06







スタート合図のピストルは異国のルールなのか肋骨のちょうど真ん中あたりに突き立てられていて、パンという音を聞くと選手は一斉に走りだした。さすが、花形競技というべきなのか、声援は会場いっぱいに溢れ返り、充満する。この競技をスタンドに座って観戦しているのは、僕を含めて数人しかいない。
全校生徒一同が興味関心を向け、体育祭という中に身を置く。参加している選手も、声援を送る生徒も、皆が体育祭という熱に浮かされる。
僕のクラスは体育会系が集まったクラスという訳ではないので、今は中盤に居る。一位との差は半周くらいだが、全員、諦めた声は出さない。
ジルがいるからだ。
アンカーとして、どっしり構えている。いや、何も考えていないのか。どちらかだ。

青 色のバトンが手から手へと渡る。あ、ラッキー。僕等の一つ前を走っていたクラスのバトンが落下した。バトンミスはリレーでは良く起こることだ。その、紫色バトンのクラスは士気を下げ、溜め息を吐きだす。逆に他のクラスは歓喜を漏らす。嫌な図だ。人生の縮図がそこに広がっているようで、目を背けたくなる。
なんてことを考え上の空になっていると、バトンはアンカーの一つ前のランナー、坂本へと移る。
容姿を着飾った人間はどうしてスポーツが出来る奴が多いのだろうと考え、小学、中学の間なんて運動の出来不出来で、女子からの黄色い歓声が決まることを思い出し、納得した。

坂本はぐんぐん、追い抜かし差を縮める。しかし、一位との差は絶望的だ。半周は中々埋まらない。
指先を整え、バトンをしっかり握ると、坂本は、彼が信じる宗教の神様である、ジルへとバトンを渡す。
ぐいっと伸ばした先にはジルがいて、パンッとバトンと皮膚がぶつかり合う音がする。バトンがジルへと渡ったのだ。坂本がジルへなにか囁いていたがジルは気にせず、走る。

身体は繊に伸び、背筋はぴんっとたっている。風を切るように、いや、ジルの前に風など存在しないような走りを見せる。これが普段、運動しない人間の走りだろうか、と疑問を抱く。体育なんかは適当に手を抜いているくせに。
僕は血液が沸騰するのを感じた。
本気のジルだ。久しぶりに見る。軽く、適当にやっても簡単にこなしてしまうから。ああ、セックスは抜くけど。
学生の思い出の中にある風景の中で本気を出すジルを久しぶりに見ると言った方が正しいな。
美しく均等の取れたフォーム。筋肉で走っているのではない。身体のどこを利用すれば最小限の力を使い、最大限の力を引き起こすことを出来るか知っている人間の話だった。以前、読んだ小説の中で、走るということで神様から愛された少年の描写を思い出した。おそらく、現実に居ると、彼はあのような走りを見せるのだろ。誰もが羨み、ただ、走っているだけだというのに魅了される。
ジルは当然だ、というように選手を何人もぐいぐい抜く。坂本が抜けなかったランナーもいとも簡単に抜いてしまった。
アンカーはグランドを一周半走るのが学校のルールなので、スタンドにいる僕の前にも、ジルは表れ、優雅に笑って見せた。
にこっと。
思わず、手に力が入る。
アイドルとかコンサートに行くと僕に笑いかけてくれた、とか錯覚を起こすけど、その現象が今、僕に起こったと感じた。ああ、自惚れだな、と自分自身を律したが、湧き上がる、興奮は止まらない。

「ジル」

小さく呟く。
どうせ、誰もいない。気付かれることはない。
なんて、綺麗に笑うんだろう。
全校生徒が熱中し、必死になり、汗塗れになる中で、化粧が施された顔は、崩れず、汗は甘露のように流れ出る。
誰が想像するだろうか。
今、半周以上あった差を埋め、白のテープを胸で切った男が、余裕ある笑みを浮かべ、他の走者を嘲笑うかのような態度で土を踏みしめていたなんて。誰も知らないだろうな。


「ジル」

だから、僕はお前を手放せないし、お前の傍に居る。優越感に包まれ、自身を叱咤するが、止まらない。
大きな歓声の渦に包まれ、一位の旗を持ったジルは集まるクラスメイトの群れを押しやり、僕の方へと駆けよる。



宣言通り、ジルは一位で帰ってきた。燦々と輝く一位の証である旗を振り上げ、僕の元に戻ってくる。

「充葉ぁん、一位だったでしょう」
「そうだね」
「そうだねじゃないよぉん。もっと、褒めてぇん」
「キモイ」
「汚い言葉使う口だねぇ」

ジルはそう言いながら僕の唇に触れた。砂埃が充満するこの空間でも、相変わらずジルの指先は美しかった。今更、抵抗するのも馬鹿らしいし、学校という空間で確固たる地位を築き上げているジルに対して、周囲の目を気にするのは、無駄なことなので、そのままにしておく。最近、色々と考え込んでしまい疲れるから温存できる体力は温存しておきたい。
それに、嬉しかったのだ。他を押しのけ、僕の元に来るジルが。今、リレーで奇跡の一位を手にした張本人であるジルが、他の誰でもなく僕の元に訪れるのが。
あの母親がいない空間だから、当たり前、とも言える。けど、嬉しい。
何度も味わう、この充実感。
何度も圧し折られる、この充実感。


「ふふ、充葉は可愛いねぇ、ふふ」
「気持ち悪い」

自惚れるな、自惚れるな、自惚れるな、自惚れるな、自惚れるな、自惚れるな、

繰り返す。



『長距離1キロに出場される選手の皆さんはAの2ゲートに集まって下さい』

アナウンスが入る。
ジルを振り払い、立ち上がる。残念そうな顔をして、ジルは僕を見つめるが、ぐいっと、手首を掴まれ引き戻される。


「ねぇ、充葉ぁん」
「なんだよ」
「充葉のためにぃ、頑張ったんだよぉ。そこをぉ、ちゃんと判っておいてねぇ」
「……ジル」
「もっと、自覚しておいてぇ。オレはねぇ、充葉のためにぃ、この一位を持って帰ってきたのぉ。ねぇ」

囁かれ、触れた唇にあたる、耳朶が熱い。
満たされていく自分の心が怖くて、首だけを下げて、僕はジルから離れた。







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