西洋建築物を基礎としている王家の邸宅には、敷地内に小さな礼拝堂がある。何代か前の王家当主がキリスト教だったため、欧米の方からもともと有名な城の一角であった礼拝堂をまるまる移籍させ建築されたもので、静謐な空気を保っている。
王家でなく、たとえば李家や呉家であったのなら、西洋建築を崇める様に未だ威厳ある神格な空気を纏っていられたかも知れないが、荒くれ者が集う王家において、礼拝堂などあってもなくても変わらない存在である。故に礼拝堂へ足を踏み入れるのは清掃をまかされたメイドのみとなっていた。






王家の重苦しい門番を通りぬけ、無駄に広がった芝生の庭を駆けていくと、ようやく王家の本宅に入ることが出来る。玄関を入るとホールが広がっており、螺旋階段が設置されているなど相変わらず無駄が多い家だなぁと佐治雄山は苦笑いを零した。
顔パスで入れるのでメイドたちは雄山が通る度におじきをして、本宅の突き当りまで歩いていくと、ようやく書斎が顔を覗かせた。
扉に手をかけるより早くメイドが雄山の手を遮る様にノックをして、部屋へ入ることの許しを得るとようやく、重厚な扉が開き、来客をもてなすソファーと奥にはまるで社長室にある机が置かれてあった。机の上にはパソコンが設置されており、王家後継人であるギーゼルベルトがかたかたとキーボードを打っている姿が見える。

「雄山か。なんのようだ」
「いや、アンタじゃなくてセンセイいる?」
「煌か? 煌ならそこでケーキを食べているぞ」

視線を下げると来客用のソファーに腰かけた煌がケーキをおいしそうに食べている姿が映った。雄山は思わずため息を零して「あんた、仕事中になにしてるんだよ」と思わず叱り倒したくなった。始め中立へ持っていった書類を「ああ、それは煌担当だけどアイツは今ギーゼルベルトのところにいるよ。ついでに休憩時間はとっくに終わっているから戻ってくるように言って貰えるかな」なんてことを言われたどり着いた先で、ケーキをおいしそうに頬張られていたら文句の一つでも言いたくなるものだ。

「雄山もいりますか?」
「いらねぇ――よ。それより、この書類に目を通して。休憩時間終わってるから中立に戻って仕事しろ」
「あと二分ありますよ」
「ねぇよ。センセイ時計止まってるって言っていたじゃん」

腕時計が随分前に壊れたけれど不便じゃないので変えないと喋っていたことを思い出し、雄山は告げるか、いったい何のことアルか? と確信犯の煌はにっこりと狐のように口角を上げ微笑んでいた。

当初、書類の確認をしてもらえるまでは王家にいようと決めていた雄山だが、あまりにも煌とギーゼルベルトがいちゃこらしだすので、呆れてもうこれはセンセイが仕事に戻ってくるのは当分先のことだし、今は特に中立が忙しい時期でもないので良いかと、放置して王家を出ることにした。
来た時と同じようにメイドたちに見送られ庭まで出ると、普段は目に留まらない塔が見えたので、庭師に聞いてみると「あれは礼拝堂だよ」と出来た経緯まで説明してくれた。
金持ちの道楽かよ――と雄山は思ったが、西洋建築を見るのは嫌いではないし、どうせ帰ったところで急ぎの仕事などないのだからと礼拝堂の方へ足を延ばした。

庭師が整備していた、鋳薔薇のアーチをくぐっていくと、王家の隅っこに礼拝堂はひっそりとまるで幽霊のように存在していた。不気味だなぁと雄山は苦笑いを零し、この家にきてから初めて自分の手で扉をあけた。
ぎぃっという油が差し込まれていない音がして、中高と通った学校の礼拝堂をひっそりと頭の片隅で思い出す。そういえば可笑しな学校でキリスト教というわけでもないのに、礼拝堂なんかが存在して、雄山は一人になりたいときに稀に利用していたなと思い出した。もっとも、雄山は弓道所で一人になり的を射る方がよほど好んでいたのだが。
室内は照明がついておらず黴臭かったが、メイド達により清掃されているお蔭で埃ひとつたたない空間だった。十字架にかけられたイエス・キリストの銅像が見えて、天井まで顔をあげると、見事なステンドグラスが嵌めこまれていて、あっと息を飲んだ。燦々と降り注ぐ光が屈折して見えており、先ほどまで、ほんの少し不気味だと思っていた空間を、美しく彩っていた。

「へぇ良いじゃん」

雄山がぼそりと独り言を漏らして、もっと内部を良く見ようと足を動かすと、大きな物音がした。なにか、質量が多いものが倒れてぶつかって割れたみたいな音で、敵襲かと神経を過敏にさせ息をひそめるとなんとも間抜けな声が目の前から聞こえてきた。

「ご、ごめんなさい。ぼ、僕です」

脅えるように声を上げる少年の肉声に雄山は聞き覚えがあった。王家次期党首の静の恋人であり、日本から自分と同じく連れてこられた神奈の声だった。
雄山は驚いて、どの言葉を発するのかしばらくためらってしまった。
だって、本当に今までこの空間には一人だと思っていたのだ。目の前に御手洗神奈という一人の少年がいたにも関わらず。雄山は神奈の存在を見抜けなかった。
見知った仲でなければ、ああ、そういうこともあるさ――で済まされるのに、神奈はかれこれもう十年近くなる付き合いだった。日本から中国へ来た時期が一緒ということもあり、センセイから教育を共に受けたし、なにより静と共にいる時はたいてい神奈がいたのだから、それなりに静と喋ることがある雄山にとって神奈は良く知っている、どちらかと言えば仲が良い部類に入るのに。
まるで、気配を感じられなかった。今まで神奈が自虐気味に「僕は透明人間なんです」とか言っていたのは知っていたが、本当に神奈という少年がこれほどまで気配が薄い少年だと思ったのは雄山は初めてのことだったのだ。

「お前、こんな所にいたのかよ」
「さっきからずっといました」

すみません、すみません――とそう言いながら頭を下げる神奈の顔は、こんなこと慣れっ子という表情をしていた。
喉の奥から捻りだした声で話しかけても神奈は頭を一方的に下げるだけだった。まるでこちらの声など聞こえていないかというような振る舞いで、雄山が、おい、と追及しようとしたが、すでに神奈の姿は視界から消えていた。
謝られて会話をしたはずなのに、今は痕跡もない。それなのに、神奈という少年が居たのだと、床についた足跡が語っていた。




安直な雄山の脳内は最近、喋っていなかったからだという結論を導きだし、神奈に会おうと王家を訪れたがまるで会えなかった。ええい、もうこうなったら、と恋人である静に問いただしに私室まで足を運んだが、両手に女をはべらかせながら「仕事してるだろ」と言われたので、コイツ本当に役立たずだな! と腹が立った。
普段の雄山なら、浮気してんじゃねぇよ! と怒鳴り込むだろうが、アルコット達の反乱以降、静に怒鳴り込むだけの気力があるほど苦手意識は回復していない。今まで上手く回ってきたのなら、なんとななるだろう程度に思っているし、あの一件以来、人の色恋沙汰には関わるべきでないのだと思っている。もちろん、あの一件だって色恋を絡めようなどと算段を練っていたわけではないのだが。
知らないのなら退散しようと扉を閉めると、酒を飲みながら女の胸を揉む静の姿が視界に入り、自分だったらあんなクソ男ごめんだぜ! と腹が立ってきたが、人の趣味のとやかくいうことは出来るだけしたくない。だって「ならお前の恋人はよぉ」と言われて美友を庇いきる自信がまるでないからだ。美友にだって良い所はいっぱいあるのだけれど、悪い一面に勝てるかと言われればそうではない。寧ろ圧倒的に負けていると思っているのだが、世間一般的の良い人悪い人で判断できない所にあるのが恋愛感情という厄介で愛しいものなので、仕方がないと諦めるしかないのだ。

しょうがないので再び、礼拝堂に足を運んでみるが神奈の姿は見えなかった。溜息を吐きながら、腰かけるかと足を動かすとまるで残像のように視界の一人の影が映った。
あ、神奈だ――と雄山は直感で閃いて、残像が映った部分に目を凝らしてみると、神奈が一人腰かけて、泣いていた。しくしくと礼拝堂に響き渡る涙に雄山は、さっきまでこんな赤子の夜泣きのような声はまるで聞こえていなかった筈だと、意識した途端、脳内へ直接割り込んでくるような男のことが不気味に覚えた。
しかし、泣いているのなら雄山の性格上、声をかけて慰めなければ気がすまないので「おい」と声をかける。

「神奈――」
「なに泣いてるんだよ」
「おい、神奈、聞いてるのか」
「神奈!」
「だから、なに泣いてんだよ!」

声を徐々に上げていっても、神奈は無視を決め込んでいた。雄山はなに無視してんだと、神奈の肩を掴んで鼓膜の近くで「おい神奈!」と叫んだ。すると、泣いていた、神奈の声がぴくりと止まった。まるで、しゃっくりを驚かされれた拍子に泊まってしまったかのような、止まり方だった。

「あわわ、雄山さん」
「なんで無視すんだ?」
「無視?」
「今、してただろうが?」
「無視なんてしてませんよ?」

いやいやおかしいだろうと雄山は神奈の言葉を疑いたくなるが、真直ぐ雄山の顔を見つめる神奈の表情は純粋で嘘などついているように見えなかった。

「俺、すげぇ声かけてたんだけど」
「え。そうだったんですか? すみません。僕、どうやら最近、皆さんの声が聞こえにくいみたいんですよ」

あっけらかんとした肉声で神奈は告げた。雄山はそれって一大事なんじゃねぇの? と神奈の真横に腰かけ「なにかあったのか?」と尋ねた。
神奈はそうですねぇ、と唇を尖らせる。

「あえていうなら、いつも通りです」
「いつも通り?」
「静さんは朝起きてご飯を食べて、シャワーを浴びて、顔を洗って、そこでようやく僕に気付いてくれます。僕がおはようっていうと優しく笑いかけてくれるし、キスもしてくれるし、仕事頑張ってこいよ! なんて労いの言葉ももらえます。僕は仕事にでかけて、ギーゼルベルトさんに言われたことだけやって、終わったら静さんと一応、僕の部屋に戻ります。だいたい、静さんは僕が帰ってきたことに気付かず、女の人とセックスをしているか女の人と飲んでいます。僕はそれを黙ってみていたり、お菓子を食べたり、テレビを見たり、本を読んだりして普段通り過ごします。静さんは女の人が帰って、シャワーを浴びて、ごろんとしたくらいから、最近は僕のこと気づいてくれます。おお帰っていたのかって言葉を貰って、そうなんです、今帰ったところですなんて嘘をついても静さんは、それを鵜呑みにします。最近はそれがずっと続いている状態ですね」
「なんだそれ。怒れよ」
「怒れってどう怒ればいいのか。だって、僕が悲しんでいるのは、浮気されていることとかじゃないんです。昔は静さんはこんなに影が薄い僕がどこに居たって気づいてくれたのに、今は静さんは僕から声をかけたり、僕から手を伸ばしたり、一人きりにならないと僕がここにいるということに気付いてくれないんです。僕はそれが嫌で怖くて、悲しいのに、そんなことを誰に言っても解消されることがない。だって、今までが異常だったんです。僕が同じ部屋に居ても気づかない方が普通なんです。アルコットさんの所から戻ってきて、僕がいなかったことが普通になりかけていた静さんは始めはそりゃ喜んでくれてずっと僕たちはセックスをしていたんだから、僕が見えなくなるなんてことはなかったけれど、僕がいないことが日常だった静さんはもう僕を見つけられない」

「見つけて貰えないんです」




なにより見つけて貰えないことが悲しいのだと神奈は悲鳴のような叫び声をあげていた。雄山はそれってお前にも責任があるんじゃねぇのと思いながらも、声に出すことは出来なかった。傷ついている人間を前にして無責任に傷口を抉る様な真似はしたくなかった。
けれど、以前より存在感がなくなっていることに関して、以前の出会ったばかりのお前は少なくとも見つけて貰おうって必死だったから、俺だってお前の存在を確認することが出来たけれど、誰からも見つけて貰えないなんて孤独を経験したことがない自分が口に出して良い言葉ではなかった。それに、雄山から見れば、そんなクズみたいなことしている静がほぼ十割悪いので、神奈を責めることは出来ず、慰めるように背中を撫でた。


「耳が聞こえなくなったのは、静さんが抱いている女の人とか、静さんの婚約者さんたちだったり、メイドさんたちとか、僕の姿が見えていないものだから、良く静さんはどうしてあんな子をとか、僕の悪口をいわれて、静さんが女で喘いでいる声なんてもの聴きたくないなぁとか、僕は周囲から忘れられ消えていくのに、僕だけ周囲の声を捉えるのが、ああ、もう本当に面倒だなぁって思って、聞こえなくなればいいのにって願ったら消えました」

嗚咽の隙間から突如、顔をあげて、神奈は再びまるで何事もないのだというように口を開いた。
しょうがないですねと諦め気味の声を漏らしながら「それは駄目だろう」という雄山の励ましの言葉を聞く前に、神奈は姿を消してしまった。ついさっきまで眼前に居たというのいん、今はもう温もりさえ感じない。雄山の手に残っている、神奈の涙くらいしか、苦しんでいる少年がいたという証拠は残っていなかった。


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