08







長距離は散々な結果で終わった。不安定に揺らされた心に加え、坂本に負けたくないと維持を張り、自分のペースを壊した。がむしゃらに手足を動かすという、不様な走り方を見せ、最終的に肩で息をするようになった。
冷え切った汗が、自分の調子を保っていなかった罰だと訴えるように、衣服に付着し、なんとか、最下位を凌ぐという、見苦しい結果となった。

当たり前のように坂本は一位で、満面の笑みを浮かべ、トラックを出る。騒いでいない姿が僕一人に醜態を押し付けるようで、嫌だった。自業自得という言葉以外、当てはまらない行為だというのに。坂本のせいだと言ってしまい、自分の心にかかる負担を軽くしようとしている自分が嬌態であった。






「充葉ぁん、おかえりぃ」

自クラスのスタンドに戻るとジルが腰をくねらせて僕を待っていた。普段と変わらない、いや、普段以上にサービス精神旺盛なジルの姿を見て、忠告されたばかりだというのに、僕の為に向けられた行為が嬉しい。
身体を一瞬、弾ませたが、聞こえなかったふりをして、椅子の上に置いてあった名簿を手に取る。
委員長としての務めを果たす為だ。と、いうのは、名目に過ぎず、ジルの言葉が聞こえていないということを正当化するのが目的だ。そんなことも、僕の心は充分、ご存じだというのに。なんて、情けないんだろう。

先ほど、言われた言葉が脳裏で反響して、恥かしくなってくるというのに、反応してしまう素直で愚かな身体。律するには、こんな、わざとらしい、行為しか見当たらない。

「次、五番の上田さん。はい、幅跳び頑張ってね」

出席簿に丸を付けていく。シャーペンでの単調な作業だ。心に篭っていない台詞を軽々しく囁く。そう、おそらく、ジルが僕に向けている台詞もこれと変わらないものなのだ。だって、あいつの一番は母親でしかないのだから。あの日から、ずっと。
自惚れるなと律していたのに、駄目だった。
僕は自惚れてしまった。

ジルのことを適当に、芸術作品程度に見ている人間に言われた言葉ならまだ、良い。

違う。
坂本薫という人物はジルのことをそのように見ていない。彼の心境などに興味はないが、確実に彼はジルのことを一人の友人として小さな脳味噌なりには真剣に思慮している。そんな、人物に、浮かれていると言われた。彼が僕のことをあまり良く思っていないと差し引いても、心に来る衝撃は未だに尾を引くレベルで、ジルの顔を直視できなかった。
だって、双眸を合わせ、硬直してしまえば見破られてしまう。予感だけど。ジルのすべてを見透かすのだと思ってしまう、眼球を眺めていると、自惚れていましたと認める台詞を吐きだしてしまいそうで怖い。



「充葉ぁん」
「…………」
「どうしたのぉ、充葉ぁん。いきなり、無口になっちゃって」
「……次、中田さん、いる? 高跳びだから。あ、え? もしかして、もう行った? 初めて出場する人は丸付けないといけないんだけど。まぁ、良いか。彼なら行っていると思うから。けど、おまけだって伝えておいて」

ジルの言葉を無視して、名簿をチェックする。話しかけてきても、委員会の仕事関連の会話をしているのだと、そちらに気を取られていて、聞こえていないのだという態度をとった。僕の勝手な心情に付き合わせて悪いけど、偶には僕の気持ちを優先して動いてくれたって罰は当たらないだろう。

「次は、那須さんも、高跳びなんだけど」

シャーペンを指で弄くりながら那須さんを探す為に視線を泳がしていると、背後から大きな衝撃音が聞こえてきた。どくんと飛び跳ねる心臓に嫌な予感しかしなくて、ゆっくりと唾液を呑み込みながら、振りかえるとジルがその場に立っていた。
思わずシャーペンを落す。
一瞬だけ静かになった空間に嫌なくらい、響き渡り、気付いたら、ジルは僕の手を引っ張って、歩いた。
背後から聞こえる声は、またジルが癇癪を起して委員長が機嫌とっているとか、ジルくんって怒ってもカッコいいとか、盲目的な意見ばかりだった。事情を知らない人間は好き勝手騒げるから楽だ。
癇癪を突然起こして受け入れられる人間を、僕はジル以外に知らない。






「ジル」
やっとの思いで名前を呼ぶ。
連れてこられたのは、グランドとドームのロビーを繋ぐ渡り廊下。漆喰で覆われたひんやりとして、影を作った空間。
殆どの人間が体育祭に熱中しているため、人通りはなく、遠くで聞こえる体育祭の音が懐かしいくらい、心臓が跳ねていた。

「充葉ぁん」
「ジル……」
「どうしたのぉ、なんで、無視したのぉ」
「無視、なんかしてないよ。僕は。委員会の仕事をしていたから、気付かなかっただけで」
「嘘吐き」
「っ――!」
「あのねぇ、充葉ぁん。オレぇ、充葉の嘘吐きな所も良いと思っているよぉん。可愛くて、好きだよぉ。けど、その嘘は駄目だよぉ。こんなに、オレが呼んでいるのに、答えてくれないなんてぇ」
「嘘じゃなっ」
言い放とうとしたら、ジルの長いしなやかな腕が伸びて、僕の頭を掴むを掴むと、壁に押し付けた。後頭部が激突し、痛む。
「嘘吐きぃ」


キスするくらい近い距離に顔を置かれ、囁かれる。呼吸の温度が皮膚に触れる。僕は何も言えなくなり目を逸らす。すると、ジルは、そのまま、口づけてきた。舐め合うように、僕の唇に触れると、隙間から舌を滑り込ませて、歯茎をなぞった後、舌を絡ませる。
逃げようと、舌を口内で動かすが、捉えられ、無理矢理絡ませられ、吸われた。




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