五十嵐とエンマ | ナノ



「五十嵐はあんがい、怖い奴じゃないんだし」

とエンマはメロンパンを齧りながら喋った。中庭の地べたへ座り込み、丁寧に揃えられた草木の影に囲まれるような場所で、もしゃもしゃとメロンパンを味わった。「お前パンくずついてるぞ」と親指の腹で拭った五十嵐を見つめ「ありがとだし!」と大きな歯をカチカチかみ合わせてエンマはいう。

「はじめ、五十嵐は怖い奴かと思ったし」
「怖い奴ってどういう意味でさ」
「怖い奴。スオウみたいな奴だし。けど、違ったし! 好きだし!」
「スオウって誰だよ」

聞いたことねぇよ、そんな名前の奴と五十嵐は溜息をつきながら二個目のメロンパンをカバンの中から取り出したエンマへ「もうちょっと落ち着いて食べろ」と忠告した。普段、のろのろなのに珍しいな、と思いながら眺めていると「今日は喧嘩したし! いっぱい食べるし!」とメロンパンに貪りつきながらエンマは答えた。

「誰と喧嘩したんだよ」
「ベニっちゃんだし。ベニっちゃん私の大切にしていたぬいぐるみ笑ったし」
「え、サイテーだな。殴ってきてやろうか?」
「もう汚いから新しいの買ってあげるって言ってきたし。うわ――ん、まだ汚くないし」
「殴ってきてやる! ほら、どんな人形を笑ったんだ」
「これだし!」

五十嵐はそれって好意からなんじゃと、見せられた写真の墨がぶちまけられたように黒ずんだテディベアを見ながら思った。随分、昔の品物だろう。なんども洗われた後もある。そのくせ、汚れているのは、ベニスが普段から間抜けだからだろう。喜んでぬいぐるみを持って行って転倒、帰宅、泥まみれ、繰り返す、泥が抜けない、墨がぶちまけられたテディベア閑静という構図は簡単に想像出来る。

「これはベニっちゃんに貰ったぬいぐるみなのに」
「へぇ、そうなんだ。だったら、新しいのでも良くない?
「良くないし! これはベニっちゃんのテディベアだったし! ずっと寝ていた可愛いベアだったのに私が駄々捏ねたからプレゼントしてくれた奴だし!」

エンマはメロンパンを頬張りながら五十嵐へ喚き散らす。
これはベニスの父であるティガが親離れを促す為に買い与えたものだ。親の変わりに一緒に寝ていた可愛いテディベアを誰かにプレゼントするなんて本来なら考えられない。まだ、エンマがベニスと出会ったばかりのころ、可愛らしいベニスのテディベアにエンマが目を付けたのが、ことの始まりだった。
どうしての、あのふわふわのテディベアが良いんだし! とハリーへ駄々を捏ね「他の物を買ってあげるさベイベ」と言われても「あれじゃないとダメなんだし!」と泣き喚いた。
ちょうだいだし、ちょうだいだし、とエンマはベニスへ付き纏い、いつも簡単に譲ってくれるベニスだったが、今回は中々、首を縦におろしてくれなかった。だって、これがないと寝れないからだ。ベニスにとって無くてはならない必需品であり、変えはきかない存在だった。第二の母親変わりなのだから、仕方ない話だろう。
だからベニスは「また今度な」とか「忘れてきた」とかいう言い訳を使ってエンマの「ちょうだいだし」攻撃を逃れていた。けれど、あまりにもエンマが泣き叫ぶのを見ていて、憐れんだのか、鬱陶しいと思ったのか、テディベア離れが出来たのか、そのどれに当てはまるのか判らないが、ベニスはエンマへテディベアを譲ってくれたのだ。

「初めてだったし。ベニちゃんが、また今度とか、忘れてきた、とか、いうものをくれたの。私はそれが嬉しかったし。だって、それまでベニっちゃんのこと疑ってたし」
「へぇ、なんで?」
「大切な物を貸してって頼まれたり、ちょうだいって言われたり、して、嫌なときは勿論あるし。大切だし、人に触って欲しくないし。けど、たいてい、胡散臭い優しさを振りまく連中は、また今度ね、とか、忘れてきた、とかいうし。そもそも、言葉の重さがきっと全然違う連中なんだし。吹けば飛ぶみたいに、中身が空洞に映って、私はそれが怖いし。目だけ笑ってるのに、顔が笑ってない人間を見てるみたいで」

父親の部下を思い出し、エンマは震える。

「ダメなら、ダメっていえない、怖さとか、そういう、はぐらかす優しさの使用方法を知っている人間は、信用できないし。それ、さっき、言った、スオウとか、お母さん大好きだし。けど私はどうにも怖いし。きっと、アイツは大切な物なんて、なに一つ、貸してくれないし。譲ってくれないし。」
「どんな奴かは知らないけど、お前が言うならそうなんじゃね。ま、俺は貸せ貸せって言いまくったり、頂戴って言い触らす奴も胡散臭い、強欲の塊だとは思うけどね」
「ひっ!!」
「いや、お前を否定したんじゃなくてさ。そういう、あ――純粋? とは違って、計算でそういうの言ってくる奴、いるだろ?」
「いるし……怖いし」
「ほら、それそれ」

正直、好きな奴じゃなかったら、純粋でもウゼーけどな、と五十嵐は思いながらも、エンマの話に耳を傾ける。
かさり、と茂みが揺れる音がして、ゆっくりと、振り返ると視線がこちらを見ていたが、もう暫く放置だと決めつけて五十嵐はエンマへ視線を寄せた。

「私は、ベニっちゃんはそうじゃないんだって判って嬉しかったし。少なくとも私には。私は近づいて安心しても良いって思えたし。そんな人、今まで生きてきた中で家族以外、いなかったし。ベニっちゃんはなんて優しい人なんだろうって思ったし」

あの日からベニっちゃんはきらきらしてるし、とエンマは胸の中でぎゅうっとキラキラした塊を抱きしめるように呟いた。視線だらけの世界へ脅えていたエンマが初めてみた、人間の前身だった。爪先から頭の先まで、エンマの視界に、瞳以外の物体が飛び込んできて「しょうがないから、あげるよエンマ」と言ってくれた。嬉しくて、嬉しくて、溜らなかった。思えば、こうやって、ちょうだい、ちょうだい、と言っているのは、いつもエンマが誰かを試している時なのだ。
父親が母親へ買い与えた服を「ちょうだい、ちょうだい」と駄々を捏ねたときがあった。その時にも「また今度、もっと君に似合うのを買ってあげるさ」と言われた。違うんだし、アレが欲しいんだし! と泣き喚いても、父親は聞く耳を持たなかった。些細なことだが、どうしようもなく、エンマの中に広がっていった孤独の先端を埋めてくれたのが、ベニスの行動だった。

「忘れられてるのが、悲しかったし……」
「お――そうか、そうか。可哀想に。で、どうする、殴るか?」
「殴ると痛いからやめた方がいいし。暴力は殴った方も殴られた方も痛いんだし。おばあさまが言ってたし。どっちも痛いって。あと、人との関わり合いの中で、痛いものはたくさん生まれるって。怖いっていうのも、たくさん生まれるし、悲しいのもいっぱいあるし。けど、おばあさまは言ってたし。痛いの以上に気持ちよいことがあるし。怖いのを忘れるくらい楽しいことはいっぱいあるし。悲しいことを忘れるくらい、幸せなこともいっぱいあるんだって。だから、人は、殴らない方が良いし。私もこの悲しさは、ベニっちゃんがくれた幸せに比べれば些細な物だと、メロンパンを食べ終わったら忘れるし」
「えらいなお前」
「頭を撫でてくれても良いんだし。ちなみにこの、おばあさまの言葉のあと、おじいさまも、おう! と元気よく頷いていたからこの定義は絶対的なものとなったし」

宗教は相変わらずなのね、と簡単に「おう!」とだけ言い放つトラの姿を想像し、五十嵐は苦笑する。
ここら辺で、引き合わせてやっても良いかと、茂みに隠れるベニスの胸倉をつかんで、引っ張り出す。

「ベ、ベニっちゃん! まだ、メロンパンを食べ終わってないから近寄っちゃダメだし!」
「ごめん、エンマ! 忘れてたわけじゃないんだ。ただ、恥ずかしくて!」
「ベ、べニっちゃん! わ、忘れてなかったし!? 私なんて勘違いしてたし! ご、ごめんだし!」

むがし! とメロンパンを地面に投げ捨てエンマはベニスへ抱きつく。ぎゅう、ぎゅうっと。

「新しいのは別に貰ってよ。今日のお詫びってことで」
「それなら、ぜんぜん、嬉しいし!」


五十嵐はその光景を見ながら、お前さっき、エンマの話し聞いて思い出しただろうが確実にとか、簡単に嘘ついてんじゃねぇよ、よ思いながらも、自分が気に入っているエンマされ嬉しそうなら問題ないので、抱き合うバカップルをみながら、さてさて、どのタイミングで離脱しようかということを、ぼんやり考えていた。




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