スオウと初 | ナノ




「初はハイネのこと嫌いなんだよね」

独り言のつもりだった。スオウは包丁で鶏肉をぶつ切りにしながら鍋へ放り込んむ作業を行っている最中だった。帰宅した初が気配を顰め、後ろに立っていると知らなかった。

「そうだぞ」

という声にスオウは酷く反応をした。初の会話はいつも突然始まる。大抵の人間に感じさせられる、今から話すから反応して下さいという下心が透けない。当然のように自分の会話は聴かれるものだと考えている。初はいつだって傲慢だ。傲慢であることを知らない無垢な子どものように性質が悪い生物。

「聞いてたんだ」
「悪趣味な独り言だな。お前の言葉通り。初はハイネが嫌いだ。友人を何度か殺されかけて、実兄が最も大事とする脚を切り付けられ、好きでいられる筈がないだろう」
「そうなんだ。うん」
「なんだ、なにか話したいことがあるんだろう。気味が悪い。早く喋れ」

他の者なら会話を方向させる展開へ物事が動いて事に身を委ねるだろう。スオウの気遣いは完璧だ。緩やかに安全な船に乗りながら運河の中に身を置くように。気づかない。愛想笑いだったり。優しさだったり。そういうものを、当然のように行うことが出来る人物だった。
しかし、初は決まって追求してきた。初からしてみれば他人が隠されて嫌な秘密を暴くことに躊躇いはない。スオウの薄ら笑いも彼には見抜けて当然のものだった。

「いやぁ、あんなに好きでいて貰った記憶があるのになぁって」
「なんだ、そんなことか。初はな、はじめ、アイツが生き物を殺していないときは嫌いじゃなかったさ。初の周囲にいる人間の一人。その程度の認識だった。初が世界に愛されるのは当然の権利だからな。ただ、ハイネは殺すだろう。殺して、その罪が自分には返ってこないと勘違いしている。初はそれが気に食わない。判るか、スオウ。一人の人間の命というのは、路上で殺される蟇蛙に相当するものだ。雨の日、車に跳ねられ死んでいる。蟇蛙と一緒だ」


初のすべてを見透かした眼差しが語る。包丁で切り裂かれた鶏肉を見ながら、初は平然と「もちろん、そいつの命も同類だ」と指差した。

「蟇蛙は事故だからしょうがない。ドライバーに罪を背負えとは初だって言わないさ。事故というのは便利な言葉だ。許される可能性を秘めている。なぜ、許すかというと、事故は自分に降り注いでくる可能性を秘めているからだ。お前も簡単に人を引くし、引かれるのさ。だから別に良い。けど、ハイネは違うだろう。殺意を持って、人間を殺している。食べるんだったらまだしも。快楽の為に」
「食べるんだったら良いの?」
「食べるのであれば、良いんじゃないか。自然界は弱肉強食だ。今、人間が生態系の頂点に君臨しているが自然災害に脆い人類が存亡出来るかはわからない。大昔は違っただろう。地球という長い時間で考えれば、今は偶然、頂点に立っているに過ぎない。それに甘えれば良いのさ」

初はくすくす笑いながら「だから鶏肉をさばくことは許される」と告げた。スオウは手首がじんわりと冷え渡っていくのを知った。

「快楽は我慢できる。我慢出来ないのなら、自分も、同等の対価を払う必要がある。覚悟を持つ。初も、快楽を我慢できない。だから、蟲を食す。彼らの生態系を荒す。ただ、いつだって殺される覚悟がある」

スオウは初以外が語っているのなら、夢物語の宗教染みた偽善野郎だろ心の隅で唱えることが出来ただろう。初でなければ。初であるから、それが、偽善でも、思い込みでもなく、心の底から実行できる誓いであることを認めなくてはならない。思えば、幼い頃、初は常に腹痛を訴えてきた。身体が初の食事に適応するまでの長い時間、彼は何度も親や幼馴染の前で吐瀉物をぶちまけていた。今も「寄生虫に取りつかれた」と笑っている。蟲だらけの身体かも知れない恋人の体温は、嫌味なほど暖かかった。寄生虫に取りつかれた所で、彼は変わることなく生きて、死ぬときは死ぬのだろう。後悔の欠片も、残された人間の悲痛も知らず。快楽の代償だと。初が初らしく生きたのだから、初を愛しているなら、死に際を受け入れろと言い放つ。想像するまでもなく判ることだ。

「等価交換なんだね。ハガレンみたい」
「オタクだな、スオウ。まぁ、ようするに、そういうことだ。もし、アイツがお前の兄弟でもなく、桜の恋人でもなく、初の日常や初が構成する世界に害を与える人物であったなら、初は、いかなる贖罪を受け、初が第三者によって殺される覚悟を持ち、アイツを殺していただろうよ」

簡単に言い放ち、台所のカウンターにあった籠から煎餅を取り出し食べだした。ふてぶてしく椅子に腰かけ、ご飯を催促する動きを見せる。手伝ってよ! と一応、述べてみるが、なぜ初がしなければならないのか、という眼差しで見られ、スオウは鶏肉を切る作業へと戻った。
切り終わり、野菜と一緒に鍋の中で炒めながら、初はなんて愛されて生まれてきた子どもなのだろうとスオウは思う。自分の常識が世界の常識であるように喋る。裕福な暮らしの余裕が造りだした快活さを備え、有り余る庇護を当然の権利として受け取ってきた。何もかも容易に手に入れてきた人間しか持っていないもの。
周囲の人間が自分の世界観を受け取ると疑わない。初独自の格式が作りあげた要式が世間の姿だと信じきっている。初の傲慢さの根本はそこから来るものだ。同時に自分の傲慢さの根本もそこにあると判っていた。
けれど、たいていの人間がそういったものを隠したがる。無意識ではあるが。
思春期を迎えると、親に対する甘えとか、自分の常識と世界の常識が交じり合い、反発をお越し、世間へ溶け込んでいく。溶け込んでいけない人間は死んでいくばかり。スオウはそうやって、溶け込んでいった。社会との交流のやり方を無意識の内に身につけていった。
眉目秀麗、知能、家柄、財力、親の愛と生まれながらにして与えられてきたスオウは、完璧すぎる男から成り下がる為に隙を作った。隙を作ると人気者になる。しょうがないなぁと声をあげてもらえる。どこか天然だと装ったわざとらしい動作でも構わない。良く扱けて見るとか。躓いてみるとか、些細なことでも良かった。簡単なことだ。そうすることにより、周囲の人間が快楽を獲れる。優越感を味わえる。「もうしょうがないなぁ、スオウは抜けてるんだから」と言って貰える。簡単なことだ。簡単だが、積み重ねていくと本当の自分を見失ってしまうものだった。
初は違った。庇護をうけることも自分の持って生まれた権力も、惜しむことなく発揮した。反感を買っても構わなかった。嫉妬しているのかお前ら、醜いな、くらい告げ彼は平気で笑い飛ばすだろう。まるで自身こそ、この世に決定権を下す神様だというように。自分を見失わず、背筋が凍りそうな恐ろしさを兼ね備え、彼は立っている。


「初は我慢できる、スオウのことが好きだぞ。人に合わせることが出来る。隙をつくることが出来る。弟の為に身を挺して動ける」

唐突に煎餅を齧りながら初は囁く。鍋の底が焦げてきて、香ばしい匂いが台所一面に広がった。

「お前が暴力をふるう時、いつも誰かの為に隠された自分の為だな。誰かの為なんて都合の良い言葉は存在しないから。けど、お前はある程度の覚悟を背負っているから初が許してやる」

ぐつぐつと鍋が限界を訴えてきた。今のも破裂寸前な音を聞きながら、スオウは身体の神経を研ぎ澄ましていく。


「初は少なくとも、お前の世界を壊さないためにハイネを殺さない程度にはお前のことが好きだ。そして、お前が誰かを殺したとしよう。覚悟もなく。食すこもなく。快楽を求めるという下劣さのために。その場合、初がお前を殺してやるよ」

スオウを殺すということは、初が殺される覚悟を持つ日でもあるということを言いたいのだろうか。
食べ終わった煎餅をもう一枚貰おうと立ち上がり、籠を漁っている。「鍋、焦げてるぞ。マズイのはごめんだ」と初が述べると、正気を取り戻したスオウは鍋を急いで掻き混ぜた。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -