05







『ただ今から、第五九回オフィーリア学園高等部体育祭を開始します――』


 女性特有の間高い声が、マイクを通して響き渡る。妙に機械的に聞こえてくるが、委員長として果たすべき雑務があるので、軽く頬っぺたを叩く。
 今日は待ちに待った体育祭だ、というと酷く陳腐で軽い言葉に聞こえるが、微調整の為に雑務を行ってきた身としては、ようやく来てくれたと述べた方が正しい。


「みーつばぁん」

 クラスから選抜する出場者が待機場所まで行ったか、チェックする為に名簿に丸を描いていると、背後から、ひんやりした手に抱き締められた。五月半ばの陽気に包まれた日だというのに、死人のようにジルの身体は冷たい。


「ジル。鬱陶しい。触るな」
「連れないなぁ、充葉ぁん。いつもは良いくせにぃ」
「あ、ちょっと!」

 耳朶をべろりと舐められたので、振り切る。人前で何を考えてるんだこの馬鹿。まぁ、生憎、ジルであるということだけで、奇怪な行動は許されてしまうが。誰からも愛され、誰からも許される絶え間ない魅力が人間を魅了してやまない。

「それより、リレー、ちゃんと出場しろよ」
「判ってるぅよぉ、充葉ぁん。だってぇ、約束したでしょぉ」
「したけど……あ、あと、本気で走れよ。手、抜くな」
「大丈夫だよぉ。ちゃぁんと、充葉に言われたから走るからねぇ、本気でぇ」

 鼻に突く喋り方を繰り返しながら、ジルは僕に抱きつく。粘着質のある物体が背後にいるようで気持ち悪い。けど、嬉しい。あまり人に触れることを得意としないジルが僕に触れているのが嬉しい。身体の奥底から絶えず熱があがってくる。不思議な感覚だ。
それに、充葉に言われたからと強調して言われることが堪らない。僕に快感を引き起こす。
 馬鹿みたいだし、もしかしたら、業と言われているかも知れない。全部、計算して成り立っている言葉かも知れない、けど。嬉しい。






――結局、あの行為のあと、僕はジルに体育祭に出てくれるように懇願した。全学年対抗リレー、借物競争、応援団、百メートル走、騎馬戦。紙に書かれたクラスメイトがジルに出場して欲しいと願う競技を見せた。
 半裸の僕と違い、着替え終えたジルは未だ精液臭い手で紙に触ると「いいよぉん」と述べた。その直後「出場し過ぎだよねぇ、俺、ふふ」と言っていたけど、許可が下ったと安心したのも束の間。安堵で身体が一気に重くなった僕の顎を掴むと、唾液を流しこむように僕に口づけた。まだ、やるつもりかと、息苦しい中で、暴れると、予想に反し、唇は呆気なく離れ、ジルは僕の双眸を見つめながら、囁く。


「約束するよぉ、充葉ぁ。ちゃんと、出てあげるぅ。その日はねぇ、充葉に言われたからだよぉ。本当だよぉ。オレはねぇ、充葉に言われたからぁ、そんな詰らない埃まみれになって利益が微塵たりともない行事に参加してあげるしぃ、ある程度、真剣にも取り組んであげるのぉ。充葉に言われたからだよぉ。判ってるのぉ。ちゃんと、知っておいてねぇ、充葉ぁ。オレは、充葉が大好きで、好きで、愛しているからぁ、参加してあげるんだよぉ。言うこと聞いてあげるんだよぉ。ちゃぁんと、それを覚えておいてねぇ」

 呆気を取られた僕の頭を撫でると、ジルは良い子、良い子、というように僕に触れ、抱き締めた。
 僕に自惚れろということだろうか。抑えていても、溢れてしまいそうになるのに。優越感を自尊心にして、それで、僕に立てということなのだろうか。この、溺れる様な、泡の幸せにずっと浸からせてくれるということなのだろうか。
 なぁ、ジル。答えてくれよ。いや、きっと、お前は一生、僕の問いかけに答えてはくれないだろうけど。だから、気付かない、ふりをする。何かの弾みで自覚することが無いように。
 思慮し、考慮することを忘却する。すべて、いらない、感情だ。




 そんなやり取りがったものだから、ジルの言葉、一つ、一つに心臓が飛び上がりそうになる。


『全学年対抗リレーに出場される選手の皆さんはB の1ゲートに集まって下さい』

 アナウンスの声が聞こえる。背中に貼りつく、ジルを引っ剥がし、ゲートの方向へと背中を叩く。

「行ってこい」
「ふふ、行ってくるねぇ。一位で帰ってくるからね」

 勝利宣言を高々にしてジルはゲートの方へ足を進めた。あの自信、少し分けて欲しい位だ、と思いながらジルを見つめる。それにしても、団体競技だということを彼は理解しているのだろうか。半周以上、差が開いていた場合、どうするつもりなんだろうか、と雑念が一瞬、脳裏を過ったが、ジルなら半周以上の差くらい簡単に埋められるだろうと考えるのが馬鹿らしくなり、名簿に丸を付けた。

 丸付けが終わると、当日は特にすることはないので(当日仕事があるのは体育祭実行委員だ)僕は椅子に腰かけた。雨天中止が嫌だからなのか、学外に設置されたドームで体育祭をやるなんて、私立らしいと思いながら、上を見上げる。どうせなら、全部、競技用のゴムか、人工芝にすればいいのに、と思ったが、体育祭というのは泥塗れになって行う物という、無駄な維持を張る学園側の意向で、グランドは土で、砂埃がたっている。
 泥塗れを推薦するなら、クーラーも止めろと、言ってやりたくなった。









第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -