01:高校時代


顔を上げて双眸を合わせる度に、美しさで息をするのを忘れる人物だった。肉声を上げることすら許されず、本来ならば目線を交えることだって禁忌とされていた。近づくことで喉が渇く。額から汗が出る。畏怖なのか、憧憬なのか、どの言葉が的確なのか判断すら出来ないが、私という個体が彼の前ではとても小さな虫けらのように映った。
毎日、同じ教室に居るということがただただ、憂鬱になる人物だ。彼という存在は。美しすぎて、この世の物とは思えなくて、彼が教室という小さな箱の中に入ってきた途端、全員の心が窮屈に圧迫されていく。彼が登校を止めてくればと心の片隅で願う人物は少なくない筈だ。
それでも、私たちは彼が学校を休むと心配してしまうし、彼がいない日常に物足りなさを感じてしまう。まるで、教室内に彼が足を踏み入れなかっただけで、私という存在意義さえ否定されてしまったかのような絶望感を味わうのだ。彼と同じクラスになったことを、どこかで嫌だと感じながら、どこかで最大の幸福を味わったようになる。違うクラスに配属されると、自分など塵のように思える。たとえば、一億円の宝くじが当たるのと、彼と同じクラスになることが選べるならば、私は、いいや、私たちは彼と同じクラスに配属される幸福を取るだろう。彼という存在はお金などという俗世的な価値観では手にすることが出来ない、至極の存在なのだ。

ジル・トゥ・オーデルシュヴァングはそのような存在だった。
彼だけが特別な人間として光り輝いていた。彼と同じ空間の息を吸うことを何よりの誉れと思うように。
少なくとも、彼と同じ空間に居た人間にとっては誰もがそのように受け取ってしまうだろう。冷静になって見てみると彼が振舞っている行動が如何に常識はずれなのかというのが判るのだが、それでも心のどこかで「ああ、嫌な奴だった」と思う気持ちの数倍、彼に迷惑をかけられた自分の姿を称えているのだ。
思春期にありがちな傾倒だと言われてしまえばそこまでなのかも知れないが、それは彼に出会ったことのない人物の妄言でしかない。彼は孤高の存在だ。彼という名の崇高対象を持ってなんと幸せなことかと私はそう断言できるのだ。




02:大学時代


彼がどの大学へ進むのかということを、教師から聞き出す為、職員室へ脚を運んだものは少なくないだろう。私もその雑踏に過ぎず。教師へ群がる蠅のように、彼の進路調査票を求めたものだった。個人情報だと頑なに拒否した教師へ暴力を奮った生徒が居たらしいが、そんなことは当たり前の事だろう。
進学先を入手した人々は私も含め、同じ大学へ進学した。てっきりオフィーリアへ進学するものだと適当な予測を立てて進路を決めた愚かな連中が後で泣きを見たのは言うまでもなく断言できるだろう。
大学時代でも彼の存在は変わらなかった。いや、高校の時は彼にはまだ俗世との繋がりを持つ為に「幼馴染」というアイテムを利用していたが、そのアイテムを利用することを止めたようで、神々しさには磨きがかかっていた。彼が取る行動のすべては常識的でないことの集合体のようで、授業でもそれを遺憾なく発揮していたのだが、誰一人としてそのことに対し注意することは出来なかった。当たり前だろう。教師も、周りの生徒も皆が皆、彼より劣った存在なのだから。ちょっと見た目が良いと勘違いした馬鹿や、頭が良いと自惚れている教師たちは彼の存在に悉く、心を打ち砕かれていった。そういう阿呆が彼の信者へと変わっていく様子を見るのは極めて痛快だったし、私は述べてあげたい。
大丈夫、はじめはみんなそうやって誤解しているものなのよ、と。

ある時期になると彼は手首に傷を作ってくるようになった。痛々しく巻かれた包帯を見ると誰もが胸を痛めた。まるでこの世の原罪を彼がその身を憑代にして受けているような気分になったのだ。もちろん、冷静な脳味噌は「それは違うよ」と警告音を鳴らしており、彼が自分の為に傷をつけたことを理解していた。けれど、彼がその事を行ってしまったという事実の方が大事で、まるでファッションを真似るようにして、一時期、大学内でリストカットが流行した。間違ったことをしていても、彼のすることが正しいのだ。そう、思わせてしまうほど、彼は魅力的で、どうしようもなく、他とは隔離された存在だったのだ。



03:社会人


彼と会わなくなって数年が経過した。
学生時代は彼のことを麻薬患者のように追い求めることが出来たのだが、彼が入社した会社へ私は入ることが出来なかった。もちろん、同じ空間に存在することが出来なくなったことを私は悲しんだし、一年間、引きこもりになってしまったのだが、今ではなぜ、あれほどまで彼という窮屈な存在に囚われていたか理解できないくらいだった。
彼は可笑しい。
異常だ。たとえば居間でテレビを見ている時、ネットや何かで信者がついている殺人犯のニュースを見ると、ああ、彼と同じような魅力を持った人だな、と思うことがある。間違ったことをしているというのに、特別感に酔っている。それこそ、昔は人に言われれば「思春期とか軽々しいもので扱わないで!」と逆切れしていたのだが、自分が彼という存在から脱却してからというもの、本当に思春期のどこか妙な特別感に酔っていたのだと納得する。それでも、過去の歴史を恥じだと思わないのは、心の片隅で、やはり彼は特別な人物なのだと決め込んでいる自分の姿があるからだろう。





「あれ」
会社のランチ時間は必ずここで珈琲を一杯飲んで帰ると決めているのだが、昔ながらの鈴の音がカランというのと同時に店内に現れたのは、彼の幼馴染だった。顔は驚くくらい変わっていない。昔は皆より大人びた印象を受けていたのだが、歳を取って見てみると驚くくらい童顔だ。彼自身も流石、あの人の幼馴染というだけあって、かなり秀でた人間で、秀でているからこそ、彼があの人の傍にいることを皆が黙認していた節があった。私もその一人だ。私のような凡才から見ると彼のような人間は非凡で、言葉一つとっても彼と長年を共にしてきたことが伝わる様な口調だった。
「黒沼くん?」
彼の名前を呼ぶと、私に気付いていなかった彼は、暫く凝視したあと、記憶の中に引っかかった私の名を読んだ。
「ああ、奥田さんか」
「そうよ、よく覚えてたわね」
「一緒に委員長やっていただろう。奇遇だね、良くここには来るの?」
「ええ、毎日。ランチをとったあとはここで休憩することにしているの」
思わず話しかけてしまったが、黒沼くんの方から「相席してもいいかな?」と尋ねてきたので、勿論と気軽に答えた。一緒に委員長をしていたからと言って彼とは特別、仲が良いわけではなかった。かと、言って彼が誰と親しかったかと問われると判らないと思う。いや、あえていうなら、黒沼くんの親しかった人の「ジル・トゥ・オーデルシュヴァング」なのだろうが、その事実を言葉に出してしまうのはなんだか嫌だった。
それにしても、気まずい空間になるだろうなぁと予測していたのに、黒沼くんはあの手、この手で会話を円滑に回して盛り上げてくれる。思い出話に花を咲かせたり、自分の今の現状を報告し合っているだけだというのに、ここまで嫌味なくかといって騒ぎすぎることもない心地よいリズムで会話してくれる人と初めてあったような気がする。おかしな話だ。高校時代の旧友だというのに。




「あ、そろろそ時間だな。僕はここらへんで失礼するよ」
にこっと笑って黒沼くんは当たり前のように私の伝票を持って立ち上がった。あ、もう、会話が終わってしまうのかと思うと急に惜しくなった。また会えるかな? と尋ねようと思ったのに、何故か、私の口から出てきたのは黒沼くんのことではない。

「オーデルくんとはまだ一緒にいるの?」


ジル・トゥ・オーデルシュヴァングことだった。心音が高まる。手汗が異常なくらいでる。せっかく作った化粧という仮面が剥がれていく。まるで、高校時代に戻ったかのように。
なぜ、こんなことを聞いてしまったのだろう。尋ねたところで何もならない。私は何がしたいのか、判らない。彼に関することになると自分が自分じゃなくなってしまう。気持ちが見えなくなる。

「もちろん、ジルは僕のだからね」

黒沼くんは再び、にこっと笑って、気付いたときには店を出ていた。
僕のだからねと、あの可笑しな異常者を自分の所有物扱いした彼のことが心の底から気持ち悪くて吐き気がしたのと同時に、妬ましかった。羨ましくて、堪らなかった。彼だけが、ジル・トゥ・オーデルシュヴァングと覚めることのない夢を見ることが許されたのだと思うと妬ましくて仕方なかった。
私は、いや、私たちはもう解放されてしまった。あの長い、夢から解き放されてしまったというのに。
確かに、彼は可笑しかった。ジルは。可笑しな、異常な人物だった。それでも、他を擲ってでも彼に縋りついていたいと、そんな気持ちにさせられる特別な人間だったのだ。
まるで、宗教の信仰対象。そう、神様のように。







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