桜と美貴 | ナノ



下手くそな生き方をしているの、と麦藁帽子を被り白いワンピースを着た彼女は言っていた。


公園のベンチに腰かけて、友人である林檎との待ち合わせ時刻まで、鳩を眺めていようと茫然としていると、真横に彼女が座った。
痴漢かと緊張して自分を視姦しないで下さいと震えていると、麦藁帽子から覗く顔に見覚えがあった。
うっすら化粧が施された透き通るような肌に、縁目がちな眼差しは以前、自分が財布を落とした時に優しくしてくれた女性だった。見つからないと、今日の自分はなんて運がないんだと世界を呪っていると差忍ばされた手。夕日がたっぷり暮れる時刻まで一緒になって探してくれた。お陰で、財布は見つかった。自動販売機でジュースを買おうとした時にポケットから落としたのだ。

「あ、あの!」
勇気を振り絞り声を出すと、彼女はこちらを向いた。反射的に笑う姿は美貴が愛しているナリをどこか彷彿させた。

「あら、この間の」

低いとも高いとも言えない幻想的な不思議な肉声が響く。彼女は心底、驚いたようで、眸を大きく見開いた。影の隙間から、食塩水が干上がった跡が見えた。泣いていたのだろうか。人魚が流す涙と似ていた。

「ごめんね、気づかなくて。ぼーーとしてたの」
「あ、あの、なにか落ち込むようなことあったんですか?」

彼女は少し悩んだあと、唇を尖らせた。首を真横に傾げた。
美貴は彼女の所作がとても穏やかで上品なくせに、威張っているような雰囲気を微塵も感じさせないところが好きだと思った。

「いつも落ち込んでるかな」
「ええ!」

この回答には驚かされ、古風な漫画表現みたいに口をあけ喉ちんこを晒しながら声を張り上げてしまった。こんな優雅で優しい人が常に落ち込んでる、という日常が信じられなかった。なにか、優しいせいで酷い目にあっているのだろうかと疑った。

「あ、あの俺の知り合いに怖い人いるんで、なにかあったら言って下さいね」

怖い人とは勿論、友夏里のことだ。数日前、やくざの孫だとわかった友夏里は美貴にとって頼めば報復くらいしてくれる、怖い人だった。
言ったあとに、怖い人と知り合いな俺と関わり合いたくないと思われたらどうしようと、美貴は焦ったが彼女はそんな勘繰りなど気にせず、優しい声色で「ありがとう」と告げた。
相変わらず、恋人を彷彿させる笑みなのに、この人が笑う方がなんて人間味がある葛藤を孕んだ笑い方なのだろうと生唾を飲み込んだ。けしてナリを否定しているわけではない。彼の機械かと疑う完璧さや美貴にだけ向けられる慈愛が籠り、唯一感情が支配している眼差しを愛していた。あの目が向けられるのは自分だけで、それが愛されているという自覚を与えてくれる。
彼女の笑い方は様々な美貴が想像も出来ないような生きた方をしてきた人にしか与えられないものだ。そのくせ、懐かしくてずっと欲しかった眼差しが詰め込まれているようだった。


「色んなことがあるから、いつも落ち込んでるの。僕は生きるのが下手くそだから」
「下手くそにはみ、見えません」

あんな風に優しくしてくれた人が下手くそなら世の中が可笑しいんです! と美貴は続けていうと、なんだか自分が泣きたい気分になってきて、涙をほろほろ流してしまった。
そっと彼女からハンカチが差し出される。お日様の香りがついた柔らかいハンカチ。

「ごめんね、泣かせて。ありがとう。あと、別に悲観的な意味で使っているわけじゃないんだ」
「え?」
「僕は生きるのが下手くそで、けど、だからこそ、今、得られたものや、積み重なって作り上げられた心があるから。昔、駄目だったことは今は出来るようになった感覚かな? 別に嫌いなわけじゃないんだ。今の自分を」

彼女がそう言った時、先程までの優しさが払拭され、凛と公園に響き渡る肉声が発せられた。
それは、ほんの一瞬だったが、今まで女性にしか見えなかった彼女の姿が男に見えた。
美貴は安堵しながらも、ごめんなさい、ごめんなさい、と謝ってしまった。男に見えたのも変に勘繰りしてしまったのも。
彼女はこっちこそ言葉の使い方が下手くそでごめんね、と謝りながら背中を撫でてくれた。
撫でられた背中のあたたかさは美貴がずっと本当は心の底で望んでいたものに似ていた。欲しかったのに憎くて恨むことも出来ず、嫌いきることも出来ず、逃げることが出来ない現実としてそこにいる存在の。

彼女は美貴が泣き止んだのを確認すると、立ち上がって公園で売られているアイスクリームを買ってきてくれた。

「バニラ味は嫌いじゃない?」

大好きです、といいながら溶け出す甘味を舐めた。
この人の手は母親の手と良く似ていると、美しい透けるような皮膚をみながら、ぼんやりと思った。
似ているが、まったく違うものだと。いうならば自分が欲しかった形をした手なのだろうと、良く見れば洗濯液で荒れた肌を直視した。

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