一緒の所まで落ちてきて欲しい、という言葉は雄山の中で美友の口癖だった。

外の空気に触れることなく生活していったい、どれほどの月日が経過しただろうか。教育係である煌に剥がされた爪は再生して、今では薄らとピンク色を保ちながら捲れた記憶など消し去ってしまいそうなほど元通りだった。人間の爪がこれほどまでにあっさりと再生するのかと雄山は酷く関心したものだ。そういえば、弓道場へ行く前には必ず爪を切り揃えていた。爪切りでパチリと爪を切り、鑢で整えると艶やかな爪が出来上がり弓を放つ時に滑ったりしない。ジンクスのようなものだった。爪を切り揃えておくと的中が出てくれるという。そうやって、毎日のように切っていても、翌日には切る分だけ伸びているのだから、剥ぎ取られた爪だって簡単に再生するのも妙に納得がいった。

「雄山」

部屋の住人が帰ってきた。にこやかな笑みとともに現れた美友は食事を雄山が腰かけている、ソファーの前にあるローテーブルに置く。いまだ慣れない異国の味付けが施された料理はどれを見ても真っ赤で、吐き気がした。今日は体調が良くないからいらないと言うと、いつもだったら鼻をつまんで無理矢理食べさせたりするのに、美友は満面の笑みを零して「良かったぁ。今日は料理みても吐かない」と呟きを落としたのだ。

「ちゃんと順調に赤ちゃんが育っている証拠だね」

にっこりと貼り付けたような笑みを保ったまま、美友が足を雄山の方へと進ませてきた。びくんと揺れる体に気にせず、顔色はすっかり青白く肌も冷たいのに、強い意思を持った眼差しで睨みつける雄山に満足したかのように、口づけをする。嫌だ! 止めろ! 死ね! と雄山がキスされる中で抵抗を示すが美友は気にせず唾液を注ぐようなキスを続ける。舌先で雄山の咥内を好き勝手翻弄する。歯茎をなぞってみて、犬歯の感触を楽しんだり、喉の奥から雄山の唾液を吸い上げて、自身の口の中で混ぜ合わせると、それを返したりして遊んだ。
青白い顔から酸欠の影響で真っ赤になった雄山に満足して体を離す。
ようやく許された呼吸に雄山は肩を揺らしながら、咥内に溜った唾液を嘔吐するかのように吐き出した。

「酷いなぁ。俺の愛情が全部飛んじゃったじゃない」
「寝言は寝てからいえ。美友!」
「怒らないでよ。いいじゃん。俺たちの子どもが順調に育っているっていう祝福のキスなんだから」
「なにが俺たちの子どもだ! お前が! 勝手に! 俺に産みつけたんじゃねぇか!」

怒鳴り散らした雄山は両目から涙を垂れ流していた。体は僅かに震えており、数日前に味わった屈辱の記憶を脳内が追いたくもないのに、追って離さない。
寝ていた所に美友が突然やってきて、雄山に体を求めた。セックスを求められることなんてのは、こっちに連れてこられてからしょっちゅうだったので、雄山はまたか――と虚ろな記憶の中で思っていたら、腹の中に美友以外の異物が挿入されたのを感じた。

「なんだ、これ」
「? 赤ちゃんを産むための道具だよ」

雄山の疑問に美友は、なにがそんな不思議なの? という顔で答えた。
赤ちゃん――と言われても男同士で子どもを産むなど雄山の中では今一つ現実味がないことだ。ただ。異物が自分の体内に居座っている。美友でもなければ、陳腐な玩具でもない。まるで、生きた蟲がいるように、うじょうじょと雄山の中で、赤ちゃんを産む為の道具とやらは動いているのだ。

「っ――気持ち悪いっ、アぁ、出せよ」
「え――? 出せないよ」
「出せって! ほんと、ぁあっぎ、ぁ、無理、だ」

額から妙な汗が流れでた。たらり、たらりと汗が皮膚をなぞっていく感触がする。佐治雄山の身体が抗体をつくるかのように、後孔に入った異物を拒絶している。

「オエっ――」

咽返るように空気が漏れると、雄山の中から吐瀉物が飛び出してしまった。融けきっていない吐瀉物をベッドの上に撒き散らしたが、それでも吐き足らないと胃液をひたすら吐き続けた。ベッドの上は人間が苦手とする酸味と苦みが合わさったなんともいえない香りが漂っており、雄山は吐瀉物の中に顔を突っ込んで気絶してしまった。
ただ意識が消えていくなかで、美友がずぶりと雄山の後孔に肉棒を挿入した音と、おいしそうに雄山の吐瀉物を舐めている顔が見えた。




目が覚めた雄山に「おめでとう」と言ったのは美友だった。

「受精が無事完了したよ」

ぱちぱちぱち、と美友は拍手して雄山を祝福した。俺たちの子どもが出来るね! と嬉しそうに雄山を抱きしめて、これで、俺と君が近づくものがまた増えたと囁いた。どろどろの中で君を繋いでおく鎖がまた増えたと歓喜に溺れた。

雄山は瞬きを繰り返しながら、現実味のない話を聞きながら、ただただ襲ってくる吐き気に耐えていた。

「ああ、そうだ雄山。赤ちゃんを産むための道具が雄山の身体に定着するまで、まぁ赤ちゃんが安定期に入るまでなんだけどさ、ちょっと吐き気がして体調を崩しちゃうかも知れないから気を付けてね」

なにかあったら直ぐに言うんだよと、美友は言って仕事へと戻っていった。
なるほど。そういう理由で吐き気がするのかと、理由が判ったら安心して溜っていた気持ち悪さをすべて吐き出してしまった。



吐いて、吐いて、吐きまくって体調が良い日なんてもの一日たりとも無くて、ようやく吐き通しの日々が終わったが、体のだるさは残り、比例するようにして、お腹が膨らんでいく。
鍛え上げられていた腹筋はご飯を頬張っても膨れ上がることはなかったが、どうやら赤ん坊ができると膨れ上がるものらしい。異物がぶくぶくと体の中で育ち、どうしようもなく大きくなっていく。自分の子どもだと言われるが、雄山は自分の子を孕んだ感覚はまるでない。だって、異星人が自身の身体を媒体として生まれてくるかのような、そんな感覚なのだ。
腹の中にねじ込まれた「赤ん坊を産むための道具」というのと、美友の精液が交じり合って勝手に子を産んでいるに過ぎない。こんな化け物を生み落すくらいなら、腹を殴って殺してやりたくなるのだ。



「もう嫌だ。嫌だ、頼むよ、美友」

項垂れる様に雄山は美友の足もとに縋りつく。どうにかして、この子どもをなかったことにしてほしいと頼み込んだのだが、いつも美友は「駄目」と簡単に交わしてしまうだけだった。
始めの方はもっと真剣に縋りついた。お願いだから――とさえ美友に言ったというのに。美友はまるで聞かずに、ずっと笑顔を貼り付けたままだった。しょうがないから、雄山は自身の腹を本当に殴ったのだが、体に「赤ん坊を産むための道具」とやらが完璧に定着ししきっていないため、無意味であり「残念だったね」と言われておしまいだ。
では大きくなった今に腹を殴ればよいのだが、こんな化け物でも雄山は腹の中でぐにょぐにょと動かれるたびに生きているのだと実感して、なんど殺したい、殺したいと思っていたも、本当に殴ることなど出来なかったのだ。
美友にこうして縋りつくのは、こうした自分を認められないというストレスの拠り所にしているにすぎない。そうしなければ、自分の中でぱぁんと脳内の血管が切れてしまうかのように、頭の中を泡だて器で混ぜられたみたいに壊れてしまうからだった。
美友もそれがわかっているのだろう。「ダメ」といったあとに雄山が随分と簡単に引き下がるようになっても、なにも言わず、可愛いなぁ雄山は――なんて言葉を囁いているにすぎなかった。











ああもう生まれてくるな――という腹に雄山がなったのは、爪もすっかり元に戻り、連れ去られてきた期間の中でもう半分以上、この腹に住まう化け物と一緒にいることに慣れてしまった。
慣れとは恐ろしいもので、雄山は愛してやっても良いかもしれない、こいつは俺の子どもなのだからと腹を据えた。だって、もう自分の一部となってしまったものであるし、自分の中で生きているのだからしょうがないと割り切ったのだ。無理矢理孕まされたものではあるが、仕方ないのだ。この子だって、自分がそんな憎しみを生まれる前から持っていたと知ったら可哀想だ。悪いのはすべて美友であって、腹の中で動いている子供には関係のない話だと。時は穏やかに雄山の中の憎しみを消していった。
もう美友に縋りつくように孕んだ子供を殺して欲しいと頼むこともすっかりなくなってしまい、もうすぐ生まれる我が子に対して慈しみの心を持とうと決めていた時だった。


「あれ」

朝、起きたら体が軽かった。
随分と軽くて何事かと腹を見ると、自身の腹についていた脂肪の塊がすべて消え去っていた。いったい、ぜんたい、どうしたことかと、雄山は周囲を見渡し、なにがあったんだ、どうしていないんだ? と戸惑い、泣き叫んだ。

「おい、嘘だろ! おい!」

誰もいない空間で虚しい声だけが響き渡り、混乱する雄山は伸びてしまった爪を前歯で噛み切り皮膚に歯を突き立てるとだらだら血を流し、頭皮を爪先で掻き、なにが起こっているんだ、いや、だ、いやだ、いやだぁ、いやだ、俺の子どもは! 俺の子どもはどこへ行ったのだと叫んだ挙句、ああ、可哀想に床に座り込んで泣きじゃくってしまった。

「ゆうざん」

自動ドアが開き、美友がひょっこりと顔を出す。涙でいっぱいの雄山の顔を見て、満足そうに美友は微笑むと後ろに隠し持っていた肉塊を雄山の前にぼちゃんと落とした。
どし、という音がした肉塊は雄山はもう見なくても何を指すのが判っていた。半年以上一緒にいたのだから、重さなど把握ずみであったし、もう少しで生まれる予定だった赤ちゃんは顔も形もしっかりとあって、床に落とされた衝撃で肉が裂けてしまったが、それでも人間の赤ちゃんの形をしていたのだから。

「あぁ、ぁああぁ」

喉が渇いて雄山は上手く声を発することが出来ない。ただ、なぜこんなことをしたのかと、産ませようとしたのはお前ではないかという目で美友を睨むと、等の本人は「失礼だなぁ」という顔つきをした。

「雄山が望んだんじゃないか。雄山か殺してって言ってたでしょう。ちょっと遅くなったけれど叶えてあげたでしょう」
「あぁ、あ、ち、ちがぁ、ぁ」
「違わないよ? ねぇ、どう、雄山? ねぇ、どう?
始めて人を殺した感触は」


ねぇ、ねぇ、ねぇと美友は雄山の鼓膜に直接囁くようにして呟きを残す。ねぇ、どう、ではない。雄山は泣きながら、恍惚に浸る美友の眼を見た。
そうだ、言っていた。ずっとコイツは。早く自分と同じところまで落ちてきて欲しいと。君を繋ぐ鎖は多ければ多い方が良いと。早く人殺しになって早く絶望を味わって、はやく、もっと、もっと自分と同じ所にいて欲しいと言っていた。




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