雄山と阿部 | ナノ




雄山は苛立っていた。教室の椅子に腰かけながら、数分前に出会った阿部の嫌味ったらしい顔を思い出して、シャーペンの芯を折った。駄目だ、平常心、平常心と唱えてみるが苛立ちを抑えることが出来ない。感情が発露していく様子がとても無様だと感じたが、未熟な精神は内面を咎めることが出来ず、近くにいるクラスメイトたちが「今の佐治には関わらないようにしようぜ」と小言を漏らしていた。
友夏里と先に話していたのは雄山だった。いつものように友夏里に声をかけられ、しょうがねぇなぁという気持ちと共に喋っていると、阿部が横から沸いたように入ってきて、友夏里の腕を絡め取った。ウッワーーうぜぇ。というのが、雄山の第一印象で、阿部はちらちらと雄山のことを横目で見て「誰?」と首を傾げていた。
雄山はその甘ったるさを隠せない、親しい人だから俺はこんな声を出せるんだ、コイツ(友夏里)とは親しい距離感なんだという声が煩わしくて、なんだコイツと眉を細めた。
友夏里はいつものように当たり障りなく「雄山、俺の従兄弟なんだよ――」と浮ついた声で喋り出した。阿部は雄山のことを値踏みするように、上から下まで目を通すと、唇を尖らして「ふぅうん」と答えた。まるで口笛を吹くかのような動作の後に、取ってつけたように「阿部京介」という自己紹介が入った。雄山は理性を抑えながら、ぺこりと頭を下げて、脱兎のごとくその場を去った。
逃げたとは思わなかった。あの場にいたら「ウゼェんだよ、テメェ!」と激怒して会ったばかりの人間に対して文句を並べてしまう所だったからだ。明や友夏里に対して悪態をつく雄山だが、さすがに会ったばかりの人間に対してアレコレ言うことが間違っているということは知っていた。
教室について、ああ駄目だ、苛立つ、早く部活の時間になれ――とストレス発散の場である弓道場を脳裏に浮かべながら退屈な午後の授業を、シャーペンをカチカチ言わせながら聞いていた。




阿部とはその後、何回かすれ違った。大学生に入ってからも、広いキャンバスの中で、友夏里の傍にいると阿部は嫌でも寄ってきた。
喋る機会があるのは、友夏里と一緒にいるときくらいで、さすがにキレかけたのは、友夏里が最も優先すべき人物である千代との間に阿部は侵入してきた時だ。おいおい、そりゃぁ、ねぇんじゃねぇの? と眉間に皺を寄せ、この阿部って奴、本当に自分勝手だなぁと苛立ちながら、チラリと千代を見た。
千代は雄山の苦手な顔をしていた。以前は、この顔をしてから「ゆ、友夏里は僕のだから、か、返して!」と鼻息を荒くしていたが、今回は言うことを諦めたかのように、冷たい眼差しで阿部と友夏里を眺めていた。
正直な話、雄山はこの、なにをやられても僕は大丈夫! 誰に馬鹿にされても僕は僕だもん! 前向き! 他人を許す! 許すっていうか憎むってなに? みたいな、穢れを知っているくせに、すっとぼけている強い人間である千代のことが得意ではなかったが、どんな一面を見た所で、友夏里の恋人であるのは千代だからこそ、納得できるのだと思っている所があった。

認めたくないが佐治友夏里は雄山の初恋だった。嫌いで嫌いでコンプレックスの塊で、消えて欲しい人物であるのに、佐治友夏里という人間に執着していた。嫌いが一回転回って好きになった。いや、好きが一回転して好き過ぎるあまり、友夏里と自分を比較して勝手に嫌うという逃げ道を取ったのだ。だから、友夏里のことを口では嫌いだ! と叫びながらも、本当のところは好きであるという事実は代えられない過去として半分くらい雄山は受け入れていた。
友夏里は昔から女癖も(男癖も)悪い最低の野郎だったが、彼のふわふわと揺れている主軸がまったくズレないのは、お前は幼い頃刷り込みでもされたのか! と友夏里のことが好きだった雄山が疑問に抱くほど、友夏里が千代・トゥ・オーデルシュヴァングを愛しているこの一点だった。「千代、千代、千代」というのが、この男の口癖で、世渡り上手なこの男が千代に対してだけ苦戦した姿を見せたり、嫌なことは避けたい! 困難な道なんかこのんで歩きたくない! 要領よく生きていきたい! となんとまぁ自分勝手な気質の男が千代に関することだったら「千代と一緒にいるためなら仕方ない」と納得して、耐え抜く姿を何回か見てきた。
これが千代で無かったら、そんなに頑張ってんじゃねぇよお前が――という愚痴の一言でも漏れたかも知れないが、雄山は千代のことが苦手だが、友夏里の相手は千代だからこそ良いのだという気持ちもあった。寧ろ、自分に無い一面を沢山持っている千代だからこそ、雄山は苦い初恋を誰も憎むことなく(あえて言うなら、友夏里を憎みはしたが)終われたのだろう。雄山は直ぐに人のことを嫌いになるし、自分がない所を持ちすぎている奴は嫌いではあるが、その人間の長所を素直に認められないくらいは捻くれていなかった。
それなのに、この阿部って奴、ウゼェなぁと雄山は見ていた。
友夏里の態度も悪いが適当に利用されていることくらい、察することが出来れば良いのにと、苛立って、ついに雄山は大学の誰もいない薄暗い通路で阿部とすれ違った時に阿部を引き留めてしまった。
石畳が引き締められた床に、アーチ状を描く薄暗い渡り廊下。掲示板にはサークル勧誘の古びたポスターが貼ってあり、その日は雨が降っていたため、床を踏みしめる度に、音が響いていた。

「なんだよ」

阿部は威嚇の声で、友夏里といるときには聞いたことがない、冷えた温度を向けてきた。雄山はこの猫かぶりクソ野郎と睨み返しながら、上級生であるコイツにいうべき言葉ではないんだろうと自覚しながら唇を動かす。

「お前、友夏里のこと諦めれば。見ていてウゼーー。友夏里は千代のことしか好きにならねぇから。判ってるだろ、お前も」
「っ――はぁ? なに言っちゃってんの?」
「余計なお世話かもしれないけど。まぁ、別にこれもお前のことを思っての台詞じゃねぇけど、俺、見ていて苛立つっていうかお前のこと嫌いだから関わってくんなって思うし。友夏里と千代のこと邪魔してんじゃねぇよ」

言いたいことをさらさらいうと、阿部の眉間にしわが入り、拳を雄山に向けてきた。意外と攻撃性を持つ人間だったのかと雄山は冷静に対処した。仮にも(普段は情けない姿ばかり見ていて忘れがちだが)中国マフィアのボスを指導する人間に武術を教わっているので、正直なところ、素人の拳など簡単にとめられた。ジョンには事前に割り込んでくるなと話していたので、数年溜った憂さ晴らしと共に阿部の顔に拳を捻じ込ませる。

「邪魔しなかったら愛人でも勝手にやってれば良いけど、少なくとも俺の前でうろちょろすんなよ。俺は、身の程を弁えた方がお前、幸せになれるけどっていう忠告してるだけだから」

思わぬ反撃に地面に顔を向けた阿部に囁きかける。殴られた衝撃なのか、言葉に傷ついているのか判断出来ず、涙をぼろぼろ流していた。
ここが、自分のヤクザのボスには向いていないと反省する所であるが、弱い一面を見せられたらお前にも次があるよと言いたくなる。自分で言うのもなんだが、少々、優しすぎて甘いのが駄目なところだなと反省してしまう。嫌いな人間であるが、やりすぎたかも知れないと顔色を窺う所があって、いつまで経っても非道になりきれない。

「お前になにがわかるんだよ」

阿部が小さくつぶやいた。雨音が言葉を飲む込むように、涙と共に降っている。


「俺だってなぁ! 好きでもういたくなんかねぇんだよ! 俺だって、他のヤツに恋して幸せにっ―――! 俺のこと一番好きだっていう奴と幸せになりてぇよ!」

怒鳴りつける阿部の悲痛は雄山の喉に飲み込まれた。どういえば良いのかわからず固まっていると雄山を柱にぶつける様に、投げると、雨の中を走り去っていった。
やはり言い過ぎたかもしれないと思うと同時に、友夏里にはもしかしたら「余計なことしないでよ」と軽く言われてしまうかも知れない。んなこと、言うなら止めてしまえお前がな、と雄山は思わなくもない。

言ってしまえばもっとすっきりするかと思っていたが、やはり後味が悪いものだ。
後ろで待機していたジョンに向かって「せめて友達になったら駄目かな」と尋ねると首を振られて呆れた眼差しを向けられた。
だよな、と雄山は溜息を吐き出し、駄目だな、人間の弱い所を見るとやっぱり甘いなと自己反省を繰り返した。
本当に阿部を傷つけ、行為を止めさせないなら、もっとはっきりというべきだった。
優越感たっぷりの顔で。

友夏里は大事な人間は千代以外抱かねぇよ

と。お前は友達としても、そんな大事な立ち位置じゃねぇんじゃねぇの? という意味を孕んだ。相手を傷つける意思しかもたない言葉を。
駄目駄目だなぁと雄山は雨の中を見つめた。
阿部が去っていたあとはすっかりと消されていて、雄山の中に苦い自己反省を残した。

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