ナリと美貴 | ナノ





がこん、がこんと電車が揺れる。薄暗い照明は不気味で、囁くような雑踏の音が煩わしい。始めは、立ち人の空間に余裕があったのに、駅を通過し、扉が開くたびに混んでくる。人と人との距離が埋まる。
俺は自分の身体を縮こませて、呼吸を少し荒くした。びりびり、するのだ。
理由はわかっている。
電車の中だから、みんなが俺を卑猥な目で見ているから、警戒しなくちゃとかじゃない。いつもの、そんなんじゃないのだ。今日は特別だ。
おそらく電車なんて初めて乗ったであると想像出来る人が、俺の横に立っているのだ。俺は腰掛けているのに。
始めは、嫌だと主張したが、ナリさんには通用しなかった。
誰もを平伏すような博愛に満ちた笑みを俺へ向け、さぁさぁ座って下さいと指示した。空いている席には美貴様が座るべきだと進めてきた。俺は嫌だと、やはり否定をしたのに、ナリさんは「美貴様がお立ちになることで、私の心が酷く傷つくのです」と涙ながらに訴えてきた。周囲の好奇心や、ナリ様のような外見の方に、そんな台詞を言わせてしまい、俺にはもう首を大人しく縦に降るしか選択肢は残されていなかった。
揺るぎない笑みに押され、俺は椅子に腰掛けた。隣に座っていた女が視界に入ると、なんでこの人はナリさんに座席を譲らないのだろうかと、酷く謎な気分になった。
トンネルに入ると耳の中に空洞が出来て、頭の中にキーンとかき氷を食べたあとのような、痛みが残る。俺は片目を閉じて、唇を前歯で噛み、瞬きを二回ほど繰り返した。
座席に腰かけてはいるが、身体中を巡るような、ぴりぴりとした電流の怠さが抜けない。緊張する。まるで、ナリさんへの恋心を自覚したばかりの時みたいに。
ナリさんの視線を浴びて、俺の心臓はひっくり返ってゲーを吐き出しそうだ。吐瀉物を。ナリさんと一緒に食べたばかりの中華料理が、胃の中で暴れている。
他の人といる時と、全然違う。例えば林檎ちゃんだったら、俺は緊張しなかった。林檎ちゃんは、腐った牛乳を飲んでも平気だし、視線に固まることない。林檎ちゃんは、あんなに俺のことを凝視しているというのに。ユカリさんなら、もっと緊張しない。平気だ。
こんな気持ちになるのは、ナリさんといる時だけだった。ナリさんといると、幸福を嫌というほど味わうのに、畏縮した心と身体は微睡みの中にいるような、馴れない怠さを付きまとわせる。まるで影のようだった。

視線を下から覗き見するように、ナリさんを見て瞬きする。
普段は長く見えない睫毛が下から見ると、ぱちぱちと弾けていて、影を作っていた。異人特有の皮膚が電車が揺れ景色を替える度に濃さを増していった。
周囲にはこんなに人がいて、皆がナリさんと俺に注目しているというのに、移り行く景色にも目を寄越さず、ナリさんの眼差しはずっと俺だけを捕らえていた。翡翠の宝石を埋め込んだ双眸に色を宿すのは俺という人間の姿だけであった。ナリさんはそれを不幸だとは思ったことなどないのだろうか。彼の視線を虜にするものが俺だけであることに。俺ごときで良いのだろうかと身体を震わせて、けどきっと、こんなに緊張して疲れるのに、ナリさんが俺以外を見るようなことがあれば悲しくて泣いてしまうのだと確信を持ちながら、電車に揺られた。
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