初と桜 | ナノ



桜はナイフとフォークを鴨の心臓で切り裂いて、口に運ぶ。甘く焦げたソースの味が口中に充満して美味しかったが、咀嚼する音が心地よくないのは眼前に居る友人のせいだろう。テーブルマナーも気にせずに、喉を震わす友人は汚らしい食べ方の癖に、自分より魅力的に見えた。机の上にソースは飛び散り、金属音が、がしゃんがしゃんと奏でる声が聞こえるというのに。小さく縮こまってご飯を口元に運ぶ自分より、よっぽど輝いていた。
初と二人きりで食事をすることは思い返せば数えるほどしかない。屋上で皆を囲むようにして和気藹々とした空気の中でとった食事か、いつも秋嶺が一緒だったから。クラッシックが流れる優雅な空間で、こうして初と向かい合っていると妙な気持ちになる。

「久しぶりだな桜」
「うん、そうだね。久しぶり初くん」

ようやく紡ぎだされた言葉に内心では安堵しながら当たり障りのない科白を吐き出して、日常的な会話を続ける。最近どう? という言葉から始まり、話している間になんて社交性が詰まった言葉ばかりを僕は口から吐露しているのだろうと、桜は思った。仮にも友人相手に窒息死してしまいそうな、言葉の羅列は話している自分の脳味噌を直接、揺さぶってきた。
他の人が相手ならこれで良かった。その場限りのお付き合いや、汐のようになにを喋っていても気に留めない相手なら。適当に堕落した会話にも意味が生じる。しかし、初はすべてを見透かすような大きな双眸をこちらに向け、口角をあげた。退屈な話を提供する桜をあざ笑うかのように。
初が本当はそんな意図をもってして、桜と接しているわけではないことを桜は長年の付き合いから感じ取っていた。彼は酷く素直なだけなのだ。退屈だという表情を、自分のように隠さないだけで。

「で、ハイネはどうしてお前を閉じ込めておくんだ」

確信を突く質問だった。フォークを持ち上げソースを飛ばし、初は桜の心を咀嚼するように言葉を言い放った。
桜は自身の喉元が渇きを帯びて、濡れない唾液で喉がひゅっと掠れた。耳鳴りがするような気がした。
別に閉じ込められているわけではなく、選択して自分はあの家にいるのだということを初に伝えると、初は不機嫌に口元を曲げた。

「会いたい人間に好きなときに会えず、自分が新しい世界を広げていくことに嫌悪感を抱くような人間とか」

初の発した文脈には一理あった。確かに桜はハイネに拘束され、好きな人に会えず、好きなことも出来ない圧迫された空間を嫌だと思うことはある。同じ条件下にいるくせにハイネくんは随分と好き勝手しているわね! と思うこともある。
彼が新しい友人を作って、好きな人や興味関心を増やして呑気に帰宅するとき、また喉元をナイフで切り裂いて鮮血を彼に浴びせたいという衝動に襲われなくもない。得にハイネは自分とは違って、一度好きになった対象を嫌いになることは滅多にないし、流行に弱い自分と違って、盲目に一つのことしか見えなくなる彼を見ていて、嫌だ止めてよと脅すように言い放ちたい時もある。
それでも、今の関係を壊すことなく過ごしているのはハイネのことを愛してやまないからだし、同じ条件を与えられていながら行動を積極的に取れない自分にも問題があることを重々、承知していた。
初の尋ね方だと、まるでハイネ一人が桜に束縛された道を用意したようだが、桜は自分だってハイネの興味関心を略奪して、会いたい人間との関係を断ってしまっているのだということを忘れない。いつだって忘れてはいけない。自分たちはお互いが納得した上で、この関係性を選んだのだということを。

「別にいいんだ。けど、我慢して言っているわけじゃないよ。僕は。本当に我慢できなくなるくらい嫌だったらハイネくんに言うよ。そんな人間と関わらないでって。僕よりそっちの人間の方が好きなのって」

ハイネが桜にそう言って告げるように。我慢できなくなったら、以前のように可哀想な自分に溺れて溜息を吐いて笑うのではなく。嫌なことは嫌だという。止めて欲しいと。今はまだ我慢できる状態なので、告げないだけだ。

「お前の言葉を聞かなかったら」
「死ぬよ」

平然と桜は告げた。さすがの初もびっくりしたようにナイフを落として桜の頬っぺたを叩いた。
じぃんと痛む頬っぺたが初の怒りと如何に初がこの黒沼桜という人間を愛しているのかということが伝わってきたが、桜はうっすらと笑みを浮かべ、平然と口を開く。
初はこの笑い方に見覚えがあった。自分の恋人であるスオウが見せる笑い方だ。滅多に見ることがない。この笑みは彼が心の底からある決意をして周囲が見えなくなったときに浮かべるものだからだ。容姿はどれだけ似ていなくてもやはり彼らは血を分け合った兄弟なのだということが良く判る。

「ハイネくんは自分の命より、僕の命の方が大切だから。それは、僕より優先できる人が万が一、生まれても変わらない」

身体能力的なことを考慮しても自分がハイネのことを殺すのは無理に等しい。だから自分の首元を掻っ切って今度こそ本当に死んでやる。彼は自分が犯した一瞬の過ちに気づいて、黒沼桜という人間のことを忘れることはない。

「お前、昔と何も変わってないな」
「そうかな。……そうだろうね。うん、人間って変わろうと努力しても、根本は一緒なんだよ」

初は奥歯を噛み締めた。この友人が自分を変える為に、苦汁を飲みまくり、心を雑巾のように扱ってきたことを知っていたからだ。そうやって、自己を傷つけ、耐えることが出来る笑顔を初はとても尊敬していたし、だからこそ、友人であり続けているのだ。

「けど、大丈夫だよ。ハイネくんが僕がきちんと判り易く彼に伝えた言葉の意味を理解できないとは思わないし。僕より興味関心がある出来事や、僕より優先すべき人物を作るなんて、有り得ないと思うから」
「たいした自信だな」
「うん、自信だよ。僕が変わったといえば、ハイネくんに僕が愛されているという事実を僅かにでも自覚したことだと思う。だからこそ、口を開いてはっきり意見を言えるようになった。それにね、初くん」

桜はフォークとナイフを置いて、初の眼をまっすぐに見た。

「僕、もう、昔みたいに誰かに譲っても良いとは思わないんだ。僕はきっと自分が思っている以上に強欲で、どうしようもない奴で、興味がない人間には冷たくて。欲しいものを手に入れる為だったら、自分の身体なんてどうでも良い。たとえそれが相手を傷つけても良いくらい。自分勝手で自分本位な人間なんだ」

初は桜の話を聞きながら、そんなこと初は昔から知っていたと思った。桜が無い物ねだりを続けるかのように欲望で溢れた目でクラスメイトを見ていたこと。欲しい者を手に入れる為なら突拍子もない行動をとれること。自分の身体に価値を感じていないこと。自分が居心地が良いのなら、好きな人間が傷ついても構わないこと。
けれど、桜はそういうものと同時に、自分の心もぼろぼろにしてきた。そう考える自分を恥じて、矯正しようと励んでいた。彼のそんな後姿が溜らなく愛しかったのに。
初は久しぶりに後悔と自分が行ってきた身勝手さに振り回されてしまった人間の象徴を発見してしまったかのような気持ちになった。桜がそれで幸せなら初は納得してしまえる性格だが、心のどこかに引っかかりが残る。
譲っても良いと思わない。それが桜の口から吐き出されてしまった。素晴らしいことだ。素晴らしいと同時に、寂寞とした感情に初の中は犯された。こんな風に自分の中を穢していく人間と初は初めて会った。初はそれほどに桜のことを慕っていたし、過去に自分が欲しいからと言ってスオウを取り上げてしまったことを、僅かに本当に僅かにずっとずっと気にしていたのだ。
後悔せず貪欲さを追い求めて戦うというのは、強くなったということだ。けれど、それと同時に反省する機会も、自己を成長させるきっかけさえも失ってしまったということだった。
初は目の前の友人を見て、こうして大人という怠慢な生き物へと成長を果たすのかと勝手に嘆きたくもなった。けして、口にはしない。思ったことをすぐに口にする初にしては珍しいことだ。
初は桜がとても好きだ。これは死ぬまで変わらないことだろう。
桜は席を立ってトイレに行くと告げた。トイレ、トイレの中で以前の彼だったら嘔吐して、気付かれぬ平然とした笑みを貼り付ける特訓をしていた。
今回はどうするのだろうか。吐き出すのだろうか。彼は。それとも吐いた後に、吐いたよ、と笑顔で告げるのだろうか。
強さとはなんなのか。愛情とはなんなのかを初は考えながら、桜がトイレから出てくるのをじっと大きな目を見開きながら待っていた。

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