祐樹と透 | ナノ



トイレの中は好きだった。
トイレは日常生活において唯一、鍵をかけていても怪しまれない場所だ。俺の私室には鍵がついていたけれど、鍵をかけて置くと親父と和人へ拒絶しているみたいで、施錠するツマミを回したことがなかった。俺の部屋はいつでも解放されていて、和人や親父がいつ入ってきても良いようになっていた。
だから、本当に一人になれる空間が欲しくてトイレの中に腰を下ろしている時は好きだった。幼い頃からトイレは逃げ場所で、酒を酔っぱらって帰ってきた父さんが俺をボールのように蹴り上げる時、必死でトイレへ逃げ込んだ。父さんはトイレの鍵をぶち破る勢いで蹴っていたけど、暫くすると無駄なことだと悟り蹴り上げるのを止めた。もちろん、父さんが俺へ暴力を奮うのを止めると母さんへの小言が多くなるので、翌日に俺は母さんに頬っぺたを何十回と殴られて片目がぼやけてくることが廻っている日常だったけれど酒に酔った父さんの暴力は生きる為に抗わなければ死んでしまうものだったので(一度、背中に酒をぶち撒かれタバコの火を押し付けられ引火して火傷を負った時に学習した)翌日の叩かれるといった行いを受け入れる方が随分、マシだったのだ。
トイレは落ち着ける。幼い頃、染みつけられた経験というのは中々、抜け出せないもので。和人も親父も俺を責めることも殴ることもなく、ただ、飯沼という名字になった俺を愛して包み込んでくれているのに、ほら、俺ってさなんだかちょっと不器用だから、期待に答えたくて無理をした。心境としては受験生が親の期待に答えたくて机にしがみ付いて問題集を解いている時間がループしているというと判り易いかも知れない。
そんな心境でいるものだから、限界が来て雑誌を持って時たま、トイレの中に引きこもった。親父はトイレの中いにることをあまり良く思っていないようだったが(和人が新聞紙を持ったままトイレの中に何十分もいる時があるから、些細な嫉妬と「トイレの中で新聞紙読むとか年寄りかよ!」という気持ちがあったのだ)なにせ、和人が毎朝繰り返している行為なので、ファッション誌を黙々と読み続けるというのは、祐樹は努力家だなぁという眼差しでも見てくれていた。正直、俺はあの家にいて、とてもあたたかい空間に居ながら脳髄の片隅ではずっと親父に嫌われることを畏れていたので(和人は親父が一番大事な存在だということは変えようのない事実なのだと引き取られてからの数週間で身に染み込んできた)親父が本当に嫌だと思っていたのなら、俺は逃げ場所を失っていただろう。
トイレの中に入り鍵を閉めると、呼吸を整える。
便器の上でチャックを下ろしたりはしない。呼吸を整えて瞼を閉じる。この数日間で起こったことを脳裏に思い浮かべて繰り返し復讐する。自分の行動の些細な間違いを馬鹿みたいに攻めて、そんなに攻めても幸せになれないと馬鹿みたいに腹の底から笑って、どうすれば居場所を生きている中で効率よく確保できるのかを考えて思考を練り合わせて、完璧がイメージする方にどうすれば近付けるのか、今後の対策を練っていく。そうしていると、大丈夫だ、俺は捨てられない、俺はまだこの家の家族でいられる、俺は学校で完璧を演じていられる、友達はたくさんいる。幼馴染とも上手くやっている。俺を慕ってくれている人もいっぱいいる。好きだといってくれる人もいる。大丈夫。上手くやれている。上手くやれているから、嫌われることはないのだと、そういう言葉を繰り返して、吐きかえりそうな胸の中を抑えていく。本当は、吐瀉物をこのトイレに向かってぶち撒きたいんだろうけど、音がするし、吐いてしまえば自分がイメージす「飯沼祐樹」ではなくなるので、ぐっと耐える。涙をうっすら目じりに浮かべて、深呼吸をしていると、俺がずっと、欲しくて欲しくてたまらない人の横顔が出てくる。この間、爽太と学校に横顔を見に行った。相変わらず何を考えているか判らない子で、儚いイメージなのに、その背中は強く見えた。俺はその人が欲しくて、たまらなくて俺をどうやったら好きになってくれるんだろうか? ということを考えた。実は、嫌いになりたいと思ったことはある。この意思を圧し折って、皆が望む「女の子」と結婚すれば幸せになれて居場所も掴めるのだと思うのだけれど、胸の中で騒ぐ鼓動が、俺の中で湧き出す欲求があの人を好きでいることを止められない。

「透――」
もう数年喋ったことがない、向こうからしてみれば貧弱で泣き虫だった俺のことなど忘れているだろうが。名前を呟く。君が好きだと――俺は、君が好きでたまらないんだと生きている中に浮かび上がる希望であり絶望だった。









「なんてことを考えていたこともあったよ」

俺がさらりと話すと透は口にはしないが、なんて馬鹿なことで思い悩んでいたんだ柴田許すまじ、という顔でこちらを睨んでくる。俺の手の中に納まる透はあたたかい。女の子より男の方が表面体温が高いらしいという話を彼を腕の中に抱いていると思いだす。顎を旋毛に乗せると嫌そうな顔をする。顔がみたいという意味だろう。

「今はトイレすぐにでてくるね」
「今はトイレより居心地が良い場所を知っているから」

別に一人でいる必要なんてなくなった。俺が見栄を張る癖はすでに習慣なので直せないが、透にはすべて見破られているんだと思うと、妙に気持ちが良いことに俺は気づく。そうして抱き合っていると、俺の間抜けな姿とかを見ながら「祐樹カッコイ」と興奮してくれる透に優しくしたくて、甘やかしたくてしょうがない気分になってくる。

居場所が欲しかった。親父や和人が悪いわけじゃない。あの家で見栄を張る必要など、まったくなかったのだと今なら判る。家をはなれて少し俯瞰的に物事を考えられるようになったお蔭だろう。そんな、悲観的にならずとも、彼らが実の両親のように、俺を蹴り上げ縛り上げ叩き、寒空の下、アパートの階段の下へ突き落し居場所を奪うなんてことはなかったのだ。判らなかった俺は幼いという事なのだろう。透にいうと違うよ、といわれる気がするが。
けれど、透に出会って家族が出来て、ようやく自分の居場所に出会えたのだ。で、なければ俯瞰して物事を見ることなど出来なかっただろう。

「透が好きだな」
「俺も俺も俺も!」

バカップルって言われても良いやと、彼を抱きしめながら彼にだけ魅せる涙を流した。


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