遺書

遺書でも書いておかないと、貴方は妙な行動をとるのが目に見えていると思ったのは、余命を宣告された次の日でした。貴方もご存じの通り私は幼少の頃より身体が弱かったものですから、余命の宣告など幾度もされました。この度も嘘で済めば良かったのですが、どうやら本当のようだと、脈打つ鼓動の数が一定数保たれていない心臓がそう告げているので窓辺に映る白百合を見つめながら筆をとることにしました。
出会った頃を覚えているでしょうか。父に連れられて行った社交界の場で燕尾服に身に包んだ貴方と出会いました。私は初めて貴方を見たときに「なんて綺麗な男の子なんだろう」と思わず見惚れてしまったものです。艶やかな黒い髪の毛も、大きな宝石が詰ったような双眸も肌理の細かい皮膚も、すべて私が持っていないものでした。物語の皇子様の類いが飛び出してきたのかと息を止めました。丁度、その時、私が読んでいた本が桃太郎だったものですから、貴方に対して「桃太郎みたいね」と褒めたら不機嫌になられたのを良く覚えています。今、考えたら桃太郎と呼ばれて年頃の男の子が喜ぶと考える方が可笑しな話ですね。確かに、お伽噺の主人公ではありますが挿画が美男子に書かれている本と出会ったことがありませんもの。
しかし出会って早々、失礼なことを申した私に対して貴方は気軽に接して下さりましたね。恐らく貴方はお父上に命令された私と親しくして下さったのだと思いますが、それでも私は無邪気に嬉しくてお友達など居なかったものですから、貴方が家まで脚を伸ばして下さるのがとても、とても楽しみで仕方無かったのです。
私と貴方の幼い頃を語る上で欠かせないのは、古井戸に貴方が落っこちそうになった事件ですね。これを語らなければ始まらない気がします。
皇族の端くれだった私の家は広大な敷地面積を保有していました。森林の庭に芝生がひかれてあり、中央に西洋かぶれのお屋敷が立地されていました。西洋化が進んでいたといえ、まだまだ日本家屋の面影を残す私の家は古井戸が二か所設置されていました。一つが裏庭の芝生に野ざらし状態で放置されていたものですから、まだヤンチャな貴方は調子に乗って腐った木で蓋をした井戸の上に乗り、体重に耐えきれず、めきめきめきと崩れ落ちた蓋と同時に足元から井戸の中へと引き摺りこまれてしまったのです。丁度、その時、私は貴方が話す学校の様子や下品な図書の話を聞いていたものですから、突然、貴方が井戸の中へと引き摺りこまれてしまって、なにも考えず手を伸ばしたのでした。貴方は落ちる寸前、伸ばされた私の手を掴んでなんとか落下を逃れたのです。手を掴まれた瞬間「ああ、絶対に離してはいけない」と強く思った私は空いていた片手を使い私の腕にしがみ付く貴方の手を握り締めたのでした。
逃れた――と言っても私の腕を掴んでいるだけですから、いつ落ちても可笑しくない状況でした。貴方は初め私の皮膚に爪をたててしがみ付いていたのですが、いくら叫んでも助けがこない状況化で、貴方の手を掴む私に向かい「離せ!」と何度も訴えましたね。死んでも離さないで! と今の貴方なら言いそうな気もしますけど、幼い貴方は「離せ!」と何度も叫んだのでした。けれど、意固地な私はどれだけ離せと貴方が言っても、貴方が手を振り払おうとしても決して離さなかったものですから、騒ぎを聞きつけた大人たちが駆け付けた頃には私の肩は脱臼していたのです。どうにも貧弱な身体なので人一人を支えるには少々、荷が重かったようで、後数分発見が遅れていれば二人して井戸の中に飛び込んでいたかも知れませんね。
事件後、古井戸はすべて埋められ私と貴方は数カ月会うのも禁止されてしまいました。次の会った時、貴方は髪を短く切り揃えていましたし、私の傷も癒えていました。貴方がともがいた時に出来た傷は腕に痕を残しており、貴方は伐が悪そうに私を見つめていましたが私はこの傷跡が妙に誇らしかったのです。だって、そうでしょう。人一人の命を救えたのですから。誇らしいと幼い私が喜んでもしょうがないのです。
けど、貴方は違ったのかも知れません。
ご存知でしたか。貴方はこの事件を境に私へ執着するようになったのです。貴方の中でどんな革命が起こったのか私は存じませんが、今までお話をしていてもどこか上の空だった貴方が私の眼をしっかり見つめ「ごめんね」と謝罪したのです。当時はいえいえ、そんなことありませんよ、えへへ、くらいの気持ちでいたのですが、今から考えればなんとまぁ! 可笑しなことでしょうか。貴方は何時も楽しそうに話すのに、どこか上の空で、誰と話していても一定のテンションを貫ける人だったのに、私を前にして、深々と泣きそうに肉声を震わせ謝罪を申しました。何より変わったのは、今まで私に対して一方的に話しかけ私のリアクションや心境や事情などは「どうでもいい」を貫き通してきたのに、今になって私がどんな対応をするか気にかけるようになったのです。
私はそれが嫌だったどころではありません。逆です。嬉しかったのです。やっと親しい友達が出来たという感情で満たされていて、歳を重ねるにつれそれが恋になるのには時間が掛かりませんでした。
けれど、貴方がそんな風に誰かを直接見つめるということを異常だと気付くべきだしたし、貴方が後に対して理解し難い執着を抱くことを考えれば、私はあの事件の時、貴方を助けない方が良かったのかもしれないし、助けたとしても脱臼してしまい傷跡が残ったことをなんだか誇りのように思わない方が良かったのかも知れません。
しかし、浅はかな答辞の私はそれから約五年ほど恋に耽りました。
思春期の大部分を貴方という初恋に溺れて過ごしていたのですが、夢から覚めるのは一瞬でした。
目撃したのです。貴方が私の従兄弟の兄と接吻しているのを。接吻くらいと申されるような気がするのですが、心に受けたダメージは相当のもので、初恋の人で親友だと思っていた人が男色家だと知った時に脆く儚く私の初恋は散っていったのです。
一度散った物に対して未練を残すことは恥だと考えていたのですぐに次の好きな人を見つけたのですが、人を好きになる度に貴方はなんと私の肩思い相手を寝取っていったではありませんか! なんということでしょう! 初めはね、嘘だと思い信じていなかったのですが、決定的な瞬間を何度も見せられたり本人の口から語られてしまえば信じるしかないじゃないですか。私は本当にこの時期、貴方を恨みました。貴方のことが一気に嫌いになっていったのです。
あんなに可愛くて綺麗で、目立って大きいし睫毛だってばさばさ生えているし、髪の毛だって黒のゆるふわウェーブだし、肌に雀斑だってない白い皮膚をしているのに、どうして私の好きな人をとっていくんだ! って。憎んだのでした。貴方は「それは綾子ちゃんが好きだから」とか「綾子ちゃんの為になると思って」とか、色々理由を述べてくれたけど、女が男に片想いの相手を寝とられる屈辱感と敗北感はその程度の理由じゃ納得出来なくて、顔も一時期は見たくなかった。死ねばいい……――とさえ思っていたんですよ。これは、本当です。
貴方の私に対する執着心は可笑しかった。私はついに貴方がどうしてここまで私を好きなのか理解できませんでした。私は自慢ではないですが、どこにでもいる凡庸な人間です。一度、貴方の命を助けたかもしれませんが、目の前で死に絶えそうな命を見ると少しでも優しさをもった人間でありなら助けるのが当たり前なのです。貴方に対して特別なことなど何一つ私はしていないし、そこまで執着する理由もありませんでした。
貴方は私の世界を狭めて行った。片想いの相手を捕るだけでは飽きず、私が一度でも親しく喋った相手、私が好きだった本、私が好きだった花、最終的には家族まで私から切り離そうとしました。傍に居て異様だと感じていました。気持ち悪いとも。恐ろしいとも何度か思いました。
いつか爆発して貴方のことを撲殺してしまうんじゃないかと脅えていたのですが、貴方は隙がある人だし、私は狭められた所で本がないと暇だし、花を植えたりするのは私の趣味なので譲らないと口喧嘩をしてまぁ最終的に好き勝手やっていたのですが。
ああ、もちろん、人間関係においては貴方が一切の妥協をしなかったものですから、ついに私には家族は貴方しかいませんでしたし、使用人とも殆ど口を交わしたことなどありませんでしたし、友人も恋人も全て消えてしまったのですが。元々、そんなに人と関わるのが多くなかったので、三十後半になってくるとなんとなく「もう良いや」と諦めがついていました。

けどね、嫌い嫌い嫌いって何度呟いて、貴方なんか死ねばいいと本気で思っていても、やはり貴方には私より長生きして欲しかったし、健康を願っていました。貴方は私が死んだらとんでもなく不摂生な生活を送りそうですけど、それは止めておきなさい。私がここまで長生きできたのはきちんとした料理を毎日召し上がることが出来たからというのもあると思いますし、規則正しい生活は結果として帰ってきますから、自暴自棄になって不摂生な生活だけはしないで欲しいです。
会えない時間が続けば続くほど寂しくもなったし、心配になったんですよ。お仕事が忙しい人でしたから出張で何日か家を開けることもしばしばあったので、半日程度は貴方の事考えて過ごしていた日もあるんですから。
ああ、そういえば一日の内半日以上々人のことを考えていられるのはそれはもう恋と相違ないといわれているようで、それに当て嵌めれば私は貴方のことが嫌いではなく好きだったように思えてきますね。
ええ、何が言いたいかといいますと。この遺書を綴らなくてはいけないと思った本当の所は、死ぬ前に私は一度でも貴方のことが好きだったということを伝えて置かなければいけないとそう考えたのです。
貴方のことが嫌いで堪らなかった時期もありました。けどトータルして見て見れば、貴方のことが好きだった時間の方が多かった気がするのです。
私はね、千里さん。貴方のことをついに理解することは出来ませんでした。半生近く一緒にいるのに、貴方のことなど解らない事の方が多いし、嫌いな所も未だにいっぱいあります。
だけど、よくよく考えてみればどれだけ好きでもどれだけ嫌いでも、他人なんてもの理解することは不可能なのです。特に貴方のような私が知る常識から逸脱した人なんか、理解しようと考えるだけ無駄ですし、貴方のことを理解しつくしていたら私は貴方に対してここまでの情を抱くことなど無かったでしょう。
理解出来ない人だから悩みましたし、貴方の気持ちがまるで解らないから、思慮するのです。
理解出来なかったからこそ、私は貴方を好きになったのだと思います。
好きでした。
貴方の妻である綾子は千里という夫のことをとても愛していましたと。
それだけは最後、伝えなければと思ったのです。
口では到底、言えそうにありませんでしたから。
いいですか、千里さん。
私が死んだら私のことなど忘れなさいとは言いません。けれど、私が死んだら貴方は「綾子は俺のことが好きだった」と思っておいて下さい。そうすれば本当のお爺ちゃんになっても、そんなに辛くないんじゃないかしら。
無駄に私へ執着していた千里さんなので、死後に操を立てるかもしれませんが、人生なんて楽しく生きた方が勝ちなんですから、必要とあればどんどん他に良い人を見つけて下さい。お爺ちゃんになって一人はきっと辛くてさびしいですから。
そして、なんとしても長生きしてください。私はあまり長く生きられませんでしたが、私の分まで健やかに長寿を全うしてください。

では、以上で終わります。なんだか長くなってしまいましたね。ではでは、また。

○月○日 自室のベッドにて。 綾子より。千里さんへ。



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