絢爛豪華な装飾を誇るオーフィリア王国自慢の離宮の一室で充葉は腰掛けていた。歴代の第一王子専用に造られたものを今の持ち主用に改装した離宮の美しい装飾の数々は暇つぶしをするには最適なものだった。離宮といっても王都の中にあり、王宮から数分の距離に設置されてある。それでも門には着飾った門番が長槍を持ち立っており、関係者以外は立ち入ることを禁止されていた。警備の硬さはお墨付きで、怠った者には癇癪持ちで人の首を文字通り切り落とすことに情けなど一切感じない王子が処罰を与えるので、場内は常にどこか緊迫した雰囲気が流れている。

「暇だなぁ」

声をあげた充葉は同時に溜め息をつく。自らが管理統括しなければならなかった部下に裏切られ、前線での敗北を味わった後、捕虜としてこの国へ連れて来られ、苦痛と酔狂と快楽に酔い浸るような拷問を繰り返し行わされ屈辱だけが身体と精神に残ったが、気まぐれな第一王子の一声によって死刑される寸前に助け出され、王子専用の愛玩道具のように扱われるようになってすでに半年以上経過していた。暦をみる術を知らない充葉に正確な時期を知ることは出来ないが、季節が夏から冬へと変化を遂げたので半年は経過しているだろう。充葉が捕虜として拘束されたときは雨が残酷なまでに降り注ぐ梅雨であった。尤も、オーフィリア王国と季節の変動が違えばなんの宛にもならない情報なのだが。捕虜として連れてこられたときは目隠しをされ四肢を拘束され、暫くは嗚咽に塗れることしか許されなかった地下室に監禁されていたので、情報は余計あやふやだった。今、戦場がどうなっているか、ということも詳しく知ることはできない。自分の父や母、弟妹、幼なじみの安否だけでも知りたいのだが、充葉はそれを知る術を持ち合わせていなかった。
暇だという言葉も、以前のことを思い出すと贅沢な言葉だった。暇だと感じる暇さえないほどの痛みと、それが終われば快楽を与えられていたのだから。最近は、充葉を生かし、この場に連れてきた第一王子の気まぐれか判らないが、与えられる屈辱の数々も半減し、今では離宮内であれば自由に出歩ける権利まで施されている。幼いころから暇であれば家の手伝いや、読書をするのが充葉の唯一の趣味であるが、ここではそんなこと許されることなく、ただ、呆然と過ぎ去る景色を眺めているだけだった。以前、第一王子に「なにか欲しい物はある」と尋ねられた時に本とでも答えておけば良かったと充葉はふと思ったが今更後悔した所で遅いと気付き、顔を上げる。いつもなら暇つぶしの相手として庭師であるディ・ロイや一応この国の王妃として君臨するノイトラがいるのだが今日は二人していない。ノイトラは王妃としての政務を珍しく行わなくてはならないらしく朝早くから王宮の方へ脚を運んでいた。ディ・ロイも半分ノイトラに付き合うような形で王宮の方へ仕事を行いに脚を運んだ。

「本当に暇だ」

離宮ご自慢の装飾を眺めるのも既に飽きてしまった。未だに気だるい身体をソファーから立ち上がらすと充葉は重たい扉を開き通路に出た。西洋の、異国の文化が惜しみなく現れている廊下に臆することなく脚を進める。廊下でメイドと擦れ違うが誰一人として目を合わせようとしない。第一王子が一緒のときのように深々と頭を下げられることこそないが、顔を伏せて動きを止めている。不愉快だと感じる時もあったが捕虜として連れてこられた自分がここでは異端者なことを理解していたのでなにも彼女たちに告げることはない。仮にも戦争をしているのだ。この中には月代大帝国の人間というだけで憎しみを抱く人間も少なからずいるだろう。戦争が生み出す悲劇というものを前線に立ち味わってきた充葉はなにも言わず静かにそれを受け止めていた。
充葉が常にいる、通称王子の宝物を保管する部屋と屋敷の者たちに恐れられている第四私室から中庭までは回廊一つで繋がっている。中庭に行ったところでディ・ロイがいないことなど判っていたが、それでも窮屈な部屋で装飾ばかり眺めていることに飽きてしまった、充葉は中庭まで脚を運んだ。アーチ型の小さな門を通り抜けると貴族が茶会をするような中庭が悠然とそこにあった。普段から丁寧に管理されている花々たちは色とりどりに咲き誇っている。だが、いつもと違うことは、花々たちが雪化粧しているという点だった。

「どうりで、寒いと思った」

充葉は白い息を吐きだすと、普段と違う顔を見せている中庭に足を踏み入れようとするが、足裏に当たった雪の予想外の寒さに足を引っ込めてしまう。土足での生活が基本のオーフィリアでは靴を常に履いているが、捕虜である充葉は常に素肌での生活を送っていた。二週間ほど前に第一王子が靴を贈ると述べていたがいらないと断ったのは自分であった。なぜか、受け取れなかった。無理やり履くことを強要されるのではなく拒否の自由が与えられている選択肢の中、それを受け入れてしまえば自分を支えていたなにかが折れてしまうような気がしていた。だが、こういうときは少しだけ後悔する、と充葉は思いながらも、再び足を踏み出す。
冷たさが充葉を刺激するが、今度は臆することなく、進む。屋根で覆われた空間ではなく白銀の世界が広がる中庭は開放的な力をもっていた。それでいて、普段の雑音から切り取られた世界が充葉の心を慰めた。子どものように駆けずり回ってしまいたいという気持ちも僅かにあったが、ただ、静かに充葉は中庭で倒れ込んだ。耳朶の真横が雪で埋まっている。音が遮断される。嫌なことも嬉しいことも、すべてを遮断する力を持っているようだった。ただ、絶望の中にいるときは良かった。死んでしまえ、殺してやる、と祈るだけで自分を慰められたのだから。それなのに、中途半端な幸せを与えられ、それが当たり前となりつつある現在ではどうすればよいのかわからない。第一王子を、ジル・トゥ・オーデルシュヴァングを受け入れつつある自分自身に充葉は気付いていた。敵国の第一王子を受け入れるということが馬鹿げていることも、非国民として裏切りの烙印を与えられる行為だと自覚していたが、ふとしたときに見せる柔らかい優しさにその身を預けてしまいたくなるときがたまに訪れる。
厄介だと思いながらも消す術を知らない。暇な時間を与えられると余計にそのようなことばかり考えてしまう。

「どうすればいいんだろうか」

「充葉?」

小さく呟いた言葉を聞いていたように名前を呼ばれる。慌てて起き上がろうとするが間に会わない。低いテノールの甘さを孕む声は充葉がこの国に来てから一番聞く男の肉声であった。

「充葉、どうして雪の中に居るの? 部屋にいってもいないから心配したんだよ」

寝転ぶ充葉に顔を近づかせながらジルは喋る。充葉は思っていた以上に雪の中に倒れ込んでいる時間が長かったことに驚きながら素直に口を動かす。

「暇だったから雪の中に来ていただけです」
「寝転んでいるのは」
「静かだから」
「そうなの?」
「うん、静かです。とても」
「けど、寒いよね」
「だからそろそろ起き上がろうかなぁって思って」

充葉がそう告げるとジルは温かい手袋に包まれた手を差し出す。火薬の香りが鼻腔を過り、またこの手で引き金を引いてきたのかと嫌悪しながらも、差し出された手を充葉は振り払うことが出来なかった。しっかりとその手を握り立ち上がろうとするが脚がひりひり痛くて立ち上がれない。どうやら素肌で雪の中に一時間ほどいたので脚が軽い凍傷を起こしかけているようだった。ひりひりとした痛みを感じ充葉は顔を歪める。どうすれば良いのかと暫く顔を歪めていた充葉だが、ふわっと自分の身体が浮くのを感じる。

「ひゃぁ! ってジル」

浮いた身体を確かめるように視線を落すとジルに抱きかかえられていることがわかる。

「あ、あの大丈夫ですから。自分で行ける」
「けど、脚、冷たいんでしょ?」

何食わぬ顔で歩きだそうとするので、慌てて手足をばたつかせる。この状況から逃げ出すにはどうしたらいいかと考えた末、充葉は声を張り上げた。

「これは、いやだ! あ、あのおんぶだったらいい!」

自分の口からでた予想外の言葉に充葉は唖然とするが思わぬ返しに驚いたのはジルの方であったのか黙り込んだ。が、やがて小さく優越感に塗れるような幸福な笑みを曝け出すと、充葉を下ろし、その場に腰を落した。

「はい、充葉。あまり綺麗じゃない背中だけど、乗ってよ、ね」
「……うん」

動揺を見抜かれているらしいことに赤くなりながら、今さら後にも引けず、首に手を回す。至近距離で顔を見られる体勢になど慣れているといえ、この白銀の眩いばかりの世界の中で、見られるより、こっちの方がだいぶましだ。
広い背中に抱きつくとジルは軽々と立ち上がった。

充葉は複雑な顔をしながら、ジルの肩に首を預ける。この背中が、この手のひらが、この口が、自分が愛する家族をもしかしたら殺しているかもしれないし、自分が慣れ親しんだ故郷や旅先で見た愛すべき景色を消しているかもしれないのに、背中に抱き付けてしまう。ナイフなどは保持していないが一応、軍人であった充葉だ。最低限の体術は会得していたし、人間を効率よく手のひらだけで殺す術も知ってはいた。殺すということを実践したことはないので文献の中の知識としてだけであるが。それすらも試そうという気が湧きあがってこない。

たまに見せる優しさが辛い、けど同じくらい、嬉しい。

充葉は悴み動かなくなってしまった自分の体温を握り締めながら瞼を閉じる。おそらく、後日、充葉には新品で防寒が強度された靴がジルから渡されるだろう。そして、それを受け入れてしまうのだろう。

「充葉はさあ、雪って綺麗だから好きなの?」
「うん、そうだね」
「だったら、今度、一緒に雪山へ行こうよ。ね、充葉。綺麗な景色が見える離宮があるんだ」
「そうなんだ」
「そう、行こうね充葉」
「……うん」

思わずうんと首を下げてしまった。遠くにある離宮など今、戦場へ出向く以外の用事で王都から離れることが許されない第一王子の戯言と受け流せばいいのに、どこか期待している自分がいる。あたたかくて、やさしいものが、とても愛しくて仕方なかった。











20110125

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