人間は綺麗な生き物だというのを滑稽にも未だに信じている。



地位が剥奪されるまで私の日常というものは、絢爛豪華を極めるものでした。父親はけして母親を愛して等いませんでした(いうならば、美しい人形を手元に収めているようなものでしょうか。それは愛とはまるで違います)が、呉家の跡取り息子が不在の状態で、父が愛する正妻はもう歳で次の子どもを望めぬ身体でしたから後継者として私は大事に育てられました。
無垢で無知な私は愚かにも、大事に育てられるのが当たり前だと思っており、目の前に出された食事にありつける事や、綺麗な洋服を着せられて日常を過ごすことを当然のように受け入れていたのです。
教育を受けるのが、当時の私にとって仕事であり、母親は教育を受けることが出来る私の様子をとても喜んでいました。母親が読めない文字を私がすらすら音読した時など、涙を流して私を抱きしめました。
母親が戸籍を持たずまともな教育を受けることすら叶わず、売春宿に売られてきた過去を持っているという事実を私が知るのは彼女が亡くなる数日前になります。

日常が一変したのは、正妻に男児である春麗が生まれてから一か月後になります。正妻に男児が生まれるということを母親は酷く脅えていました。私を胸の中に抱いて「大丈夫。貴方は私が護ってあげるからね。大丈夫よ」と呟きました。平和な世界で、何かが変わっているということを感じながら、震える母親の胸の中だけが私の安息地だったのです。母親は私を確かに愛してくれていました。良く自分に似た顔が私を抱きしめ、寝る前には必ずキスをしてくれました。子どもは自分で育てるものという信念を持っており、女官任せになりがちな子どもの世話を彼女は自らの手でおこなってくれました。証拠に、私は母親以外から寝つかされた記憶がないのです。ベッドの上で横になりながら、彼女は子守唄を口ずさみ、私を夢の中へと毎夜、誘ってくれました。
叱るときは叱ってくれる、そうです、良い母親でした。私があの絢爛豪華な、見るものがすべて輝いていた世界で落魄れずまっとうに他者には痛みがあるのだという概念を知ることが出来たのは彼女のお蔭でしょう。私は、彼女が好きでした。安堵出来る場所だったのです。
そうした日常は彼女の死をもって終わりを告げます。
正妻に男児が生まれたのだから、汚い遊女に産ませた子など不要になり、しかし、殺してしまうには正妻の男児があまりにも弱くいつ死ぬかもわからない。ならば、と生かさず殺さず生殺しにしようというのが組の方針でした。もともと、中立とはそのような立場の人間を抱きかかえる場所でもあるのです。私も美紫も――正妻の子が死んだときのストックとしてあの開心会という大きな組織に飼われていたにすぎません。

後継者でないのですから、大事に大事に育てる義務はありません。当たり前のように与えられていた日常は剥奪され、生きる為に仕事をおう義務を私はかせられました。
私に与えられた業務は身体を売ることでした。売った数だけ、その日、食べられるご飯が与えられ衣服が与えられ人間として最低限の生活を送ることが出来るのです。
それに反対したのは勿論、私の母親でした。自分の身になにが起っても良いから、琳霞だけはそんな目に合わせないで欲しいと、あろうことか身分違いにも呉家当主、開心会のトップに懇願したのです。可愛いペットというのは刃向かうと生意気なペットになってしまいます。
私も母親と共に当主である父親に頭を下げました。お願いしますとはしたなく頼み、そうして私の横にいた母親は拳銃で頭を打ち抜かれたのです。
ぱぁんという鈍い音がします。脳漿が飛び散ってしまったのか、頭のなかから血の塊が飛び出ました。私は一体、なにが起こったのか理解できず、ただ、世界で一人私を愛してくれていた人が死んでしまったことだけを悟りました。おおばかな私はこの時まで、本当に自分の立場がどう変わったのか実感がなかったのです。真横で肉塊となってしまった母親の死体に泣いてすがっていると、頬っぺたをぶたれました。

「これから、君の面倒を見るアルコットだよ。まず、泣きやみなさい」

そうして、呉家当主の後継人であり中立のトップとして君臨していたアルコットが私の腕を引っ張ったのです。
アルコットは私を自分の部屋に連れてきました。ここで私はこれから生活するのだといいます。これは寛大な措置だとも告げます。そうして、私がこれから生きる為にやらなければならないことを、懇々と告げていきました。
まず、先ほども申し上げたように身体を男や女に売ることが義務ずけられました。

「わかるかい?」

アルコットは口癖のように私に告げます。

「義務だよ」

義務と言われて、先ほど母親を亡くしたばかりの私は首を傾げます。義務とはなんですか。私がしなければいけないことは、いったい何になるんですか? 貴方のいっている言葉は何を指すのですか? と。
母親は私から性的なものを遠ざけました。当然でしょう。七歳の子どもにセックスを好んで教える親がいったいどれだけいるのでしょうか。
しかし、アルコットは首を傾げ溜息を吐き出します。

「君は思っていた以上に馬鹿なんだね」

そう、述べました。
椅子に腰かけさせられていた私はまだ腕を掴まれ、今度はベッドの上に寝転ばされました。初めてを競売にかけるかどうかで暫くアルコットは悩んでいるようでしたが、開通済みとそうでないかなど内緒にしていればわからないと判断したのでしょう。私は男ですから。処女膜もなく、こうして、アルコットは私の後孔に肉棒を突き刺したのです。
今でもあの時の痛さは覚えています。内臓を直接鈍器で殴られているような痛さでした。同時に四肢を馬で逆方向に引っ張られたような痛烈な衝動が襲い掛かりました。身体の間接を繋ぐパーツが一つ、一つ、分解されているような気分で、私の腰を持つアルコットの顔がまるで怪獣のように映りました。綺麗な西洋の絵画から出てきたような容姿をしているアルコットの姿は、とうてい人間には見えない醜悪なものでした。
痛みしか覚えていない夜が終わり、ぼろぼろになった私を見て、アルコットは「これが君の仕事だよ」といいました。
仕事。こんなことをこれから先もさせられるのでしょうか。にわかに信じられませんでした。
ああ、そうだ――とアルコットはまるで昨晩の食べたおなずを思い出すかのような言い方で口を開きました。
携帯で部下を呼び出すと、部下が私の前に頭部をごろんと投げました。血がこびりついて、眼球が逆さに出ていても、それがなにか私にはすぐにわかりました。
アルコットはおみやげを渡すような口調で「プレゼントだよ」と述べました。
母親の頭部を抱きしめて、いったい、私に何をしろというのでしょうか。現実を自覚しろと? 死体があるだけ優しさといいたいのかと、抱きしめて泣いていると、子どもの鳴き声が嫌いなのかと思わせる溜息をアルコットは零しました。


義務は毎日行われました。禿げの親父も豊満な女性も好んで私を抱きました。私はたいそう美しい子どもだったので、身体につく付加価値もそうとうのもので、私を抱きたいという人間はあとを絶えなかったそうです。
身体に精液がこびりつかない日はありませんでした。時には私は女を抱きましたし、男を抱きました。しかし、圧倒的に私は男性にも女性にも抱かれる日のほうが多く、後孔はずたぼろになり、もう処女だと嘘をいうには限界なほど広がっていました。
毎夜、身体を売りに出すことにより私は、食事を与えられ、睡眠を与えいられ、衣服を与えられ、雨風を凌げる家を与えられ、そして教育を与えられました。最低限の生活以外に教育が与えられたのは、いつか中立の役職に就いたとき仕事が出来ないと困ると組みが判断したからでしょう。しかし、抱きつぶされた後に、体を酷使して勉強に励むのはそうとう辛く折れてしまいそうな時もありました。


抱かれることが日常に変わってから五年あまりの歳月がたち、私は一二歳になりました。一二歳になると中立の仕事を手伝うという義務が増えました。そこでは私と年端もいかない子供たちも働いていました。
出会ったのは煌でした。煌はアルコットのお気に入りだということが一目でわかりました。私はアルコットがあんなに優しい声を出して誰かと接するところを初めてみました。どうしたら彼に好かれるのか私は聴きたくて、どうにか勇気を振り絞って煌に話しかけたのです。

「あの」

声を出しました。消えてしまいそうな声だったでしょう。私は煌の名前を続けて呼びましたが、聞こえていないのか無反応でした。

「あの、煌さん」

煌だとは紹介されました。一度、聞いた名前を忘れるはずがありません。二回目は確実に聞こえていた筈なのに、反応はありません。

「煌さん」

聞こえていますか? という意味を込めて声をかけると、彼は反応を示し、私を睨んできました。
睨むというより威嚇でした。汚らわしいものを見る勢いで、彼は私を拒絶しました。いうなれば、虐められっ子がクラスの傍観者に声をかけて「巻き込まれるのが嫌だから話しかけないで欲しい」というような眼差しに似ていました。煌は口をゆっくりと開きました。

「話しかけないでほしいよ。ワタシ、貴方と関わる気ないから」

ああ、身体を売り出している私を汚いという意味を孕んだ直球な言葉は私を射抜きました。自分はここまで、初めて話しかける人間にとっても疎ましく、醜い人間になってしまったのだろうかと、身を縮めました。呼吸がしにくくなっていくのを感じました。
私はそれほどまで、汚いでしょうか。
私はそれほどまで、醜いでしょうか。
私はそれほどまで、愚かでしょうか。
私が生きている意味とは。貴方も私もこの組に身を置く人間として変わらない存在である筈なのに。
どうして。なにが違うというのですか。

煌はそれっきり、私をわざと避け、私を空気のように扱いました。違います。煌だけではなく、周囲の人間も、私を空気のように扱っているという事にこの時、気付いたのでした。

死にたいと率直に思いました。
空気のような人間がこんなに嫌で汚くてドロドロして痛みしか残らない世界でもがくように生きている意味などないと思ったのです。


「死にたい」

死にたいとアルコットに述べました。精液の海で。私の身体はどろどろに溶けていました。その日の相手はSMを好んだものでしたから。死なせない程度には私の身体に暴行を与えることは許可が下りています。前歯が飛び散り髪の毛はずたずたに引き裂かれ、乳首には釘が撃ち込まれていました。死にたいとアルコットに言いました。殴られもしたのか、泣き過ぎたのか、視界は霞んでおり、アルコットの足もとに跪いて死にたいと懇願しました。


「死なせて欲しい」

生きている意味なんてなかったのです。お願いですとアルコットに述べると「やれやれ、お前はあの時、母親の首をあげあ意味をまるでわかっていないね」とあきれるように述べました。
アルコット曰く、あの日、母親の首を与えられたのは行きたいと渇望し、死という者が如何に愚かであるか学ばすためだったといいます。死にたいなどと告げる人間は不要な塵クズと一緒で、アルコットが見ていて実に腹が立つものだといいます。
死なせるはずがないとアルコットはいって、私の腹を蹴りました。少しは煌やギーゼルベルトを見習いなさいだっただろうか、誰かの名前が混じっていた説教とともに、私の腹は形が変わってしまう程、蹴られて意識がすうっと消えて行きました。




「死にたいという人間ほど愚かな存在はいない」
「だから君は駄目なんだ琳霞」
「こんなに良くしてあげているのに」

夢の中でアルコットの言葉が浮遊します。ふわふわになって頭の中に飛んできて、目が覚めたら気づいたら走り出していました。
初めて出た、開心会以外の街並みの中、私は迷路の中に迷い込んだ子供のように徘徊しました。とにかく、ここ以外の別の場所へと私は行きたかったのです。逃走したのは、本能の赴くままにということしか説明する単語を持ちません。
街はとにかく穢いものを詰め込んだように乱れていました。整頓などされていませんでした。開心会のように、なんでも綺麗なものを詰め込んだ世界ではありませんでした。衣服も食べているものだって、汚く、惨めでした。
しかし、私はよほどあの中にいる時より、ココで生きている人たちが輝いてみえました。この人達より綺麗な洋服を持っている自分より、街に溢れかえる人たちが綺麗でたまらなく、愛しく映りました。
ぼろぼろと路地裏で私は泣きました。美しさに泣くということしか、この時のは私には出来なかったのです。ぼろぼろ、ぼろぼろとなって泣いていると、後ろから肩を掴まれました。ああ、もう追手がきたのかと、あの表面上だけが美しく、ひどく暗い世界へ戻らなければいけないのかと絶望感が募りましたが、私の肩を叩いた手は優しく尋ねます。

「どうして、泣いているの」

泣いているのは、この世の私以外の人間があまりにも綺麗で美しいからです。それをどう表せばいいのかわかりませんでした。
埋め込まれた知識を駆使して、なんとか言葉を探そうにも、私は言葉を持ちません。ただ、なぜ、このように自分が誰かに拒絶されて辛いのか。自分と誰かを比べてひどく悲しいのか。その正体だけは知っていました。


「人が愛しいから」

人が愛しくて、その愛しい人間から私も同じくらい綺麗だよと、愛しい存在だよと、ただ、ただ、言って欲しかったのです。穢れてしまった私ではなく。
こんな私でも綺麗だと。生きている意味はあるのだと。
私の肩を掴んだ青年は私を抱き寄せます。誰かに性的なこと以外で抱きしめられたのは、久し振り出した。母親が死ぬ前に私を抱きしめて以来です。なんと、この胸の中はあたたかいんでしょう。なんと、この胸の中には幸福が詰まっているのでしょう。
青年は「君も愛しいよ」と述べました。どんな意味があるのでしょうか。出会ったばかりの少年に対して。その言葉を吐く意味とは。わかりませんでした。わかりませんでしたが、その青年は、以降、私の生きる意味となるのです。





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