日の食事を尋ねてくる。
「あ――なにが食べたい」
「考えてないのか」
「まぁ、口に入れば一緒だろ」
そういうとアルコットは信じられないという顔をした。アルコット自身も別に食べるのが好きというわけではないんだろうが、開心会に来てからというもの、数少ない娯楽の一つは間違いなく食事をとることだろうし、おそらく売られてくるまでは、まともにお食事していただろうし、本当はここでは三食飯が出てくるなんて限られた人間の特権だということも知らないのだろう。
「俺はオムライスがいい」
「オムライス……卵が乗ってるやつだな」
「そうだ、佩芳が一番初めに作ってくれた料理じゃないか」
「そうだったな。好きなのか?」
「あれが佩芳の料理の中で一番ましだ」
「マシねぇ。上手い料理が希望なら料理人でも雇ってやろうか?」
「はは、そういう話をしてるんじゃないんだよ」
アルコットは笑った。無邪気にほほ笑む。まるでテレビの中だけしか見たことない笑顔のモデルスタイルって顔だ。
良く笑う子どもだ。俺の前では頻繁に笑う。始めは警戒していたのに、何度か、王の構成員に襲われそうになったところを助けてやったらすぐに懐いた。
襲われるというかコイツのお上品なイメージが鼻につく荒くれものが何人かいるのだ。まぁわざとそういう構成員がいる時間を狙って部屋の外に出したりしてみたがな。幼い子供の拠り所に簡単になる方法は、この大人が自分を護ってくれる存在だと認識させることだ。出来るだけ血を流さずに撃退して、俺の傍にいれば安全だということをアピールしてやった。面倒だったが必要な過程だったのだろう。もともと、逃げ出す気はなかったようだが、俺の傍を離れなくなった。鬱陶しい気持ちもあるがお陰で監視は随分と楽になった。


家に到着した。
俺の家はこの子どもが来るまで錆びれたコンクリートを固めて作った掃き溜めみたいなアパートに住んでいた。屋根と寝る場所さえあれば家なんてどこでも良かったので適当に住んでいたのだが、この子どもが来て以降、王に与えられた高層マンションの最上階に部屋を構えることになった。一応王の家の敷地の横にあるマンションでお客様が組織の構成員を引き連れてやってきたときに使われるものだ。管理は李家がやっているが、所有としては王というなんともまぁ、ややこしい建築物だ。
網膜認証でマンションのエントランスへ続く扉があく様子を見て、こりゃ他人の眼球と入れ替えたりは出来なくなるな、なんて感想をいつも抱く。アルコットは少しだけ俺の前を歩いていたが鍵が開くのは俺の瞳だけだ。扉の前で大人しく立ち竦んでいた。
扉を開けてやるとまた嬉しそうに顔を緩めた。そんな顔すると食べられるぜ、と呆れながら、手を差し出されたので、仕方なく少し屈んで手を握る。高いところがあまり得意ではないのか、エレベーターに乗る前は手を繋ぎたがるのだ。家に入ってしまえば気にする素振りを見せないんだがな。
小さな手。
柔らかくすぐに捻って失くしてしまえるほどの小さな手だ。この小さな手はこれからどんな傷がつけられていくんだろうか。この子どもが大人になった時に、指先はあるのだろうか。逆に娼婦として成功し煌びやかな指になっているのだろうか。
「佩芳、しっかり握っていてくれ」
「ほんとうにしっかり握っていて良いのか?」
「なんだその笑い方。だ、だめだ」
「じゃあ離そうかな?」
「それもダメ!」
「あっそ。じゃあ、繋いでてやるよ」

手を握って強引にアルコットの体を浮かせた。初めて会ったときよりも成長したがやはりまだ細いガキだ。簡単に体は宙を舞った。アルコットは驚いたのだろう瞳を見開きながら、片手でもっていた教科書が床に落ちてしまった文句を述べてきた。
俺はこのまま教科書を散乱させておくと子どもがうるさいのでアルコットを片手で抱きかかえたまま、教科書を拾い集め、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーターはぐんぐん上がる。アルコットはやはり怖いのか俺にしがみ付いた。顔に胸を押し付けられ、心臓の音がすると思った。当たり前だが、コイツ生きてんだよなぁと改めて認識した。
生きているから、食事をする。生きているから会話をして、生きているから、ふと、この子どもの不幸な未来について考える。
あっという間にエレベーターは最上階まで俺たちを連れてきた。扉が開くと、そこはもう俺たちの箱庭が広がっている。先ほどまで俺に抱き着いていたアルコットは自身の無様な行動を忘れたのか偉そうに「佩芳はオムライス作っていてくれ」と言っておそらく復習をしに自室へと駆け込んだ。
なんだそれ、なんだろ、なんっていうかさぁ、おもれってなった。自分の口角がわずかに上がるのが分かる。
酷く不気味な感触だった。当たり前だが、アルコットだけじゃない、俺も生きているんだと、なぜだか、そんな風に思った。



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