九条と次郎 | ナノ




燕尾服を脱ぐと執事に渡す。頭を下げた執事が一歩後に下がった。九条の家は鹿鳴館を彷彿させる西洋かぶれの作りになっている。商人から成り上がってきた人間の方がこのような家を作り易い。実際、妻に娶った怜子の家はわびさびに重視を置いた日本家屋であった。障子と襖で区切られ、箱入りの娘であった怜子は結婚するまで西洋のドアというのを見たことがなかったので、随分と驚き、あら鍵がかかるって良いのねと嫌味たらしく浮気を繰り返すであろう旦那へ目を向けたものだ。
正門は大理石を削り、石造をたてており、車で十分ほど進んだ先に本宅が見える。庭師を雇い、一年中色とりどりな花を咲かす庭は、今の時期、薔薇を見事に咲かせていたが九条が帰ってくるのは日を跨ぐのでお目にかかれる日は少ない。しかし、可笑しなことに庭には桜の木が植えてあるので、春になるとライトアップされ夜桜を楽しめる作りになっていた。すべて、九条の趣味で用意させたものではなく、先代、つまり彼の父が造ったものだった。未熟な頃はこの家のすべてが嫌だった。成金上がりが目立つ下劣な家だと、無駄な装飾物で飾る家を見下していたが成長するにつれ、下品な外装も武器の一つになり得るのだということを学んでいった。
思えば、怜子との結婚に至っても若い九条にとって気に食わないものだった。十歳以上歳の離れた幼女と結婚するなどというのは、時代錯誤だと感じていた。皇室など取り入る価値はあるが、しょせん、商売人(新華族)に与えるだけの価値しか持たない女だ。そんな女と結婚した所で、家を護る糧になるとは感じない。そもそも、独自の社交界に君臨するより、商績をたてた方がいくらも誓い未来役に立つだろう。華族が政治の中枢を握る時代は終わりつつあるのだからと。
けれど、自身の失態で家が傾きかけた時、怜子との婚姻関係により会社が護られた時は父が言っていた意味を九条は理解した。皇室とは変わらないものだと。それこそ、戦争でも起きない限り、彼らの立ち位置は変わらない。滅びぬ限り、権力が廃れようとも彼らの存在価値が廃れるわけではないのだと。
それに、実際、怜子は良い妻だった。九条の性癖を受け入れ、当時、日本では誰一人として試したことがない人工授精を受け子どもを残した。九条は、恋愛感情において、なにか悪いことをしたと悔いることなど滅多にないが、怜子との初夜の時、彼女に勃たなかったのは、申し訳ないという気持ちが僅かに今も尾を引いている。言いはしないが当時の彼女は九条萬斎というどうしようもない男に淡い初恋を抱いていたのだから。少女の無垢な期待を裏切ってしまった時の、怜子が自分を嘲笑う前の少しだけ残念そうに目を落とした顔が九条の脳裏には残っている。
子どもを作るとなったとき、怜子は「あら、跡取りさえ作れば文句を上から言われないのよ。あなたはその歳で社長になり、私のお蔭で爵位をいただくことさえ出来たわ。けどね、あなたは上に立ったわけではないの。あなたより偉い人間なんてまだまだいるわ。油断したら足元を救われるから覚えておきなさい。油断はあなたの癖みたいなものなんですから。けど、子どもさえ作っておけば、貴方がどこで誰と何をしようと、自由なの」と。
九条はこの言葉を耳にしたとき、そうかお前はなんとも出来た嫁だねと怜子を簡単に褒めると、頬っぺたを引っ叩かれ「能無し」と蔑まされたものだ。今でも九条萬斎に対して能無しと告げられる女はこの世で一人だけだろう。

九条はこの時のことを思い出すたびに、もしかして彼女はここまで見抜いていたのだろうかと首を傾げる。
以前より怜子は「いつか、貴方には本当の恋愛をして欲しいものだわ」と。怜子のことだから、視野に入れての算段だったのだろう。お蔭で今は初めて愛しくて抱いてみたいと願い、衝動的な感情が動かされてしまう相手と初めて正面に座り愛し合うことが出来る。
九条は自分の私室の扉を開いた。机の上に置かれたランプが灯を照らしている。椅子に腰かけ読書している人物が誰であるか九条は察していた。

「今、帰ったよ。次郎」
「萬斎さん……!」

本を閉じて九条が帰ってきたことに立ち上がり、次郎は近づいてきた。冷めていた九条の身体を温まるように手のひらを握る。乾燥してかさついた九条の手とは違い、滑らかなクリームが塗り込まれた絹のような肌は心地が良い。今すぐ、身体のすべてを味わいたいがぐっと我慢して、蕩けるような瞳を向ける次郎を眺めた。
次郎が本宅への侵入を許可されたのは、先日、怜子が「あなた、今の恋人は家に連れてこないの?」と首を傾げたからだ。皮肉を言われたこともあり、怜子に遠慮して今まで愛人を本宅へ連れ込んだことはなかったが、良いのかと尋ねると、鼻で笑われた。「きっと相手もそれを望んでいるはずよ」と。
怜子のいう通り、次郎はその台詞を待っていたかのように、いつも完璧をつくろい貴方をお慕いしますという表情ではなく、安堵の息が隙間から漏れていた。あまりに嬉しそうなので、早く本宅へ入れてやるべきだったと後悔したほどだ。
恥ずかしい話だが、九条は未だに恋愛のやり方が判っていないようだと首を傾げることがある。本当に、自分が今までしてきた愛人関係は恋愛ではなく、身体を繋げるだけの行為であったのだと自覚する。
次郎が喜ぶようなことをしてやりたいという気持ちはあるが、物を与え、金を与えるだけでは無駄なのだと学ぶ。次郎はそんなことより九条と共にいる時間を大切にしたいのだと目で訴えてくる時がある。一緒に食事を取れない時、侘びに彼が好きそうなバックや宝石を買い与えるのだが、与えるときは喜んでいるが、買いに行く時間があるのなら、共にいる時間を望んでいることが最近、ようやく判ってきた。そんな、九条のすることに「萬斎さんでしたら」と文句、一つ言わない次郎のことを愛らしく思う反面、意地悪をして限界まで放置して、泣き叫んでくる彼が見たいという男のどうしようもないエゴが見え隠れする瞬間も訪れるのだが、怜子に言わせてみれば「貴方がそんな高等テクニックを恋愛で楽しめるのは、まだまだ先です」と叱られてしまうに違いなかった。
九条は次郎の頬に手を伸ばした。整形して自分好みの顔に変えてきたらしい彼の肌は跡を残さず美しいままだ。自分の為に親から受け継いだ顔まで変えてしまうなんて、本当に愛しい人間だと九条は思う。今まで、このように自分につくした人間がいただろうか。怜子は覗くとして(彼女はどう頑張ったって九条萬斎の恋愛対象にはなり得ないのだ)他の人間はいなかった。手に入ったことはなかった。初めて欲しいと枯渇した、あのハイネでさえ。気紛れな猫のように九条の元から離れてしまったのだ。
すっかり愛おしくなった頬をなぞったあと、口づけをする。次郎は疲労しているであろうに、九条が帰宅するまで必ず待っている。以前、怜子が「もし、私があなたのように外へ仕事に行く立場だとしましょう。なら、必ず灯がある部屋に帰ってきたいと思います。貴方もきっと、その気持ちがいつか理解出来るわ」と述べていた。まったく、敵わない女だと瞼を閉じる。確かにこれは早く帰ってきたくなる。早く帰って抱きしめて、灯が照らす部屋の中で抱きしめたいと。
愛おしいのだと九条は年甲斐もなく、次郎にそう願う。愛おしくて顔がみたいと思うのだと。


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