「いやぁ、なんだかキスしたい雰囲気になって」

あっけらかんといつもの調子で佩芳は口を開いた。居間で読書をしていたら「ただいま――」と普段通りの声色が聞こえ、ドタドタとわざとらしい足音を響かせながら恋人は帰ってきた。扉の前で姿を確認して「おかえりなさい」と零すと、佩芳は世間話の延長線上のように買い物へ行ってきたほんの一時間でなにがあったかを、目の前の椅子に腰かけ喋りはじめた。話をしながら、コンビニで買ってきたという惣菜パンを食べながらパンカスをテーブルの上にぼろぼろと落としていたので注意したら、距離を詰められて突拍子もないことを言われた。顔にパンカスがついているので色気も何もないが、甘えているのだろうと判りしょうがなく瞼を閉じると触れるだけの口付けが落とされた。
「子どもみたいですね、貴方」
「わざとだよ」
「それも知ってます。パンを穢く食べる所からもう貴方の計算なのでしょう?」
普段なら佩芳は綺麗にテーブルの上にあるものを片付ける。自分がまだ佩芳と付き合う前、ノンケの男など敵だと鬱陶しい会社付き合いに半分嫌気が指しながら一緒に食事へ出かけた時、彼のテーブルマナーはさすが一流企業の営業だということがよく判るほど、美しいものだった。食事が終わった後を見れば、自分の方が穢いくらいだったかも知れない。
けど、別に相手は佩芳なので自分の方が穢く食べ終わっていたとしても気にならない。今でも鮮明に脳裏へ記憶されているほど、佩芳の食事風景は無機質で完璧すぎたのだから。思い返せば少しばかり気持ち悪い。当時は疑問など抱かなかったところが、佩芳の凄い所なのだろう。何も心の中では感じていないくせに、表面にそれを吐露する隙など一切与えず、逆に相手を気持ちよくさせ自分が聞きだしたいことだけを喋らせていく。食事を綺麗に食べるのはそれを諭されない為、まるでメインである食事を背景の一部のように演出しているだけに過ぎない。そんなのは到底、人間業じゃないし、一介のサラリーマンであった自分と比べようという気すら起きない。
「あ、そっからバレてた?」
まさか、食事のところから張り巡らされた伏線に私が気づいていると思っていなかったようで、佩芳は目線を斜め下へと向けた。手のひらで先ほど口付けした唇を隠して目を伏せる。ちらりと様子見るような視線が稀に飛んできて、あ、可愛いと頭を撫でたくなった。甘え方まで癖にように計算された一連の行動が愛おしい。同時に甘え方を知らない不器用さが寂しくもある。人に甘えることを知らない人間がどうやって今まで生きてきたかなど考えたくもなかった。だが、深く考えてもどうせ本人が笑って済ますことなので、今の時間は忘れることにする。それより、外で飄々としている恋人のこんな可愛らしい一面を知っているのは自分だけだろうということがどこか誇らしく、僅かに独占欲が湧く。

「もっとしてもいいんですよ」

さらりとそう言うと、負けずと「では、させてくださいな」と顔が再び近づいてきた。

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