佐治と夏目 | ナノ



「そんな舌なら切っちゃえば」

夏目は久方ぶりに執筆した読み切り原稿の最後の科白を読み上げた。
ようやく終わったと肩を落とし、机の上に項垂れたい気持ちを隠すように(項垂れてしまうとせっかく書き上げた原稿が台無しになってしまうためだ)背伸びをした。

「明――あかり――終わった」

佐治を呼ぶと、佐治は一目散に台所から駆けてくる。浮き足になってしまうのは仕方ない。原稿明けの夏目は機嫌がとても良いのだ。上手くいけば仮眠をとったあと、セックスをしてくれるかも知れない。

「メシある?」
「夏目が好きなカレーがあるよ」
「お、いいじゃん。じゃあ、それ貰う」

疲れて硬直してしまった腰が痛むのか、背骨を叩きながら夏目は立ち上がった。あくびをして俺も歳だな、と渇いた笑みを漏らしながら、台所まで歩いていく。気を抜いたら寝てしまいそうなほど披露している夏目。睡眠より空腹が勝ったので起きているに過ぎないのだろう。
佐治は夏目に不快感を与えないために素早くカレーを用意すると、夏目はスプーンでそれを勢いよく喉元に掻き込む。
夏目、それ作るために何時間かかったのか知らないでしょう。うふふ、けど良いの。夏目がおいしそうに食べるなら。
佐治は咀嚼する夏目を見ながらお玉を握ったまま微笑んだ。数分の間に食べ終わった夏目は「ごちそうさん!」と声を出し「うまかった」と率直な感想を述べた。
頭を屈めて待っていると、頭を撫でた後に、わざと装着していたネクタイを引っ張りキスされた。触れるだけの軽いキスだが、夏目からされるものなら、どんな名器とセックスするより気持ちが良いものだ。

「風呂入る」
「あ、ごめん。湧いてない」
「寝ちまいそうだし、シャワーだけで良いよ」

寝間着だけ適当に出しておいて――と頼む夏目の頼みを聞くために、寝間着を取りに夏目の部屋へ向かった。
修羅場明けの汚い塵溜めのような部屋。散らばったトーンカスや、すでに落ちなくなってしまう程に乾燥した飛び散ったインク。
出しっぱなしの原稿に片付けなきゃいけないと茶封筒を慣れた手つきで取り出し、夏目の原稿を見た。
原稿は夏目の絵柄なのかと疑いたくなるほど細い線でトーンを一切使わず作画されていた。部屋に飛び散ったトーンカスはいつもの連載原稿の時に使用したものだろう。見覚えのあるナンバーだ。
どんな作品か興味を持ちページを捲る。繊細に描かれ、モノクロで表現された美しい絵。普段の、一般受けが良い絵柄ではない。趣味を追求したような、けど、夏目という活発な人間からは想像できないほど、暗い。
どちらかというと、この漫画は佐治や紀一、帝といった、どこか浮世から離された人間が好む漫画に近い。内容も、少年が舌を切られたシーンで終わっていて、真っ黒な画面に飛び交う、赤い血を表現した絵が佐治の背筋に悪寒を走らせた。

「お、読んでるのかよ」
「うん、夏目。どうしたの、珍しいね」
「そうか? あ――読みきりだったし、好きに描いてみた。一度、トーンなしで描いてみたかったんだよ。絵柄も俺の味も消したような作品を」
「そうなんだ。さすがだね夏目」
「別に、凄いことじゃねぇぞ。これは、最近の反省も込めて」

佐治の手に持たれた原稿を夏目が握る。
濡れないように気を付けながら、一枚、一枚、ページを捲っていく。

「友夏里のことがあっただろう。千代ちゃんがいるのに、浮気? してるみてぇな。やっぱり、俺が放置していたこともあったし、ああ、なんで子供の嘘を見抜いてやれなかったのかなぁって。反省してる」

それは夏目は悪くないよ。友夏里のアホが上手く隠していたに過ぎない。家の収入源である夏目が仕事に励むのは当然だよ。
フォローが頭の中で鳴り響いたが、佐治はあえて無言を貫いた。自分に飛び火してくるのが、恐ろしかったためだ。

「嘘ばかりつく主人公と嘘を見抜けなかったヒロインの話なんだけど。最後、舌を切り取られちまうのは、ヒロインの方なんだ。主人公はそれを見ているだけっていう。端的にいうと、そういう話なんだけど。やっぱり慣れてない話、書くもんじゃないな。自分の気持ちを投影して書くって苦手だ」

全然、上手くいかなかったと夏目は嘆く。
汚してしまうといけないので、佐治が持っていた茶封筒にいれて、封を閉じる。一眠りしている間に佐治が出版社まで届ければ、無事に脱稿だ。

「あんなんだったお前も薬や女を止められたんだから、きっと友夏里のこともやり直しがきくと思って描いた。一から仕切り直しだな。仕事のペースもちょっと落とすわ。今さら、母親にくっつかれてアイツはウゼーって顔しそうだけどな」

ははは、と快活に笑う夏目を見ながら、もし自分が女や男を暴力的に抱くことを止められていないと夏目が知るとどのような態度になられるのだろうと佐治は想像した。きっと、見捨てられてしまう。
薬をやっているのを暴かれた時、夏目は「二度目はないからな」と言った。夏目は言葉に嘘をつかない。いや、嘘をついて誤魔化すが、一度吐き出した言葉に責任を持てる人間だ。責任を投げ出すことが不得意なのだ。だから、ずっと自分といてくれるのではないだろうか、と佐治は不安に思う時がある。
見捨てられるのが怖いなら今からでも性的欲求を発散させる為のセックスなどやめるべきなのに、病気みたいに止められない。夏目が相手をしてくれたら良いのだという反論は通用しないだろう。

「まぁ、家のことお前に任せ過ぎて悪かったよ明。ごめんな」

夏目が謝る理由なんて何もないのに、都合よい解釈の中にいる夏目に余計な言葉を吐き出す度胸もなく、密着した唇を貪った。啄むだけのものが、口角に舌先を侵入させてきて、噛むように貪り合う。

「寝るのはセックスしてからで良いか。気絶したら、その間に原稿よろしく」

すっかり盛ってしまったと、衣服を脱いだ夏目が佐治を押し倒し、馬乗りする。触って良いか許可を取り、細い綿棒のような折れそうな腰に触る。細いが、筋肉はついている。あばら骨を辿る様に乳首へ近づき、夏目が嬌声をあげ、瞼を瞑るころには、さっき胸の中で考えていた罪悪感とかは、すっかりどこかへ飛んでいって忘れ去られてしまった。




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