03







「よぉ、委員長」

ワックスで固められた髪が撓る音がして、坂本が目の前に居ることを悟る。煙草を吸い過ぎた濁声は耳障りだ。
今まで僕の真横で軽快な声を出しながら喋っていた飯沼くんなんかは、肩をびくんと震わせ、鞄の紐を頑なに握り締めると、視線を坂本の靴に合わせ、俯いた。飯沼くんは、元々、派手系に属する男が苦手だけど、その中でも特に、この、坂本薫という男は関わりたくない対象として記憶されているのだろう。僕は今から空気になりますと宣言したみたいに、呼吸を抑え、目線を逸らした。

「なに」
「別にぃ、今はジルと一緒じゃないんだなって。つーか、知らねぇ、ジル、どこ行ったか」
「知らないよ。放課後だから、返ったんじゃないの」
「カラオケ行く約束したんだぜ」
「それでも帰るときは、帰るだろ」

鬱陶しくなって適当に乱雑な言葉を投げかける。ジルとお前との約束なんてしったことではない。約束も、ジルが上の空で話を聞いているときに適当に降ろした相打ちを許可が取れたと思い込んだに過ぎないだろう。
ジルはいつも通り、授業が終わると教室を出て行った筈だ。委員会のプリントを纏めていたので、実際、目にしたわけではないけれど。今日、ジルの父親は休みではないから。そうなると、ジルはチャイムと同時に直帰コースになる。あの、母親の為に。ジルの時間をすべて支配する、あの、母親の為に。

お前たちとの約束なんて忘れるさ。別にジルの友達であるお前たちが悪いわけではないけれど。しょうがない。諦めに類比した溜め息を吐きだし、切り捨てるしかないのだ。坂本には理解出来ない話かも知れないけど。
特に彼は、今までのジルの友達と少し違い、ジルに近付こうと必死な人間だから。
友達と坂本が思っているなら、尚更だ。親しい人を理解したい、傍に居たい、力になりたい、分け合いたい、と考えるのはごく当たり前の感情だ。例えばそれは、どんな趣味なのといった軽いものから始まり、次第に、重いものへと変化していく。おそらく坂本は、ジルとの間になるそれを、重いものへと変え、寄り添いたいのだ。だから、執拗に、ジルを遊びへと誘うし、僕を嫌う。僕という存在は、幼馴染、もっと詳しく述べるなら、あの事件の日に一緒に居たと言うだけで、坂本がいけない、ジルの傍に置いて貰うことが可能となっているのだから。

「ふーん、ま、いいわ」
「じゃあ、僕らはこれで」

その後、坂本は納得がいかないといったような表情を垣間見せたが、踵を返し、教室の方向へと向かって行った。
坂本が消えたことより、ようやく息を吹き返した飯沼くんは、顔を上げ、苦みを潰したような表情を見せたあと、安堵するかのように、大きな溜め息を漏らした。

「邪魔が入っちゃったね」

と、僕。

「う、うん、そうだね。それにしてもさ」

と、飯沼くん。

その後も、飯沼くんは能弁に語った。自転車に跨ろうとしたが、飯沼くんが徒歩なことに気付き、僕は自転車を押す。
抑えられていた数分間を取り戻すかのように、語りだした。僕は相打ちをしながら、飯沼くんの話を聞いた。曲がり角に差し掛かり、飯沼くんと別れるまで、ずっと、適当な受け答えを繰り返していたのに、飯沼くんは不審にも思わず、去っていく。少し、適当な反応だけを返した、自分が申し訳なくなっていく。

飯沼くんの背中が見えなくなると、僕は自転車に跨り、漕ぎ始めた。ペダルを踏み込むと、風が頬を掠った。




自転車を数分、漕いでいると、見覚えのある頭が見えて、ブレーキをかける。


「大丈夫、と、とら、ごめんなさい」
「俺が好きでやっただけだから」

末っ子の帝と、ジルの弟であるトラくんが並んで歩いていた。二人は僕とジルのように、同級生で、幼馴染という関係にあたる。まぁ、その中身はまったく違うものなんだけど。
泥だらけのトラくんの肌を帝は濡れたハンカチで拭いている。大かた、帝のことを馬鹿にされたトラくんが上級生に喧嘩を挑んだのだろう。泥に混じって、擦り傷が見える。
帝は涙が今にも毀れ落ちそうで、雫を溜めながら、手当てをしている。
ごめんなさい、ごめんなさい、と謝罪を繰り返しながら。一方、トラくんは気にするなよ、と意地を張りながら、怪我に沁みこむ痛みに耐えていた。


「帝、トラくん」

僕は自転車から降りて、声をかける。僕に気付いた、トラくんは怪我したことを知られたくなかったらしく、一瞬、弾むような嬉しそうな顔をした後、気まずそうな表情に落した。
トラくんよりワンテンポ遅く、僕に気付いた帝は顔をあげ「あ、み、充葉お兄ちゃんだ」と、ふわっと笑みを漏らした。なんだろう。足りなかった部分が埋められていくみたいで、帝とトラくんお頭を撫でる。

「今、帰り? 怪我は……ご両親には内緒にしておくから大丈夫だよ」
「あ、ありがとう、ございます」
「み、充葉お兄ちゃん、ありが、ありがとう!」
「けど、手当てはしなくちゃいけないから。あ、家に寄って帰りなよ。ね、そうしよう。お母さんは今、夕飯の買い物に行っている時間だから」

僕が提案を持ちかけると、二人とも、浮かび上がった笑みを浮かべる。もう少し、二人が小さかったら自転車の荷台と篭に乗せて帰っていたんだけどなぁと、思いながら、ランドセルだけを篭に乗せ、帰路を辿った。
歩いている最中、トラくんはしきりに今日、学校であったことや、上級生とケンカしたときの興奮を話していた。あの家では、両親に対して、喜々として、今日あったことを話すことが出来ないから。話せる相手(トラくんからすれば大人)に出会い、嬉しかったのだろう。
帝はそれを笑顔で訊き、まるで、自分のことのように、トラくんの身に降りかかった幸せを味わっていた。
僕は何も考えず……――という言い方をすれば、失礼になるが、純粋で、明日に抱える不安が少ない二人が少しだけ羨ましくなった。
ジルと僕にはこのような時間は存在しただろうか。無邪気に駆け回り、喧嘩をして、笑う日々。


ああ、そんなもの、あの事件以来無かったよ、と心の奥底で、過去が呟いた。












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